今日も晴天で。
春の風が心地よくなってきました。
九州はすっかり春ですね。
日常に感謝して、そして現状の自分を受け入れて。
日々を楽しんでいきたいものです。
さて、コメントでも彼ネタが出たのでちょっとその関係の話でも。
「彼」とは高次のガイドなんですが。
その素性に関しては、まあいろいろと見方はあります。
私の認識する世界すべてであり、「彼」という個の存在であり。
1つであり、全体である。
なぜに彼と呼ぶかと言うと、固有の名詞を感じたままに付ける事もできますけど。
それやると、みなさんが「その名」でしか認識しなくなるので。
「彼」というあいまいな表現にしております。
それに、マップスに出てくる「彼(ヒイ)」から取っているのもあるんですけどね。
超文明のエネルギー生命体が、肉体をもったときに名乗る名前が、この「彼(ヒイ)」なんですよ。
なので、ちょっと似ているかなあ、というところで。
彼(ヒィ)とシアンの、光破船団を開放する話のところは、私の好きな場面の1つなんですが。
そういう感じで、彼という存在になっています。
ハイアーセルフとも違う、人類全体にアクセスしている存在みたいなものですかね?
1つの言葉でくくってしまうと、それは表現として楽なんでしょうけど。
それを言うと宗教になりそうなのでその言葉には表現していないところですね。
で、彼に聞いた、今回の件の話・
「で、あなたの目線ではどう思うのですか?」
「季節はめぐり、春が来て、夏が来て、秋がきて、冬が来る。自然にはそういうリズムと循環の仕組みがある。」
「つまり、1つの流れでしかないと?」
「人間には季節の流れを逆にすることはできない。それとおなじで、起こるときはすべてがそのタイミングで起こるようになっているのだから。」
「でも、それでひどい目に遭っている人も多いですけどね。」
「冬の寒さで凍えている動物は、そこで命を落とす事もある。流れに身を任せていると、その中に取り込まれる時もある。」
「それじゃあ、こういう事が起こった場合は、私達はただ翻弄されるだけだと言う事で?」
「君はなんで今ここに居る?そして、避難した人と、しなかった人。どうしてそういう風になった?」
「偶然?」
「いいや、選択したからだよ。」
「選択?私の場合は今ここにいるからいるのだと思ってましたけど。」
「君は、今ここに居る事を選択している。だからここに居る。」
「ということは、選択すると運命が変わるのですか?」
「選択する事が重要なのだよ。それがどのような運命になるかはその先に繋がるのだから。」
「ん?つまり、選択するのは運命を変えるためではないんですか?」
「選択するのは、それをする必要があるからするんだよ。」
「???良くわかりませんが。」
「運命とかそういうものは基本的に変化しない。そこにあるのは選択する意識の存在。その選択をした理由、それをした事による反応。それを後で考えた時の反応。そういうものを得るために、今選択する必要がある。」
「でも、選択するには、目的を決めないといけないでしょう?目的を決めすぎると、そこで意識が捕らわれてしまうのでは?」
「目的を決める、という選択をしているのだとしたら?」
「それを言うと、なんでもそうなってしまうじゃないですか。」
「君たちは自分で人生を選んで、組み立てていると思っているかもしれない。でも、自分とはどこまでが自分なんだろうね?」
「認識できる範囲まで?」
「宇宙はどこまでが宇宙?」
「認識できる範囲と理論によって推測された先までかな?」
「冬はどこまでが冬?」
「立春の来るくらい。もしくは桜の花が咲くくらいかな?」
「さて、この問答である方向性が見えないかな?」
「方向性?なんですかそれ。」
「すべて、ここにあげたモノに範囲、基準は君の認識する範囲でしかない、という事が分かるだろう? 春が来るまでが冬、という場合は「春」ってどこからが春なのか?という疑問がわくはずだが。その春の範囲は君の認識の範囲でしかないだろう。」
「つまり、世界はすべて自分の認識している範囲無いでしか物事は動かない、という事ですか。」
「選択をしていく事は、自分の認識を広く持てるようになる事。選ぶ必要が無いのならば、その生はただひたすら同じ生を繰り変えす。まるで金太郎飴のようにね。どこを切っても同じ模様。」
「金太郎飴、なんか高次の存在らしからぬたとえですね。じゃあ、選択していくとどうなるんです?」
「分岐が増える。一本であったものが、2本になり、2本が4本、と広がっていく。
最後には、ハチの巣状になった、いく万という分岐の束になるので、切る場所によって、全く異なる模様を示すようになる。」
「それって、いわゆるパラレルワールド的な別宇宙の存在的な話ですか?」
「そうではなくて。その多数の束になった切断面が君達のような1つの「人格」と言える。君たちは、選択した結果の集合体、ではなくて、選択している途中の集合体になる。」
「ははぁ、なんとなく分かりましたけど。これはイメージで伝えられている私だから理解できても。他の人には伝わりにくいでしょうね。」
「君たちは、ここにある切断面。そこにある選択を行うためにここに存在している。」
「だから、いろいろと迷わされるわけですか。ガイドもいっしょくたになって。」
「ガイドにはその先の選択も見えている、だから教えない。それだけだよ。」
「今回、被害に遭われた方と、そうでない方を分けたのは、その選択のせい?」
「そういう選択をするべきタイミングに存在したのか、まだその選択が先にあるか。だけの違いだよ。」
「言葉だけ聞くと冷たい感じですが、納得はできますね。」
「選択する必要がある存在は、それだけ選択する時間を必要とするが。今回の時代に、選択する必要があまり無い存在は、そこに居る時間も短くなる。」
「一生が苦しい場合でも?」
「まだ選択できる場合は、まだまだ先に君たちにとって『良い』と思える選択肢は存在する。」
「それを見つける方法は無いもんですかね?」
「そのために、選択し続けるしかないんだよ。」
「自分の先を知るには?」
「選び続ける事だよ。」
「その先には?」
「『知る』世界がある。」
「すべてを理解するって事?」
「今の自分を『知る』事で自分の宇宙すべてを受け入れる事が出来るようになる。」
「それはどれくらい先になるんですかね?」
「今の生を終えるまで。」
「それまでは、選択し続けろと。」
「それが今の目的なんだから。」
しかし、この話はイメージと同時に見ながら聞くと良く分かるのですが。
言葉だけだとちょっと誤解を生みそうな感じですね、
まあ、この内容を詳しく聞きたい方がおりましたら。セミナーの時などに聞いていただけるとご説明致しますよ。
さて、私は今週末には東京に行きますので。
ちょっとその準備で今日も動き回ってましたが。
なぜに東京に行くのか?
答えはWebで!!
って明日のブログですね。
もうこのネタも古いか。
まるの日セミナー情報はこちら
http://d.hatena.ne.jp/marunohikafe/
まるの日圭のヘミシンクCD販売はこちら・近々追加CD入荷します。
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九州はすっかり春ですね。
日常に感謝して、そして現状の自分を受け入れて。
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さて、コメントでも彼ネタが出たのでちょっとその関係の話でも。
「彼」とは高次のガイドなんですが。
その素性に関しては、まあいろいろと見方はあります。
私の認識する世界すべてであり、「彼」という個の存在であり。
1つであり、全体である。
なぜに彼と呼ぶかと言うと、固有の名詞を感じたままに付ける事もできますけど。
それやると、みなさんが「その名」でしか認識しなくなるので。
「彼」というあいまいな表現にしております。
それに、マップスに出てくる「彼(ヒイ)」から取っているのもあるんですけどね。
超文明のエネルギー生命体が、肉体をもったときに名乗る名前が、この「彼(ヒイ)」なんですよ。
なので、ちょっと似ているかなあ、というところで。
彼(ヒィ)とシアンの、光破船団を開放する話のところは、私の好きな場面の1つなんですが。
そういう感じで、彼という存在になっています。
ハイアーセルフとも違う、人類全体にアクセスしている存在みたいなものですかね?
1つの言葉でくくってしまうと、それは表現として楽なんでしょうけど。
それを言うと宗教になりそうなのでその言葉には表現していないところですね。
で、彼に聞いた、今回の件の話・
「で、あなたの目線ではどう思うのですか?」
「季節はめぐり、春が来て、夏が来て、秋がきて、冬が来る。自然にはそういうリズムと循環の仕組みがある。」
「つまり、1つの流れでしかないと?」
「人間には季節の流れを逆にすることはできない。それとおなじで、起こるときはすべてがそのタイミングで起こるようになっているのだから。」
「でも、それでひどい目に遭っている人も多いですけどね。」
「冬の寒さで凍えている動物は、そこで命を落とす事もある。流れに身を任せていると、その中に取り込まれる時もある。」
「それじゃあ、こういう事が起こった場合は、私達はただ翻弄されるだけだと言う事で?」
「君はなんで今ここに居る?そして、避難した人と、しなかった人。どうしてそういう風になった?」
「偶然?」
「いいや、選択したからだよ。」
「選択?私の場合は今ここにいるからいるのだと思ってましたけど。」
「君は、今ここに居る事を選択している。だからここに居る。」
「ということは、選択すると運命が変わるのですか?」
「選択する事が重要なのだよ。それがどのような運命になるかはその先に繋がるのだから。」
「ん?つまり、選択するのは運命を変えるためではないんですか?」
「選択するのは、それをする必要があるからするんだよ。」
「???良くわかりませんが。」
「運命とかそういうものは基本的に変化しない。そこにあるのは選択する意識の存在。その選択をした理由、それをした事による反応。それを後で考えた時の反応。そういうものを得るために、今選択する必要がある。」
「でも、選択するには、目的を決めないといけないでしょう?目的を決めすぎると、そこで意識が捕らわれてしまうのでは?」
「目的を決める、という選択をしているのだとしたら?」
「それを言うと、なんでもそうなってしまうじゃないですか。」
「君たちは自分で人生を選んで、組み立てていると思っているかもしれない。でも、自分とはどこまでが自分なんだろうね?」
「認識できる範囲まで?」
「宇宙はどこまでが宇宙?」
「認識できる範囲と理論によって推測された先までかな?」
「冬はどこまでが冬?」
「立春の来るくらい。もしくは桜の花が咲くくらいかな?」
「さて、この問答である方向性が見えないかな?」
「方向性?なんですかそれ。」
「すべて、ここにあげたモノに範囲、基準は君の認識する範囲でしかない、という事が分かるだろう? 春が来るまでが冬、という場合は「春」ってどこからが春なのか?という疑問がわくはずだが。その春の範囲は君の認識の範囲でしかないだろう。」
「つまり、世界はすべて自分の認識している範囲無いでしか物事は動かない、という事ですか。」
「選択をしていく事は、自分の認識を広く持てるようになる事。選ぶ必要が無いのならば、その生はただひたすら同じ生を繰り変えす。まるで金太郎飴のようにね。どこを切っても同じ模様。」
「金太郎飴、なんか高次の存在らしからぬたとえですね。じゃあ、選択していくとどうなるんです?」
「分岐が増える。一本であったものが、2本になり、2本が4本、と広がっていく。
最後には、ハチの巣状になった、いく万という分岐の束になるので、切る場所によって、全く異なる模様を示すようになる。」
「それって、いわゆるパラレルワールド的な別宇宙の存在的な話ですか?」
「そうではなくて。その多数の束になった切断面が君達のような1つの「人格」と言える。君たちは、選択した結果の集合体、ではなくて、選択している途中の集合体になる。」
「ははぁ、なんとなく分かりましたけど。これはイメージで伝えられている私だから理解できても。他の人には伝わりにくいでしょうね。」
「君たちは、ここにある切断面。そこにある選択を行うためにここに存在している。」
「だから、いろいろと迷わされるわけですか。ガイドもいっしょくたになって。」
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「今回、被害に遭われた方と、そうでない方を分けたのは、その選択のせい?」
「そういう選択をするべきタイミングに存在したのか、まだその選択が先にあるか。だけの違いだよ。」
「言葉だけ聞くと冷たい感じですが、納得はできますね。」
「選択する必要がある存在は、それだけ選択する時間を必要とするが。今回の時代に、選択する必要があまり無い存在は、そこに居る時間も短くなる。」
「一生が苦しい場合でも?」
「まだ選択できる場合は、まだまだ先に君たちにとって『良い』と思える選択肢は存在する。」
「それを見つける方法は無いもんですかね?」
「そのために、選択し続けるしかないんだよ。」
「自分の先を知るには?」
「選び続ける事だよ。」
「その先には?」
「『知る』世界がある。」
「すべてを理解するって事?」
「今の自分を『知る』事で自分の宇宙すべてを受け入れる事が出来るようになる。」
「それはどれくらい先になるんですかね?」
「今の生を終えるまで。」
「それまでは、選択し続けろと。」
「それが今の目的なんだから。」
しかし、この話はイメージと同時に見ながら聞くと良く分かるのですが。
言葉だけだとちょっと誤解を生みそうな感じですね、
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少しわかりにくかったですね
f^_^;
高次の存在から見ると
ドラゴンクエストの冒険の書のように
いくつものパターン(パラレル)を
作れるのかと思ってたら
それとも違うようですね。
この世界では全くの他人の
Aという選択をした逢坂さんと
Bという選択をした櫛枝さんが
おおもとの方へ少したどれば
実はつながっていて
人間や生命体というのは
別個のように見えても
選択肢の集合体といえる、
ということでしょうか?
ただ自分のように
生かされているというのは
まだ選択できる余地がある
といえるようですね。
せっかく生きているのだから
充実させたいと思います
o(`▽´)o
独立されたとのことで
たまに買い物させていただくこと
しかできませんが
”(ノ><)ノ
応援しています
\(^o^)/
金太郎飴ですか・・また一つ、御記事にて ”選択” の意味が明らかになりましたね。
“今、この瞬間”にもそうしないで生きる選択もあるのだな…と、記事を読んでいて思いました。
今までの人生で選択してきた先にあったもの、エゴの正体&魂としての自分を知りたくてヘミシンクに出会った。
さぁて、この先には何が待っているのかしら♪
人生の結果は、それも、選択した結果ですね。
ガイドは、先を知っているが、あえて言わないで、方向性を示してくれるのですね。
ヘミシンクを知ったのも、一つの選択ですね。
選択が目的か?。
なるほど?。
漠然としてても高次の方がおっしゃると納得できちゃいますねo(^-^)o
人類は役者として舞台に立つことを選択したのですね☆
ガイドさん達はそれを演出するためにスタッフとして回っていますが裏方に混ざって監督も見えますね。
地球外からそれを鑑賞しに来場したお客さんには楽しんで頂けると良いですね。
集められた役者さん達は演技派ばかりなのできっと楽しんで頂けるはずです。
自分の演技にのめり込んで陶酔する役者さんもいらっしゃるくらい本格的ですから。
もし、物語を発表される場合は読み手と創り手があって実現されるものですよね。
あまり人気を狙い過ぎても良い作品はできないかも知れませんけど…。
とりあえず来年で一つのチャプターは完了ですね♪
台本には次の章が書かれてありますが、
本番では忘れていた方が演技にフォーカスできるかも。
楽屋で選択した事を理解し直せばいつでも思い出せますし。
今や設定が複雑になり過ぎてちょっと難しくなってますが…。
最初の頃はシンプルだったので楽しめばきっと思い出せます。
ところで、前々から「彼」のコメントを聞いていると私は何となく素直に納得してしまっています。ヘミシンクとは直接関係ないのですが「老荘思想」に近いのです。
いささか興味があって少し齧っている程度なのですが、「禅」と「老荘思想」の入門書に書いてあることと「彼」の見解は驚くほど一致しているように(私には)見えます。
…いや、だから何だ、と言われると困るのですが。
選択して、その結果認識を広げていく。これはひょっとして、引き寄せの法則で言われているコントラストを触媒に拡大していくことと同じかもしれないですね。コントラストが小さければ、選択する必要性もまた小さくなりますし、コントラストが大きければ、波瀾万丈になりますが、それだけ自分の好みを選ぶ幅や願望も大きくなる。そうやってわたしたちは人生が終わるまで拡大し続けるんでしょうね。
私はほんのさわりしか知らないのですが。
私ので会う存在は、そういう感じの人達が多いですね。
私はヘミシンクを「21世紀の禅」だと思っていますので。そういう思想だからそういう存在との出会いも多いのかと。
まあ、選択する努力をするから、今ここにいる必要があるって事ですね。
だから、今やるべきと感じた事はやっていくべきなんかな、と思う次第です。
もちろん、ある程度の節度はもって。
ですけどね。
どんどん専門的にプロに近ずくと 仕事との両立はどうするんだろうって
思ってましたが・・・
いつかは 日本のヘミシンク第一人者のひとりに
なるであろうことは予感しましたが
きっと 悩まれたこととは思いますね
しかし 既に本を何冊も出版してる位だし
どこで踏ん切りをつけるか
例の交通事故に遭って(遭わされた?)
考える時間を与えてくれたのでしょうかね
この項では人生は選択の連続である
というメッセージはわかります
映画「ベンジャミンバトン」って中でも
人生の瞬間の選択の場面を考えるシーンにも
ありました
あと1分遅く出てたら 事故に遭わなかったのに・・・
あと1分早く出てたら 津波に呑まれなかったのに・・
人生は全てにおいて選択の連続ですもんね
これって 中国の占いの『外応』で対処できる
部分もあるのではないですか
自分の内面の声に従うのと 外応も考慮すると