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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

童話を読む

2008-04-28 21:24:57 | オープニング・ザ・ハート
今日、仕事の合い間に「まめつぶほどの小さな犬」を久しぶりに読んでみました。これは、佐藤さとるさんの「だれも知らない小さな国」の続きみたいなものですね。私はこの話がとても好きで、何度も読み返しています。やはり、この人の作品は良いですね。心が豊かになる気がします。わが子が本を読めるようになったら一番に読ませてあげたい作品ですね。
 童話の中にもなんだか後味の悪いものもありますし、やたらとテーマ性が強いのもあって子供の心にいいのかなあ?と思う作品も多くあります。作品に欲が見えるとだめですね、キャラクターに愛のある作品がやっぱりいいです。
 で、今日のヘミシンク。昨日ガイドの指示通りに書いたせいか、頭のもやもやが無くなって、妙にスッキリとしています。これは関係しているのでしょうか?それとも気のせい?
で、スッキリしているのでオープニング・ザ・ハート2を聞いてみることに。
すると最初の方は順調でした。寝ることもなく、アファメーションも順調。それに、「こんなナレーションあったかな?」という部分もあり、何度も聞いていたわりには今まで全部覚えていなかったのだなあと思った次第です。またもや途中でピラミッドイメージが見えたりしてきました。今度誰かに聞いてみないといけませんね、この意味を。
で、シンボルを見つけるところあたりから、ちょっと意識が怪しくなって、結局最後には寝ていました。まだ完全に頭がはっきりしているようではないみたいです。何かイメージが見えただけでも良しとしないといけませんね。
昨日のブログにコメントいただきまして思ったのですが、ちょっと私が見るヘミシンクの世界をお話しておきます。レセプションセンターなどは、頭がはっきりとしている時は、まるで目の前にあるかのようにリアルに見えてくるのですが、意識があんまり集中できないときは切れ切れでぼんやりとしたかんじの映像とイメージです。なかなか映像が見えてこないときも良くありまして、そういう時は最初にイメージを想像してみます。例えばレトリーバルに行こうと考えたときに何にも見えない事があります。そんなときはF21からF27に行くエスカレーターを想像します。すると、そこからガイドが現れてストーリーが展開してゆくことがあります。
ヘミシンクで見る世界というのはそこにあるものを見ているのではなく、そこにある情報を脳がキャッチして、それをその人が一番理解しやすい形に映像化したもの。だから、私は昨日のようなディスクのイメージを見るわけですね。まあ、人それぞれ見たものを信じましょう。

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