豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

自然体とは肩の力を抜くことです

2015-03-23 07:17:17 | 読者に人気の記事
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。

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おはようございます。

今日は6時に起床して洗面、座禅15分無事に終えました。

メッチャ寒いですね。

玄関脇で煙草&珈琲を楽しみながら、読書していましたが、凍えました。

妻が洗濯物を干していましたが、背中が丸まっていたw


昨日、人気記事を纏めていて、思ったのですが、老子って、意外に人気があるんですね。

まあ、僕の記事はウィキペディアのコピーですが、、、



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一冊だけ『老子道徳経』の訳を持っていますが、まあ、あれは『タオ』の働きについて延々と書いてあります。

で、柔らかいものが強いんだ、硬いものは強そうに見えて、弱いと、そんな感じ。

で、この柔らかいものというのは、なんだと言ったら『自然』であることです。

自分が自然にリラックスできているのは、頭の中の物事が落ちて、体から力が抜け切っているような状態のことですね。

これが強いわけです、笑


昨日、朝から晩まで、嫁様と罵り合っていましが、それで、頭にきて、いろいろと考えてしまうので疲れるわけです。

そうではなくて、自然のままに、任せておく。

もう、自分でどうにかしようとしても、諸行無常は向こうからやってくるんだから、どうしようもない。

それで、自分の力だけで生きているんではない。

タオの力が、コンコンと湧いてくるところで、生かされているのだ。

と、思って、肩の力を抜いて、考えないで、好きなことをする。

この『自然体』というのは、非常に、素晴らしい考えであると思います。

さすがは中国4千年の歴史!

偉大なる人物には事欠かないですなあ。


あ、そういえば『神様とのおしゃべり』も遂に買ってしまいましたw

前から気になっていたのですが、なんとなく、これを買ってはいけないと思っていたのであります(爆笑)

読んでみたら、面白かった。

まあエンターテーメントですが、無常というのは欲とは相反しますね。

いつか死んでしまう自分自身、というのが無常ですから、それであって幸せが、ここにあるという、そこが、仏教でしょう。

グルジェフさんでも、他人ではない、自分自身が、いつ、どうなるか、つまり、死んでしまうのかは、分からないのだし、もし、常に、このことを意識できれば、クンダバファ(緩衝器)を破壊できると書いている。


いつ、自分が自然に帰るのか、今なのか、それとも、肉体と共になのか。

自然体というのは、この、自我の働きを追わないということなので、つまりは一つ一つの物事が、そこで終わっていることです。

肩の力が入るのは、記憶からくる、怒りが、恨みが、清算されないからでしょう。

そういったものは、背中に残って、自我が、足掻いて、できている。

ありとあらゆる物事は、ぐるぐると変遷しており、同じときは2度とない。


考え方の変化ではなく、見方の変化ではなく、この、私の、自分自身の変化、トータルな変化だけが、真の、自然体である。

これは、思考、感情、動作、本能の各中枢部が、すべて、高次感情中枢、高次思考中枢、性中枢という、肯定的である自己意識の参入の中で各自の、役割を果たすことであり、それは、背面の自己が立っているということである。

そして力が抜けていることなのだ。

こころとからだの力がふーっと抜けきっているのが、自然体であり、高次中枢との繋がりがある状態である。

それは『頭』で、できることではない。

自己の分析、後追い、恨み、等々が落ちていくことなのである。

いま、このときに!