昨日、今日と阿蘇では毎年恒例「クリスマスバルーンフェスティバル」があっています。
昨夜もバルーンイリュージョンや花火などもあって盛り上がっていたようです。私達も阿蘇谷に住んでいた頃はすぐ近所であっていたので毎年見に行っていましたが、同じ阿蘇でも今住んでいるところ(阿蘇山を挟んで反対側になります。)に越してきてからはもう行かないですね。車は多いし、人は多いし、で行き帰りが大変ですから。
まあ、私にとってはこの程度のイベントと言うわけです。でも朝に気球が浮かんでいるのを見ると、なんだかいい気持になりますね。残念ながら、今年は朝から雨なのでそういう風景も見られないのでしょうけど。まあ、私は仕事なのでどっちにしろ見れませんし。
そんな事もあっている、冬至の日のヘミシンク。本来ならばフォーカス21に行く所ですが、やっぱりゴーイング・ホームを聞こうという気になりまして、「帰還」を聞きます。
そして、フォーカス27に入ってすぐ、お花畑に到着しました。色とりどりの花が一面に咲き乱れています。どうやらレセプションセンターにあるお花畑のようです。
「ははあ、臨死体験した人が見るお花畑とはここの事か。」と一人で納得しながら歩いていると、向こうに花束を抱えてにこにこしている女性が見えました。何をしている人かと思って声をかけてみると、この花畑を管理している人だとか。
そこで、私が「どうしてフォーカス27には花が多いのですか?」と聞いてみると
「花、とは愛のエネルギーが表出した姿なの。だから、フォーカス世界にはたくさんあるのよ。」と言われます。そういえば、私のガーデンにも花はありますね。
「でも、花って、植物の生殖器でしょう?」と私が言うと
「そういう見方もあるけど・・・。動物の生殖器は美しくないでしょう?それは愛が出ていないからよ。植物には無償の愛が溢れているのよ。」
と言われます。動物の生殖器には「欲」しかないからでしょうか?
そして、花に関する説明をしてくれました。
「野の花は自然界に溢れる愛を表しています。だから、生命力に溢れていますね。一方、園芸品種のものは人が愛を注がないと育ちません。人の注いだ愛が形になって表れるもの、それが花となるのです。」
だそうです。まあ、花を良く枯らす人と、上手に育てる人といますからね。
そして、今度は植物の意識エリアに案内されました。フォーカスレベルで言うと、だいぶ下のほうですね。
そこの空間は、緑の巨大な柔らかな円盤が存在しているようなイメージを受けます。とても心地よい感覚ですね。緑のエネルギーが満ちています。植物には分離という感覚がなく、意識はすべてつながっているようなイメージを受けます。そして、植物から発せられるのは愛の波動だけ。
そこで、疑問が。毒を持っている植物とかもありますし、食虫植物とかもあります。そういうのはいったいどういう存在なのかと。
すると、すべてはバランスを保つためのもので、自己保存のためだけのものではないと言います。毒も、ある生物からみればそうですが、それを平気で食べられる生き物も存在しています。それに、毒を持つのはその土地を浄化している場合もあるとか。なんだかナウシカの腐界の話みたいですね。
人間の視点だけで植物の営みを見ない事だとも言われました。
今、環境破壊が叫ばれています。それで植物が減ったりしていますがそれはどんな感じ?と聞いてみますと、地球の意識で今そうなっているのであって、人間のせいだけではない。それに、人間がそういう風にしたというのはある意味思い上がりだ、とも。
植物はネットワークが形成されていて、ある場所の植物が減ると、他の場所のものが急速に成長するようになっている。それに、人間の無意識にも働きかけるので、植物が減る一方で、新たに木を植える人々も存在する。そうやってバランスを取るようにしているのだ。と言われました。
地球規模の意識で見ると表面の環境変化などは、私達が思うほど深刻ではないのかもしれません。
今日はこんなかんじですね。その後、お花畑の管理者のかたに、「もっと花を見ないとね。」と言われてしまいました。
昨夜もバルーンイリュージョンや花火などもあって盛り上がっていたようです。私達も阿蘇谷に住んでいた頃はすぐ近所であっていたので毎年見に行っていましたが、同じ阿蘇でも今住んでいるところ(阿蘇山を挟んで反対側になります。)に越してきてからはもう行かないですね。車は多いし、人は多いし、で行き帰りが大変ですから。
まあ、私にとってはこの程度のイベントと言うわけです。でも朝に気球が浮かんでいるのを見ると、なんだかいい気持になりますね。残念ながら、今年は朝から雨なのでそういう風景も見られないのでしょうけど。まあ、私は仕事なのでどっちにしろ見れませんし。
そんな事もあっている、冬至の日のヘミシンク。本来ならばフォーカス21に行く所ですが、やっぱりゴーイング・ホームを聞こうという気になりまして、「帰還」を聞きます。
そして、フォーカス27に入ってすぐ、お花畑に到着しました。色とりどりの花が一面に咲き乱れています。どうやらレセプションセンターにあるお花畑のようです。
「ははあ、臨死体験した人が見るお花畑とはここの事か。」と一人で納得しながら歩いていると、向こうに花束を抱えてにこにこしている女性が見えました。何をしている人かと思って声をかけてみると、この花畑を管理している人だとか。
そこで、私が「どうしてフォーカス27には花が多いのですか?」と聞いてみると
「花、とは愛のエネルギーが表出した姿なの。だから、フォーカス世界にはたくさんあるのよ。」と言われます。そういえば、私のガーデンにも花はありますね。
「でも、花って、植物の生殖器でしょう?」と私が言うと
「そういう見方もあるけど・・・。動物の生殖器は美しくないでしょう?それは愛が出ていないからよ。植物には無償の愛が溢れているのよ。」
と言われます。動物の生殖器には「欲」しかないからでしょうか?
そして、花に関する説明をしてくれました。
「野の花は自然界に溢れる愛を表しています。だから、生命力に溢れていますね。一方、園芸品種のものは人が愛を注がないと育ちません。人の注いだ愛が形になって表れるもの、それが花となるのです。」
だそうです。まあ、花を良く枯らす人と、上手に育てる人といますからね。
そして、今度は植物の意識エリアに案内されました。フォーカスレベルで言うと、だいぶ下のほうですね。
そこの空間は、緑の巨大な柔らかな円盤が存在しているようなイメージを受けます。とても心地よい感覚ですね。緑のエネルギーが満ちています。植物には分離という感覚がなく、意識はすべてつながっているようなイメージを受けます。そして、植物から発せられるのは愛の波動だけ。
そこで、疑問が。毒を持っている植物とかもありますし、食虫植物とかもあります。そういうのはいったいどういう存在なのかと。
すると、すべてはバランスを保つためのもので、自己保存のためだけのものではないと言います。毒も、ある生物からみればそうですが、それを平気で食べられる生き物も存在しています。それに、毒を持つのはその土地を浄化している場合もあるとか。なんだかナウシカの腐界の話みたいですね。
人間の視点だけで植物の営みを見ない事だとも言われました。
今、環境破壊が叫ばれています。それで植物が減ったりしていますがそれはどんな感じ?と聞いてみますと、地球の意識で今そうなっているのであって、人間のせいだけではない。それに、人間がそういう風にしたというのはある意味思い上がりだ、とも。
植物はネットワークが形成されていて、ある場所の植物が減ると、他の場所のものが急速に成長するようになっている。それに、人間の無意識にも働きかけるので、植物が減る一方で、新たに木を植える人々も存在する。そうやってバランスを取るようにしているのだ。と言われました。
地球規模の意識で見ると表面の環境変化などは、私達が思うほど深刻ではないのかもしれません。
今日はこんなかんじですね。その後、お花畑の管理者のかたに、「もっと花を見ないとね。」と言われてしまいました。
それは私の大好きな猫たちが、、見て「え?」と驚いたのが、頭が無い猫がいたのです。見ると周りには押しつぶされてしまった猫、胴から下しかない猫、顔が半分だけになっている猫、顔だけになってしまった猫などありとあらゆる残酷な状態の猫たちがそこに集まっていました。
でも不思議と恐怖は感じなかったのは、みんなそういう状態でしたが、顔はなぜか可愛いままだったからです。私は冷静にそれを見ていました。猫はよく虐待されることが多いので、そういった猫たちなのかな?などとも思いましたが、または別の何かの象徴かもしれませんが・・?でもこういう動物たちの人間にいじめられて囚われた状態っていうのもあるのかなぁ?とか、、そういうのは○さんはどう思われますか?
ところで私もオープニング・ザ・ハートのCDも買い、さっそく聞いてみました。が・・超爆睡!・・・意志どおりにコントロール・の夢はまだ遠いようです。^^;
勝負服とは何か、の定義は、そもそも植物が何かを考えていないと成り立たない視点ですし、生殖器との定義の差はあまりないかも知れませんが、植物の勝負服はもうちょっと何かがあるような気がします。そもそも異性をひきつけるためにあるのではない、という点からして何かが違うような気がします。
そもそも「私を見て」のどこがどう無償の愛なのか良く分かりませんが、見る方の気分は良いので別に文句はありませんが・・・。
「気分いいでしょ?」が無償の愛と言われれば、まあそんな気もしなくもないですけど。
花ってプライド高そうだな。F27で花の前を通りすぎるときは、笑顔がひきつりそうだ。無償の愛は植物まででいいですよ。動物から先は要らないような・・・。
そういえば鉱物に愛ってあるんだろうか。
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なので、その猫のところは猫の癒しの場だったのかもしれませんね。
虐待を受けた猫が、ここで癒されて仲間のところへ向かうのかも?
向こうには色々な世界が存在しますからね。
オープニング・ザ・ハートは、私も最初の頃は熟睡しておりました。今でも昼寝のときに聞いたりします。波の音が心地よいもので。
あれはヘッドフォンでなくても良いようなので、ステレオから寝る前に流していてもいいみたいですけど。
だから、人が動物と接すると心地よいのでしょうね。相手は全力でこちらに気持ちをぶつけてきますもんね。
人と動物は違いますが、動物や植物の営みを見ていると、人間社会のありようを考えさせられます。
だから今までは、「生殖器を見て喜んでいるのはいかがなものか。」と変な考え方していました。
これが、逆のパターン、植物型の宇宙人が動物の生殖器を切って飾っているところを想像するとゾッとしますよね。
まあ、でもヘミシンクをやることでそういう囚われた考えからは開放されましたけど。