今日も真っ青な空。
こういう空を見ると、アタゴオル物語の、猫の目石の話で夢の国行くところ、そこの世界の空をイメージします。たぶん、こんなに真っ青な空の下で、ヒデヨシとテンプラは冷麦食っていたんだろうなあ、とか。
ARIAで夏の陽炎の中、ケットシーのカフェに紛れ込む話の時の空とか。
って、マンガの例え話ばかりになってますが。
映画やドラマで言うと・・・・・・・。
うーむ、夏の空のイメージが沸かないですね。実写だと、想像の余地がないので、青空の表現がいまひとつリアルに感じないのですよね。小説やマンガのほうが、青空をイメージできます。
映画で、あえて言うなら、「ヒルコ」で、地底から出てきた主人公が見上げた空の色でしょうか。
また、マニアックなものもってきましたが。
諸星大二郎の「海竜祭の夜」に原作ありますけど、映画は和製ホラーとしてはとても出来がよろしいです。夏におススメの作品ですよ。ちょっと特撮安っぽいですけど、テンポのよさでは「ヒドゥン」なみにイケテます。まあ、出てくる妖怪も似たような出来ですけどね。
タイトルが「妖怪ハンター ヒルコ」なので、友人に話すとたいてい美少女が戦うなにかそういうアニメをイメージしてしまうらしいですが。
そういう内容ではまったくありません。ジュリーに竹中直人と実力者俳優も良い味出してます。
まるの日圭おススメの、夏の映画ですね。
青空の話題から映画のネタになりましたが。
今日のヘミシンクはちょっとチャネリング講座。
今日はフォーカス27で『彼』と久々出会いまして。
そこで、いわゆる「チャネリング」に関する話をしておりました。
ガイドと会って会話する、向こうへ移行した方と対話する。これもチャネリングですしね。
なんでも、高次と名乗る存在、宇宙人とだけがチャネリングってわけじゃないですから。
「チャネリングは特殊な人しか出来ない感じしますけど?」
「君達は普通にしている。何も特殊なことではない。」
「どこが普通なんですか?いきなり、会議のプレゼン中に『降りてきた!!』とか言って自動書記して、それをプレゼンに盛り込むとかそういうの無いでしょう。
たいていは宇宙人か高次の存在が、ありがたそうな話をして終わるパターンとか、予言したりするだけじゃないので?」
「君はもう、そこで答えを言っているよ。」
「宇宙人?」
「違う、プレゼンの話だ。
君達が、何かをしようと思って、意識を投げる時がある。『こうすればどうなるかなあ?』と言う感じで。その時、次々と思考を投げ続けていると、何も下りてこないが。
意識を投げた後に、ふと感じる答え。それがチャネリングして得られた答え、でもある。」
「そんな事言うと、学者や作家はみんなチャネラーじゃないですか。」
「そう。皆普通に行っているのだよ。それが顕著に現れるか現れないかの違いのみ。」
「でも、普通、それをチャネリングって言わないんじゃ?ただのひらめきとか直感とかアイデアとかそういうものでしょう?それに、アイデアは経験から導き出されるのだし。」
「君達は時間軸を『過去から未来』という流れでみているからそう思うのだ。全てが同時にあり、順番もすべて任意だったとしたらどうなる?」
「言いたい事はわかりました。アイデアは過去の経験から導き出されているのではなく、アイデアの出るタイミングにあわせて、すべての経験がすでに配置されていると、そういいたいのでしょう?コレまでに良く出てきて話ですが。」
「君が一つの物語を思いついたとき。その話は今までに読んだ何かととても似ていると思う。
しかし、それは君が一つの物語を思いつくために、過去に読むように設定されていたのだよ。」
「それ言い始めると、自殺する人は、自殺するように仕組まれていた。って話になりません?
これは人間としては受け入れがたい考え方ではないですかね?」
「そう受け取る人間はそうすればいい。だが、人間はそれに気付いた時、そうならないようにと動く事もできる。『運命』と思って動かないのか『運命でも関係ない』と思って動くのか。どちらもその現象を見た本人が判断する事だ。」
「上手く巻かれているような気もしますけどね。」
「同じ『水から氷になる』様子を見て、「水が死を迎えた形が氷なのだ」と思うのか「氷になる過程が水なのだ」と思うのか。それとも「水分子の振動量の変化」とだけ受け取るのか。同一の現象を目の前にしても様々に考える事ができる。それは、その人の持つ「生」が人と同じではないからだ。」
「そりゃあそうでしょうね。ならば、チャネリングというのも、同じ存在から受け取る内容もかなり変化するんじゃないですか?」
「そうだろうね。同じ存在が言う言葉でも、先ほどの水と氷の話のように。
水と氷しか見ていないのか、水を主役にするのか。もしくは世界の構成元素まで遡ってみるのか。それで受け取り方が違う場合も多い。」
「それって、かなりアヤシイってことじゃないですかね?」
「しかし、どれも真実だ。」
「チャネリングは受け取る人のフィルター次第ってこと、というのは私も体験上理解できますが、同じ存在から同じ情報を受け取る人もいるでしょう?あれは?」
「同じ波長に合わせられるからだよ。同じようなフィルターを持っている人間同士であれば、同じような情報を受け取ってあたりまえ。同じ目の濾し機を使っているようなものだから。
「竹のザル」と「コーヒーフィルター」同じ濾す道具ではあるが、全く違う性質だ。竹のザルで粉のコーヒーを入れるとどうなる?
したに落ちるお湯には、粉の混じったコーヒーの出来損ないが溜まってくるはずだ。
しかし、コーヒーフィルターで濾した場合は、香り高いコーヒーがしたに溜まる。
そして、他人から見たら、後者の方のコーヒーを「本物」と言うだろう。
しかし、前者のザルで濾したものも、同じ「本物」でもある。粉のたくさん入っているだけの。」
「それ言い出すと、なんでも受け取った情報は正解って事になりません?」
「正解はない。間違いも無い。ただ、その情報が世間に受け入れられるかどうか。それだけだよ。」
「でも、妄想一直線!の人もいるでしょうに。」
「ある意味、チャネリングだよ。」
「どこが?」
「目的のものでないものにつながってはいるが、自分と別の意識にアクセスしているという点ではね。」
「妄想もチャネリング?」
「向こうに置いた鏡に自分の意識を当てて、跳ね返しているだけの場合もある。その場合は『鏡に映った自分の意識』とチャネリングしているようなものだよ。」
「それって、なんかチャネリングと基本が違うような気がする。」
「自分の中にある欲望、願望、恐怖、そういう強い潜在的な気持ち。それを投影した存在から情報が来た場合、それに沿った内容のものしか降りてこない。」
「それは、チャネリング全否定?」
「だから、自分にある欲などの感情を、一旦外から見る感覚を身につけておく必要もある。
『何かの存在』からの情報なのか、『鏡に映った自分の意識』を見ているだけなのか。」
「その、感情を外からみる感覚って難しくないですか?」
「だから、君達は現実世界で生きているのだろう。そこえ出会う人々と接触し、傷つき、喜び、悲しみ。そういう感情を味わう事で、自分の感情に気付き、それを俯瞰できるようになる。」
「普通は感情に溺れるのでは?」
「それを繰り返す事が必要。何でも楽しようとしたら余計に遠回りになる。」
「溺れて這い上がれない人もいるでしょうに。」
「どこにでも、君達に助けを差し伸べるものは存在する。地獄絵図の中にも、くもの糸を垂らしてくる存在はいるのだよ。それは現実世界にも必ず居る。」
「居ない人は?」
「その手助けの糸に気付いていないのだよ。」
「じゃあ、クモの糸なんか弱いのじゃなくて、荒縄とかそういうのにすればいいのに。」
「その荒縄が自分を助けるものだと気付くならば、クモの糸にも気付くはず。」
「なんで?」
「救いの糸を見つけようとする意識があるならば、いくら細くても糸は見えるものだ。」
「つまり、感情に溺れている人は、その状態が自分にとって心地よいからそこにいる、という感じですか。」
「心地よいかどうかはその人次第だが、そこに存在することで自分の存在を確認できている、というところだろう。
そこの場所で、自分の存在に違和感を覚えた時、初めて人はその先に進もうと道を探し始める。その時の案内は細い糸で十分だ。」
「捕らわれ領域と、レトリーバルの関係に似ていますね。捕らわれ領域に自分が気付いた時でないと、レトリーバルできないという感じで。」
「現実世界で普通に生きていれば、普通にチャネリングできる要素はみな持っている。
ただ、それに気付かない。今ある環境が心地よいから、その先に出ようとしない。だから気付かない。」
「ある意味手厳しい言葉ですね。」
「常にそこにあるモノに気付くには、今の自分を見る感覚が必要になる。
一つ違う視点からモノを見る感覚。」
「それは、瞑想することや、静かに内観することや。体外離脱も効果的だという事ですか。」
「現実世界でいうと、旅に出るのもいいことだ。生活環境を変えてみるのもいい。」
「結局、山にこもって瞑想する、というのは昔から行われていますが、一番効果的な方法ではあったんですね。チャネリングというか、そういうものを得るには。
日常の空間から脱して、一人自分の内を見つめ続ける。
でも、そんなこと現代人は出来ないでしょう?」
「できるさ。電車の中、飛行機の中、仕事中、風呂場で。どこででも、そこの空間を自分の意識で違う空間にもって行けば問題ないことだ。」
「ヘミシンクとかで変性意識に入るのもいいんですね。」
「そう。意識を変えて見る事。それだけでもつながりやすくなる。」
「でも、鏡の自分とチャネリングした場合は?」
「自分の中にある意識なんだと受け入れる事。」
「で?」
「何が?」
「いや、その受け入れたあとはどうするんですか?」
「そこで気付いた事をやればいい。」
「いつもながら、具体的には言わないんですね。」
「人それぞれ、気付きは違うのだから。」
「その、自分の鏡とチャネリングした場合の見分け方は?」
「光。」
「光っているならばいいという事?」
「光の波長を見る事。自分の中にある波長との違和感を感じる事。」
「難しいですね。もっと簡単に言うと?」
「なんか、いい事言ってくるけど、人を非難したり。否定したり、拒否したり。脅かしたり。
そういう傾向がある場合は、ちょっと間を置く事。」
「でも、ルリカさん脅かしてきますよ。」
「冗談の範囲だろう、あれは。」
「軽く流せる程度ならよくて、笑って済ませられない場合はちょっと要注意ということですが。じゃあ、逆にいい事ばっかり言ってる場合は?」
「それも要注意。」
「どっちもダメじゃん!」
「いい事、というのは自分にとって心地良いことなのだから。自分がそれを鏡に跳ね返している可能性もある。」
「それって、見分け方が余計に分かりにくいですね。」
「心地良いことは、自分の欲求が反映されている場合がある。」
「見分け方は?」
「違和感を感じる事。」
「さっきの光の話と同じですか。違和感って、どんな感じで?」
「やたらと自分にとって都合のいい事ばかりを受け取る場合も、すこし間を取る必要がある。」
「なんか、チャネリングって、間合いを取るばかりですね。」
「君達も現実世界で人と対話する時、どうする? 間合いが必要だろう?」
「確かに、マナー研修でも習いましたよ。人と対話する時には適切な距離があると。
近すぎると威圧感や無駄な親密感を出してしまい、遠すぎると疎遠な感じを受けるような話。」
「それと同じだよ。人も非物質的存在も高次の存在もすべて同じだよ。元は同じものなのだから。」
「その間合いを取る方法は?」
「現実世界で学ぶといい。」
「もっと簡単に。」
「非物質世界と現実世界の双方で学ぶといい。」
「ぜんぜん簡単じゃないじゃないですか。」
「一つの世界で学ぶよりも、同じ時間を使って双方で学べば、君達の言うところの『効率的』なことだろう。」
「結局、勉強には時間と経験が必要ということですか。」
「そうなるように、ちゃんと設定してある。」
「それって、私の事?」
「だから、今があるのじゃないか」
「やれやれ、この対話も織り込み済み、いろいろな相談事も織り込み済みてことですか。」
「そう。」
「これから起こることは教えてくれないのですか?」
「それが必要な場合は教える事もある。」
「今は?」
「必要ない。」
「宝くじの番号くらい教えていただいても・・・。」
「必要ない。」
「いつになったら必要になるので?」
「その時に教えるよ。」
と言うような感じで。
チャネリングについての話を聞いてみましたが。
久々の『彼』登場ですが、相変わらず良い波長してますね。
包み込まれるような、そんな安心感を改めて感じました。
彼と会ったのは、昨日山を走った効能でしょうかね?
こういう空を見ると、アタゴオル物語の、猫の目石の話で夢の国行くところ、そこの世界の空をイメージします。たぶん、こんなに真っ青な空の下で、ヒデヨシとテンプラは冷麦食っていたんだろうなあ、とか。
ARIAで夏の陽炎の中、ケットシーのカフェに紛れ込む話の時の空とか。
って、マンガの例え話ばかりになってますが。
映画やドラマで言うと・・・・・・・。
うーむ、夏の空のイメージが沸かないですね。実写だと、想像の余地がないので、青空の表現がいまひとつリアルに感じないのですよね。小説やマンガのほうが、青空をイメージできます。
映画で、あえて言うなら、「ヒルコ」で、地底から出てきた主人公が見上げた空の色でしょうか。
また、マニアックなものもってきましたが。
諸星大二郎の「海竜祭の夜」に原作ありますけど、映画は和製ホラーとしてはとても出来がよろしいです。夏におススメの作品ですよ。ちょっと特撮安っぽいですけど、テンポのよさでは「ヒドゥン」なみにイケテます。まあ、出てくる妖怪も似たような出来ですけどね。
タイトルが「妖怪ハンター ヒルコ」なので、友人に話すとたいてい美少女が戦うなにかそういうアニメをイメージしてしまうらしいですが。
そういう内容ではまったくありません。ジュリーに竹中直人と実力者俳優も良い味出してます。
まるの日圭おススメの、夏の映画ですね。
青空の話題から映画のネタになりましたが。
今日のヘミシンクはちょっとチャネリング講座。
今日はフォーカス27で『彼』と久々出会いまして。
そこで、いわゆる「チャネリング」に関する話をしておりました。
ガイドと会って会話する、向こうへ移行した方と対話する。これもチャネリングですしね。
なんでも、高次と名乗る存在、宇宙人とだけがチャネリングってわけじゃないですから。
「チャネリングは特殊な人しか出来ない感じしますけど?」
「君達は普通にしている。何も特殊なことではない。」
「どこが普通なんですか?いきなり、会議のプレゼン中に『降りてきた!!』とか言って自動書記して、それをプレゼンに盛り込むとかそういうの無いでしょう。
たいていは宇宙人か高次の存在が、ありがたそうな話をして終わるパターンとか、予言したりするだけじゃないので?」
「君はもう、そこで答えを言っているよ。」
「宇宙人?」
「違う、プレゼンの話だ。
君達が、何かをしようと思って、意識を投げる時がある。『こうすればどうなるかなあ?』と言う感じで。その時、次々と思考を投げ続けていると、何も下りてこないが。
意識を投げた後に、ふと感じる答え。それがチャネリングして得られた答え、でもある。」
「そんな事言うと、学者や作家はみんなチャネラーじゃないですか。」
「そう。皆普通に行っているのだよ。それが顕著に現れるか現れないかの違いのみ。」
「でも、普通、それをチャネリングって言わないんじゃ?ただのひらめきとか直感とかアイデアとかそういうものでしょう?それに、アイデアは経験から導き出されるのだし。」
「君達は時間軸を『過去から未来』という流れでみているからそう思うのだ。全てが同時にあり、順番もすべて任意だったとしたらどうなる?」
「言いたい事はわかりました。アイデアは過去の経験から導き出されているのではなく、アイデアの出るタイミングにあわせて、すべての経験がすでに配置されていると、そういいたいのでしょう?コレまでに良く出てきて話ですが。」
「君が一つの物語を思いついたとき。その話は今までに読んだ何かととても似ていると思う。
しかし、それは君が一つの物語を思いつくために、過去に読むように設定されていたのだよ。」
「それ言い始めると、自殺する人は、自殺するように仕組まれていた。って話になりません?
これは人間としては受け入れがたい考え方ではないですかね?」
「そう受け取る人間はそうすればいい。だが、人間はそれに気付いた時、そうならないようにと動く事もできる。『運命』と思って動かないのか『運命でも関係ない』と思って動くのか。どちらもその現象を見た本人が判断する事だ。」
「上手く巻かれているような気もしますけどね。」
「同じ『水から氷になる』様子を見て、「水が死を迎えた形が氷なのだ」と思うのか「氷になる過程が水なのだ」と思うのか。それとも「水分子の振動量の変化」とだけ受け取るのか。同一の現象を目の前にしても様々に考える事ができる。それは、その人の持つ「生」が人と同じではないからだ。」
「そりゃあそうでしょうね。ならば、チャネリングというのも、同じ存在から受け取る内容もかなり変化するんじゃないですか?」
「そうだろうね。同じ存在が言う言葉でも、先ほどの水と氷の話のように。
水と氷しか見ていないのか、水を主役にするのか。もしくは世界の構成元素まで遡ってみるのか。それで受け取り方が違う場合も多い。」
「それって、かなりアヤシイってことじゃないですかね?」
「しかし、どれも真実だ。」
「チャネリングは受け取る人のフィルター次第ってこと、というのは私も体験上理解できますが、同じ存在から同じ情報を受け取る人もいるでしょう?あれは?」
「同じ波長に合わせられるからだよ。同じようなフィルターを持っている人間同士であれば、同じような情報を受け取ってあたりまえ。同じ目の濾し機を使っているようなものだから。
「竹のザル」と「コーヒーフィルター」同じ濾す道具ではあるが、全く違う性質だ。竹のザルで粉のコーヒーを入れるとどうなる?
したに落ちるお湯には、粉の混じったコーヒーの出来損ないが溜まってくるはずだ。
しかし、コーヒーフィルターで濾した場合は、香り高いコーヒーがしたに溜まる。
そして、他人から見たら、後者の方のコーヒーを「本物」と言うだろう。
しかし、前者のザルで濾したものも、同じ「本物」でもある。粉のたくさん入っているだけの。」
「それ言い出すと、なんでも受け取った情報は正解って事になりません?」
「正解はない。間違いも無い。ただ、その情報が世間に受け入れられるかどうか。それだけだよ。」
「でも、妄想一直線!の人もいるでしょうに。」
「ある意味、チャネリングだよ。」
「どこが?」
「目的のものでないものにつながってはいるが、自分と別の意識にアクセスしているという点ではね。」
「妄想もチャネリング?」
「向こうに置いた鏡に自分の意識を当てて、跳ね返しているだけの場合もある。その場合は『鏡に映った自分の意識』とチャネリングしているようなものだよ。」
「それって、なんかチャネリングと基本が違うような気がする。」
「自分の中にある欲望、願望、恐怖、そういう強い潜在的な気持ち。それを投影した存在から情報が来た場合、それに沿った内容のものしか降りてこない。」
「それは、チャネリング全否定?」
「だから、自分にある欲などの感情を、一旦外から見る感覚を身につけておく必要もある。
『何かの存在』からの情報なのか、『鏡に映った自分の意識』を見ているだけなのか。」
「その、感情を外からみる感覚って難しくないですか?」
「だから、君達は現実世界で生きているのだろう。そこえ出会う人々と接触し、傷つき、喜び、悲しみ。そういう感情を味わう事で、自分の感情に気付き、それを俯瞰できるようになる。」
「普通は感情に溺れるのでは?」
「それを繰り返す事が必要。何でも楽しようとしたら余計に遠回りになる。」
「溺れて這い上がれない人もいるでしょうに。」
「どこにでも、君達に助けを差し伸べるものは存在する。地獄絵図の中にも、くもの糸を垂らしてくる存在はいるのだよ。それは現実世界にも必ず居る。」
「居ない人は?」
「その手助けの糸に気付いていないのだよ。」
「じゃあ、クモの糸なんか弱いのじゃなくて、荒縄とかそういうのにすればいいのに。」
「その荒縄が自分を助けるものだと気付くならば、クモの糸にも気付くはず。」
「なんで?」
「救いの糸を見つけようとする意識があるならば、いくら細くても糸は見えるものだ。」
「つまり、感情に溺れている人は、その状態が自分にとって心地よいからそこにいる、という感じですか。」
「心地よいかどうかはその人次第だが、そこに存在することで自分の存在を確認できている、というところだろう。
そこの場所で、自分の存在に違和感を覚えた時、初めて人はその先に進もうと道を探し始める。その時の案内は細い糸で十分だ。」
「捕らわれ領域と、レトリーバルの関係に似ていますね。捕らわれ領域に自分が気付いた時でないと、レトリーバルできないという感じで。」
「現実世界で普通に生きていれば、普通にチャネリングできる要素はみな持っている。
ただ、それに気付かない。今ある環境が心地よいから、その先に出ようとしない。だから気付かない。」
「ある意味手厳しい言葉ですね。」
「常にそこにあるモノに気付くには、今の自分を見る感覚が必要になる。
一つ違う視点からモノを見る感覚。」
「それは、瞑想することや、静かに内観することや。体外離脱も効果的だという事ですか。」
「現実世界でいうと、旅に出るのもいいことだ。生活環境を変えてみるのもいい。」
「結局、山にこもって瞑想する、というのは昔から行われていますが、一番効果的な方法ではあったんですね。チャネリングというか、そういうものを得るには。
日常の空間から脱して、一人自分の内を見つめ続ける。
でも、そんなこと現代人は出来ないでしょう?」
「できるさ。電車の中、飛行機の中、仕事中、風呂場で。どこででも、そこの空間を自分の意識で違う空間にもって行けば問題ないことだ。」
「ヘミシンクとかで変性意識に入るのもいいんですね。」
「そう。意識を変えて見る事。それだけでもつながりやすくなる。」
「でも、鏡の自分とチャネリングした場合は?」
「自分の中にある意識なんだと受け入れる事。」
「で?」
「何が?」
「いや、その受け入れたあとはどうするんですか?」
「そこで気付いた事をやればいい。」
「いつもながら、具体的には言わないんですね。」
「人それぞれ、気付きは違うのだから。」
「その、自分の鏡とチャネリングした場合の見分け方は?」
「光。」
「光っているならばいいという事?」
「光の波長を見る事。自分の中にある波長との違和感を感じる事。」
「難しいですね。もっと簡単に言うと?」
「なんか、いい事言ってくるけど、人を非難したり。否定したり、拒否したり。脅かしたり。
そういう傾向がある場合は、ちょっと間を置く事。」
「でも、ルリカさん脅かしてきますよ。」
「冗談の範囲だろう、あれは。」
「軽く流せる程度ならよくて、笑って済ませられない場合はちょっと要注意ということですが。じゃあ、逆にいい事ばっかり言ってる場合は?」
「それも要注意。」
「どっちもダメじゃん!」
「いい事、というのは自分にとって心地良いことなのだから。自分がそれを鏡に跳ね返している可能性もある。」
「それって、見分け方が余計に分かりにくいですね。」
「心地良いことは、自分の欲求が反映されている場合がある。」
「見分け方は?」
「違和感を感じる事。」
「さっきの光の話と同じですか。違和感って、どんな感じで?」
「やたらと自分にとって都合のいい事ばかりを受け取る場合も、すこし間を取る必要がある。」
「なんか、チャネリングって、間合いを取るばかりですね。」
「君達も現実世界で人と対話する時、どうする? 間合いが必要だろう?」
「確かに、マナー研修でも習いましたよ。人と対話する時には適切な距離があると。
近すぎると威圧感や無駄な親密感を出してしまい、遠すぎると疎遠な感じを受けるような話。」
「それと同じだよ。人も非物質的存在も高次の存在もすべて同じだよ。元は同じものなのだから。」
「その間合いを取る方法は?」
「現実世界で学ぶといい。」
「もっと簡単に。」
「非物質世界と現実世界の双方で学ぶといい。」
「ぜんぜん簡単じゃないじゃないですか。」
「一つの世界で学ぶよりも、同じ時間を使って双方で学べば、君達の言うところの『効率的』なことだろう。」
「結局、勉強には時間と経験が必要ということですか。」
「そうなるように、ちゃんと設定してある。」
「それって、私の事?」
「だから、今があるのじゃないか」
「やれやれ、この対話も織り込み済み、いろいろな相談事も織り込み済みてことですか。」
「そう。」
「これから起こることは教えてくれないのですか?」
「それが必要な場合は教える事もある。」
「今は?」
「必要ない。」
「宝くじの番号くらい教えていただいても・・・。」
「必要ない。」
「いつになったら必要になるので?」
「その時に教えるよ。」
と言うような感じで。
チャネリングについての話を聞いてみましたが。
久々の『彼』登場ですが、相変わらず良い波長してますね。
包み込まれるような、そんな安心感を改めて感じました。
彼と会ったのは、昨日山を走った効能でしょうかね?
まるの日さんの、必要にくいさがるところ、ああ言えば、こう言うところ、テンポがあっていいですね。
思わず、引き込まれてしまいます。
最近、ブログを見るタイミングが遅くてコメントできずにいましたが、今日はとても関心のある話でしたので、コメントできて良かったです。
私は彼の話は好きです。また楽しみにしてます。
彼との対話とても好きです。勉強になります。知りたいことがとても分かりやすく得られて嬉しいです。圭さんがしっかり突っ込んで掘り下げて下さいますし。
「で?」「何が?」は笑ってしまいました(笑)
またよろしくお願いします。
ありがとうございました。
もしチャネリングなら、いいものに繋がっているのか悪いものに繋がっているのかどうやったら判断できるのかとか。
わかったような、わからないような・笑
もうちょっと読みこんでみようと思います。
ありがとうございました♪
今回も為になりました。チャネリングの間合い。
私の場合は自分がどんな存在とつながっているのか?の前に繋がる事が出来てるのか分かんない!?の状態ですね。なので今回のお話は後日の為のアドバイスだと思って焦らずコツコツ続けて行きます。
まるの日さんにどんな突っ込みをされても
淡々と答える「彼」が好きです。
このあたりは、経験に即してみる必要あるのかな、と思います。
人間関係も非物質関係も同じですしね。
そういえば、未来から過去に情報を伝えることは思いつきませんでした。
今度やってみようかな。