最近、ウクレレネタを書いていなかったので久々に書いときます。ちゃんと飽きずにコツコツと練習は続けておりまして、2~3曲くらいはスコア見ながら弾けるようになってきました。弦楽器は独特の響き感があって、弾いている人間も心地よくなるものなんですね。ケチらずにほどほど良いウクレレ買っておいて良かったと思いました。合板のウクレレだと音も今ひとつですからね。夏の夜に、デッキでウクレレを爪弾くなどやってみたいなあと思っていますが、暗いとスコアが見えなくて弾けませんので今のところ諦めています。蚊も飛んできますし。
で、今日のヘミシンク。昨夜、妻が知り合いの通夜に行って帰って来たのですが、その時に7、8年前に亡くなった同僚のお父さんについての話をしだすのです。病を苦に自殺されたのだとか。そこで,まだ捕らわれているかもしれないので私に探ってもらえないかと言うことです。私は、いままでレトリ―バルの要請が来ていないのでもう大丈夫なんじゃないの?と言ったのですが、前回(前職で一緒に働いていた方が病を苦に自殺されていたという話)の事もありますので、一応調べてみることに。
ゲートウェイのCDを使うと、途中でナレーションが入ってきて邪魔されるので「タッチンググレース」のCDを使ってレトリ―バルです。個人的に、このメタミュージックはあの世につながりやすい気がします。まあ、人それぞれでしょうけど。そしてレトリ―バル開始。かなり前の事なので、もういないだろうなあと思いつつフォーカス27のヘルパー島に行きました。そこで待っていると二人のヘルパーが登場。背の高いほうが楕円の光を持っています。ということは、今日レトリ―バルしないといけない人が1人いるということです。まだ成仏していないのかも。と思いつつフォーカス24あたりに行ってみるとベットでうなされている男性を発見。どうやら妻の言った心配は当たっていたようでした。その方はベッドでうなされ、そして思い出したように自殺を図り(首をつろうとしていますが、リアルなので細かいところは描写しません。)、そして楽になったかと思うとまたベットに戻ってうなされる。という事を繰り返していました。この瞬間で時間が止まっていたようです。残念ながらレトリ―バルにはだれも来ていなかった様子。もしくはまだ時期ではなかったのか。こういう現実を見ると、現世ではやれ初七日だとか四十九日だとかやっていますが、あんなものはただの儀式に過ぎないというのが良く分かります。自殺された方の場合は、特に家族の方がその死を認めてあげて、愛を持って意識を開放してあげることが大切なのだと思います。このような特定の宗教儀式に捕らわれることなくですね。すると長いこと捕らわれる事も無く成仏できるのだと思いますが。家族が自殺をすると、恥ずかしいという意識で隠してしまいがちですが、その死を認めてあげるのは家族しかいないわけですからね。家族が死者を捕らわれ領域に追い込む場合もありそうですから。
で、良くみると男性の周りには壁が築かれており、周りとの接触を一切絶っています。この壁を越えて、その男性の意識をこっちに向けさせる必要があるようです。なので私はしばらくその男性の記憶を観察しました。これはあちらのガイドが見せてくれている情報ですね。レトリ―バルは1人でするものではなく、あちらのガイド、こちらのガイド、ヘルパーとの共同作業です。そして記憶の中に海のイメージが見えました。子供と一緒にいった海の記憶です。そこで、私がそのイメージを男性に送ります。男性は過去の記憶に入り込み、表情もやわらかくなってきました。子供達と楽しげに遊ぶ風景が見えます。私もその記憶に入り込み男性に手をさしのべました。「そろそろこちらにきませんか?」と。そこで場面が壁に囲まれたベットのシーンに戻りまして、男性はハッとした表情でまわりを見ました。自分が捕らわれていたことに気がついたようです。そして自分が死んでいる事に気がつき、ヘルパーと共にフォーカス27へと上がってゆきました。
私はそこにいた誰か(たぶん男性のガイド?)に「こういう、病による鬱と自殺の関係はなんとかして絶てないものなのか?」と聞くと、「これは本人の気付きが必要。周囲の人々は気付く事を促すしかできない。間違っても導こうとしてはいけない。これは価値観の押し付けになり、自己の作り上げた殻にとじこもってしまう。」という話をされました。難しいですね。これ聞いた私でも実際にできるのかどうか。続けて、「つねに寄り添い、相手の動きをみて、それを受け入れてあげることが大切な事。そして、もしも自殺したとしても自分を責めるべきではない。『今必要な事が、そこで起こっている』のだから。そのときの心の動きをしっかりと憶えておきなさい。」と言う話もされました。上の『』でくくった言葉は特に強調していましたが、これはすべてにおいてそうなのかもしれませんね。
そんな感じで、今日のヘミシンクレトリ―バルは終了しました。また新しい事を勉強させられた気がします。妻が昨夜いきなりこのことを話し始めたのも何かに導かれてだったのでしょう。
そして、昼には休憩も兼ねてオープニング・ザ・ハートを聞きながら先日ガイドと遊んだビーチをイメージしていると、すぐに心地良くなって寝てしまいました。暑いところにいると自覚がなくても疲れているんでしょうね、最近昼休みはすぐに寝てしまいます。
今回のレトリ―バルでも感じたのが、やっぱり自殺はしないほうが良いなあということですね。苦しむから、成仏できないからとかではなくて、自分の体験で感じた結果そう思うのです。理由を聞かれると困りますが、直感ですかね。
それと、明日の共同探索実験、ぜひ興味のある方は挑戦してみて下さい。上手く行けば“彼”と出会えるかもしれませんので。
で、今日のヘミシンク。昨夜、妻が知り合いの通夜に行って帰って来たのですが、その時に7、8年前に亡くなった同僚のお父さんについての話をしだすのです。病を苦に自殺されたのだとか。そこで,まだ捕らわれているかもしれないので私に探ってもらえないかと言うことです。私は、いままでレトリ―バルの要請が来ていないのでもう大丈夫なんじゃないの?と言ったのですが、前回(前職で一緒に働いていた方が病を苦に自殺されていたという話)の事もありますので、一応調べてみることに。
ゲートウェイのCDを使うと、途中でナレーションが入ってきて邪魔されるので「タッチンググレース」のCDを使ってレトリ―バルです。個人的に、このメタミュージックはあの世につながりやすい気がします。まあ、人それぞれでしょうけど。そしてレトリ―バル開始。かなり前の事なので、もういないだろうなあと思いつつフォーカス27のヘルパー島に行きました。そこで待っていると二人のヘルパーが登場。背の高いほうが楕円の光を持っています。ということは、今日レトリ―バルしないといけない人が1人いるということです。まだ成仏していないのかも。と思いつつフォーカス24あたりに行ってみるとベットでうなされている男性を発見。どうやら妻の言った心配は当たっていたようでした。その方はベッドでうなされ、そして思い出したように自殺を図り(首をつろうとしていますが、リアルなので細かいところは描写しません。)、そして楽になったかと思うとまたベットに戻ってうなされる。という事を繰り返していました。この瞬間で時間が止まっていたようです。残念ながらレトリ―バルにはだれも来ていなかった様子。もしくはまだ時期ではなかったのか。こういう現実を見ると、現世ではやれ初七日だとか四十九日だとかやっていますが、あんなものはただの儀式に過ぎないというのが良く分かります。自殺された方の場合は、特に家族の方がその死を認めてあげて、愛を持って意識を開放してあげることが大切なのだと思います。このような特定の宗教儀式に捕らわれることなくですね。すると長いこと捕らわれる事も無く成仏できるのだと思いますが。家族が自殺をすると、恥ずかしいという意識で隠してしまいがちですが、その死を認めてあげるのは家族しかいないわけですからね。家族が死者を捕らわれ領域に追い込む場合もありそうですから。
で、良くみると男性の周りには壁が築かれており、周りとの接触を一切絶っています。この壁を越えて、その男性の意識をこっちに向けさせる必要があるようです。なので私はしばらくその男性の記憶を観察しました。これはあちらのガイドが見せてくれている情報ですね。レトリ―バルは1人でするものではなく、あちらのガイド、こちらのガイド、ヘルパーとの共同作業です。そして記憶の中に海のイメージが見えました。子供と一緒にいった海の記憶です。そこで、私がそのイメージを男性に送ります。男性は過去の記憶に入り込み、表情もやわらかくなってきました。子供達と楽しげに遊ぶ風景が見えます。私もその記憶に入り込み男性に手をさしのべました。「そろそろこちらにきませんか?」と。そこで場面が壁に囲まれたベットのシーンに戻りまして、男性はハッとした表情でまわりを見ました。自分が捕らわれていたことに気がついたようです。そして自分が死んでいる事に気がつき、ヘルパーと共にフォーカス27へと上がってゆきました。
私はそこにいた誰か(たぶん男性のガイド?)に「こういう、病による鬱と自殺の関係はなんとかして絶てないものなのか?」と聞くと、「これは本人の気付きが必要。周囲の人々は気付く事を促すしかできない。間違っても導こうとしてはいけない。これは価値観の押し付けになり、自己の作り上げた殻にとじこもってしまう。」という話をされました。難しいですね。これ聞いた私でも実際にできるのかどうか。続けて、「つねに寄り添い、相手の動きをみて、それを受け入れてあげることが大切な事。そして、もしも自殺したとしても自分を責めるべきではない。『今必要な事が、そこで起こっている』のだから。そのときの心の動きをしっかりと憶えておきなさい。」と言う話もされました。上の『』でくくった言葉は特に強調していましたが、これはすべてにおいてそうなのかもしれませんね。
そんな感じで、今日のヘミシンクレトリ―バルは終了しました。また新しい事を勉強させられた気がします。妻が昨夜いきなりこのことを話し始めたのも何かに導かれてだったのでしょう。
そして、昼には休憩も兼ねてオープニング・ザ・ハートを聞きながら先日ガイドと遊んだビーチをイメージしていると、すぐに心地良くなって寝てしまいました。暑いところにいると自覚がなくても疲れているんでしょうね、最近昼休みはすぐに寝てしまいます。
今回のレトリ―バルでも感じたのが、やっぱり自殺はしないほうが良いなあということですね。苦しむから、成仏できないからとかではなくて、自分の体験で感じた結果そう思うのです。理由を聞かれると困りますが、直感ですかね。
それと、明日の共同探索実験、ぜひ興味のある方は挑戦してみて下さい。上手く行けば“彼”と出会えるかもしれませんので。
オープニング・ザ・ハート。これはフォーカス18あたりの状態らしいですので、たぶんこの状態でもガイドと会うことは可能だと思います。エネルギーが満ちた時に、問いかけて見られてはいかがでしょう。するとうまいこと上のレベルに連れて行ってもらえるかも知れませんよ。ヘミシンクで来るフォーカスレベルの世界はつながっていますから、オープニング・ザ・ハートでもフォーカス21に来られるような気がしますね。ちょっと今度試してみます。
歩いてたらお店に入って、そこにはいろんな人がいて、みんな鶴太郎のようなおじさんが目当てでf^_^;
私は端のテーブルから彼をチラ見。
これって共同探索に参加してたってことだったのか?、ただの夢だったのか?
普段あまり夢自体見ないか覚えてない自分が、こんなにはっきり夢を見て覚えてるんでひょっとしたらと思って。
そんな私に何か背中を押して頂けるようなアドバイスがございましたらお願いいたします。
(あくまでも他力本願ですが...笑い)
私、10年以上そのループをやらかしてたので嫌というほどよく分かります。
どうしても、タイミングというか、時期というか、そんなのがあって、喉から手が出るほど欲しいときはそれがやってこない。
足掻くだけ足掻いて、やけくそみたいにお任せ気分になってるような、なってないような・・って時に、ふっとやってきたりします、気づき。
それはさておき、ようやっとオープニングザハートにチャレンジし始めました。半端な瞑想経験が今になって役立ってる部分もあるのか、すでに体がとっても癒されて、進めていくのが楽しみです。早くあちらでまるさんと遭遇したいので、予算と相談しながら善処します。