先日、ついに煙突からスズメさん登場。
妻が気付いたのですが、家の猫がしきりにストーブの前で待ち構えていたそうで、中をのぞくと灰にまみれた小雀がいたとか。
前日巣を作ろうとしていたスズメを追い出すために燃やしたので灰が山盛りになっています。
で、猫族の妻は、本能でしかっとスズメを手で捕まえ保護したそうです。
ところが、途中で逃げられて、ぽてぽてと家の中に落っこちたとか。すると、それを見ていた家のデブネコが捕まえようと追いかけたらしいです。
勢い良く飛ぶ鳥は怖がって逃げるくせに、落ちた鳥には強気な態度で出るというチキン野郎なやつですが。たまには猫っぽい事するみたいですね。
でも、狩猟本能がさび付いているために、近寄ってもこれをどうしたものかとワタワタしていたみたいで、小雀はとりあえず無傷で保護。その後またいろいろあって、なんとかまた妻が素手で捕獲して、外に逃がしたとか。
すると、すぐに親スズメがやってきて、一緒に飛んでいったようです。
まあ、無事親子の再会となったので、良かったですが。
以前スズメが入ってきたときは、勢い良く飛ぶやつだったので、家の猫は逃げ回っていたのですがね。弱いものには強気であたる。小心者の典型のような猫です。
さて、今日のヘミシンク。
今回も“SO”コード聞いてみます。
これって、心地いいのですよね。昨日も寝る前に聞いていたらハートの充実感と体の振動感があって、朝の目覚めがスッキリ爽快でした。
この高いエネルギー状態でまた昨日のI/Tメンバーの世界へと行ってみたいと思います。
I/Tの世界とは、自らの内面を象徴しているのではないか?という事を思ったりしましたもので。その確認みたいなもんですね。
そのときに聞こえてきたメッセージをちょっと書きますね。
『愛に気付く事は、一つのプロセスにすぎない
愛に苦しむのも学び、愛を手放すのも学び
愛を得るのも学び。愛を送るのも学び。
すべては自分にあったプロセスで移行している。
人の作った結果にそって、自分がそれと比較しながら進んでいることに気付く事
そこからすべてが始まる。』。
これは何か意味のある言葉のようですね。ちょっとメモです。
そして、前回同様聖堂の中のような世界に入り込みました。壁に並んでいるメンバーからのエネルギーを受け、体の中からまた感動が湧き上がります。
この世界、一度皆さんにも見せたいくらいですね。金の光と霞のたなびく聖堂内の壁には、天上付近まで人々がぎっしり立ち並び、すべてがニコニコと微笑み、祝福してくれるのです。
愛の空間、そんな感じですね。
そして、私は次第にその聖堂の丸くなった天上部分へと持ち上げられていきます。豪華な作りの、細かな彫刻の施されている美しい天井です。
エネルギーの上昇に持っていかれる感じでしょうか。
目の前に天上と、その中央にある穴が見えてきます。そして、私はその穴から外へ出ました。
外は真っ暗です。
自分の外部にあるI/Tから、自らの内面に放出された感じでしょうか。
真っ暗な世界は私の内面を示しているようです。しかし、こんなに暗くては何もできないじゃないか。と思っていると声が聞こえました。
「光あれ」
すると、いきなり周囲に世界が広がります。
緑の大地、美しい海。青い空。
まるでネバーエンディングストーリーかハイドライドⅢ(古っ)なみの展開に驚いてしまいました。
闇の中に現れたのは私の心の世界のようです。
I/T(おおいなる自己)から自らの内面へと意識が移行したようですね。
外と内がつながっている、そんな表現でしょうか。
そして、その美しい世界を散策していると、あることに気付きました。
なんか見たことありそうな感じ。
そこで、見晴らしのよさそうながけの上に足を運んでみました。そこからは海と空と、森と花畑などが見えます。そして、その風景には見覚えがありました。
そこは、以前、私が自分の内面をレトリーバルしたとき(本に書いてあります。もしくは過去のブログにて)に見た景色です。
なんとまあ、と驚いていると背後に人(霊体?)の気配。
「あなたの意識が外に広がるほど、自らの内面につながりやすくなる。そういうことよ。」
振り向くと、ルリカさんが立っています。風に吹かれてゆらぐ黒髪が良い感じです。いつもより美しく見えてドキッとしたりして。
「ここはあなたの世界。どう?前よりも美しいでしょう?」
ルリカさんは私の横に並びながら聞いてきます。私はうなずくだけ。
以前見た荒野のような姿から比べると、まったく別の土地のようです。
なぜ、このように私は自分の内面に入り込んできたのか?それに、まず『光あれ』、というあの言葉は何なのか?ルリカさんに聞いてみました。
すると、
自分の外に神性があるのではなく、内側にそれは同じように存在していて、それらは表裏一体。同じものであることを体感してもらうために今回はこのような方法をとっていると言われました。そして、『光あれ』。この言葉にある意味は、自らの内面を照らし出す光は、自ら起こす必要があるというそういう事のようです。
他の人が、いくらがんばっても人の心に光を灯す事はできません。その光は、人からもらったエネルギーを元に自らが灯さないといけない。そういう意味合いがあるようですね。
なので、私が最初にI/Tの宮殿から抜け出したときは真っ暗であったと。自らの内にある光に気がついていなかったから。
そこで、一言、キッカケの言葉を与えられてすべてに気がついた。まあそういう感じでしょうか?
「あの言葉は誰が言ったのですが?」
「さあ?ハイアーセルフじゃないの。」
「えらくひとごとですね。」
そんな事を話しつつ、ゆっくりと緑の丘を二人で下りながら話しを続けます。
自らの内面にある光に気がつくには、どうすればいいのですか?とルリカさんに聞くと、
「自分を好きになることよ。じゃなきゃ。誰が好きになってくれるの?」
と笑顔で返されました。
「私達ガイドは、あなたと言う人格の他の一面を表現している存在といってもいいです。ガイドと仲良くやる事、ガイドとコミュニケーションとること、それの繰り返しで、自らの事を愛せるようになるとおもうのだけど?」
「ガイドを愛する事ではなくて?」
「同じ事よ。ガイドを愛することと、自分を愛する事は。ガイド、という具体的な存在がいたほうが、エネルギーの集中がやりやすい。ただそれだけのお話しよ。依存するのはダメよ。」
「ガイドが見えなくても自分という存在を愛していれば問題ないという事にもなりますね。」
「そうよ。現実世界でも、別にガイドなんか見えなくても幸せな人は沢山いるわ。それは、見えない自分の象徴を愛せているから。そして、他の人の中にある自分をガイドしてくれる存在の意識を愛しているから。つまり、他人を愛せる人は、自分を愛せるのよ。」
「ある意味、真理ですねぇ。」
「意外と、世の中は単純なのよ。」
自らの中にある光に気付ければ、他人の中にある光にも気付けるようになる。それを一人ひとりが行う事で、人間関係の豊かな社会になれるだろう。というお話も。
まあ、理想ですねえ。
じゃあ、そういう事にまったく気付かずに、日々を一生懸命労働に生きているような方々はどうなの?と聞いてみると、
「私はあなたのガイドです。あなたの進む方向についてはいろいろとはなせるけど、他の人についてはそれぞれのガイドの思惑によるからはっきりとは言えないわ。」
と言われてしまいました。一般論(というのもおかしなものですが。)的には、すべてはプロセスであると。その人が進むべき道にそったものが用意されている。だそうで、
「現実世界ではみんな悩みます。どんな人にでも悩みや苦しみはあります。その量に多いも少ないもありません。ただ、それが見えるか見えないかだけ。自分は不幸だと思う前に、みんな同じだと一度考えてみるといいんだけどね。」
「じゃあ、親の遺産でゆうゆうと暮らしている人も、絵に描いたような不幸のどん底で生きている人も、同じように悩みがあると?」
「そうよ、まず不幸比べは止めなさい。どんな生き方が不幸かなんてのは、その本人が決める事。自分が不幸だと思えば幸福になるべく努力すればいいんだし。」
「それができれば世の中楽なんでしょうけどね。」
「自分でストッパーかけてれば永遠に何も進まないわよね。」
「その手助けをガイドはしてくれないんですか?」
「だって、気付いてくれないじゃない。あなただって、前は私がいくらメッセージ送ったところで聞いてないし。だから、そのうちドカンと何かがおこるのよ。」
「今でも?」
「今はだいぶマシになっているけど、注意しないといつかは・・・。」
「脅かさないでくださいよ。どうすればそれを防げるんです?」
「人の言葉に注意しなさい。そこにすべては隠されているわ。」
「直接の対話じゃなくて?」
「どちらでもいいけど、仕事中とかお客さんと会っているときとかに、あなた私と対話できる?そんなことしてたらたぶん相手から変な目で見られるわよ。そのときは、人の言葉にメッセージを隠しています。それに注意してね。」
「意外と人任せなんですね。」
「現実世界の意識のほうが、私達よりも強いのよ。」
などと、丘の草原に座り込んで話していました。今日は自分の内面で自分のある一面の象徴であるガイドと対話しているという、ある意味、非物質的引きこもり的な対談になっています。
ただ、エネルギー的にはフォーカス35あたりの感じを受けますが。
そのうち、話題は非物質的な世界を探求する目的などについてのことになってきました。
個人個人でいろいろな体験をしながら非物質世界を探求していますが、それをすることで何が良いのか?その事を聞いています。
結局非物質で行動を起こしたところで、それを実際に現実世界にフィードバックできなければあまり意味がないような気がするんですが。という話しをすると、
「常にその先に何をしたいのか?それを考えていれば、自らの世界は拡張していきます。
そして、愛とエネルギーに満ちた世界が待っているのです。」
「つまり、“悟り”ですか?」
「あなたが悟りを得たとして、何が変化するのかしら?」
「うーん、特に変化無いような気がしますね。仕事しないとお金もらえないですし。悟りを得た先に何も無い場合はそこで終了なんでしょうけど、日常生活がありますからね。
仮に明日悟りを得ても、たぶんBMWのミニクーパーは買えないでしょうから、お金を得るために行動しますよね。」
「そういう事。“悟り”というものすら現実世界ではただの一つの通過点にすぎないのですよ。あなた達は、それくらいエネルギッシュな世界に生きているのです。
もっとそれを楽しまなきゃ。」
「確かにそうですね。死霊より生霊のほうがエネルギー強いですし。」
「生きている人間が一番です。そこを忘れると、どっかに行っちゃうから気をつけてね。」
「非物質世界はオマケみたいなものですか。」
「今のあなた達にとっては、あくまで現実世界を楽しく生きるためのスパイスみたいなものよ。無いと物足りない、でも、無くても生きていける。そんな感じかしら。」
「みんなが精神世界に目覚める必要はないんですかね?じゃあ。」
「人それぞれ。死んだらみんな一緒なんだから。ほんの80年間くらい気付かなくても問題ないんじゃないの?」
「あなた達の感覚で話しをすると、今の生がなんと小さなものかと感じるときありますよ。」
「小さくてもぎっしり濃いのよ、そこを忘れないでね。」
「質量が重いわけですね。物理学のエネルギー法則になんかそんなのあった気がしますね。」
「何のために、今ここに私はいるのか? なんて考えるよりも、明日はどんな楽しい事をしてやろう! と考えているほうが人生楽しいし、気付きもより多くなります。」
「でも、そういう気分になれない人もいますよね。その場合はどうするんです?」
「そういう気分にならないように自分でしているんじゃない? 人間は、自分の今までにない価値観に移行するとき、それはとても不安になり、一歩を踏み出せないもの。楽しい事を考えることに慣れてい無い人は、そこがまず障害になるときもあるわね。」
「そういうときはどうやれば良いんですか?」
「呪文を唱えるのよ。『私は楽しい人生を歩んでいきます。』って。鏡を見ながら自分に向かって言い続ければ、意識が変わってくるわよ。でも、最低半年は続けないとね。」
「なんでも地道なんですね。」
「今までに無い事をやるときは、それくらい時間かかって当然。あなたに今からフルマラソン走りなさい、っていわれても無理でしょう?地味に練習からはじめないと。それと同じです。」
「その呪文は良く聞く話しですね。潜在意識に刻み込む事で、自分がその方向に無意識に道を選択していくという話。」
「それと、私達がガイドしているのよ。」
「無意識からの信号というのは、ガイドからの声と思ってもいいんですかね?じゃあ。」
「私はあなたです。同じものと思えば無意識だろうがガイドだろうが、一緒でしょう?」
「無意識の実体化した姿がガイドみたいなものですか。」
「そう思ってもいいし、そう思わなくてもいいわ。」
「なんかはっきり言いませんね。」
「いろいろ考えるのも大切なのよ。」
と言って、ルリカさんにっこり微笑んで立ち去っていかれました。
今日はこのような感じで、内面での対談、という感じになりましたね。
フォーカスレベルで会うルリカさんよりも優しい感じがしたのは、私の気のせいでしょうか。
意外と重要なメッセージもありましたね。
妻が気付いたのですが、家の猫がしきりにストーブの前で待ち構えていたそうで、中をのぞくと灰にまみれた小雀がいたとか。
前日巣を作ろうとしていたスズメを追い出すために燃やしたので灰が山盛りになっています。
で、猫族の妻は、本能でしかっとスズメを手で捕まえ保護したそうです。
ところが、途中で逃げられて、ぽてぽてと家の中に落っこちたとか。すると、それを見ていた家のデブネコが捕まえようと追いかけたらしいです。
勢い良く飛ぶ鳥は怖がって逃げるくせに、落ちた鳥には強気な態度で出るというチキン野郎なやつですが。たまには猫っぽい事するみたいですね。
でも、狩猟本能がさび付いているために、近寄ってもこれをどうしたものかとワタワタしていたみたいで、小雀はとりあえず無傷で保護。その後またいろいろあって、なんとかまた妻が素手で捕獲して、外に逃がしたとか。
すると、すぐに親スズメがやってきて、一緒に飛んでいったようです。
まあ、無事親子の再会となったので、良かったですが。
以前スズメが入ってきたときは、勢い良く飛ぶやつだったので、家の猫は逃げ回っていたのですがね。弱いものには強気であたる。小心者の典型のような猫です。
さて、今日のヘミシンク。
今回も“SO”コード聞いてみます。
これって、心地いいのですよね。昨日も寝る前に聞いていたらハートの充実感と体の振動感があって、朝の目覚めがスッキリ爽快でした。
この高いエネルギー状態でまた昨日のI/Tメンバーの世界へと行ってみたいと思います。
I/Tの世界とは、自らの内面を象徴しているのではないか?という事を思ったりしましたもので。その確認みたいなもんですね。
そのときに聞こえてきたメッセージをちょっと書きますね。
『愛に気付く事は、一つのプロセスにすぎない
愛に苦しむのも学び、愛を手放すのも学び
愛を得るのも学び。愛を送るのも学び。
すべては自分にあったプロセスで移行している。
人の作った結果にそって、自分がそれと比較しながら進んでいることに気付く事
そこからすべてが始まる。』。
これは何か意味のある言葉のようですね。ちょっとメモです。
そして、前回同様聖堂の中のような世界に入り込みました。壁に並んでいるメンバーからのエネルギーを受け、体の中からまた感動が湧き上がります。
この世界、一度皆さんにも見せたいくらいですね。金の光と霞のたなびく聖堂内の壁には、天上付近まで人々がぎっしり立ち並び、すべてがニコニコと微笑み、祝福してくれるのです。
愛の空間、そんな感じですね。
そして、私は次第にその聖堂の丸くなった天上部分へと持ち上げられていきます。豪華な作りの、細かな彫刻の施されている美しい天井です。
エネルギーの上昇に持っていかれる感じでしょうか。
目の前に天上と、その中央にある穴が見えてきます。そして、私はその穴から外へ出ました。
外は真っ暗です。
自分の外部にあるI/Tから、自らの内面に放出された感じでしょうか。
真っ暗な世界は私の内面を示しているようです。しかし、こんなに暗くては何もできないじゃないか。と思っていると声が聞こえました。
「光あれ」
すると、いきなり周囲に世界が広がります。
緑の大地、美しい海。青い空。
まるでネバーエンディングストーリーかハイドライドⅢ(古っ)なみの展開に驚いてしまいました。
闇の中に現れたのは私の心の世界のようです。
I/T(おおいなる自己)から自らの内面へと意識が移行したようですね。
外と内がつながっている、そんな表現でしょうか。
そして、その美しい世界を散策していると、あることに気付きました。
なんか見たことありそうな感じ。
そこで、見晴らしのよさそうながけの上に足を運んでみました。そこからは海と空と、森と花畑などが見えます。そして、その風景には見覚えがありました。
そこは、以前、私が自分の内面をレトリーバルしたとき(本に書いてあります。もしくは過去のブログにて)に見た景色です。
なんとまあ、と驚いていると背後に人(霊体?)の気配。
「あなたの意識が外に広がるほど、自らの内面につながりやすくなる。そういうことよ。」
振り向くと、ルリカさんが立っています。風に吹かれてゆらぐ黒髪が良い感じです。いつもより美しく見えてドキッとしたりして。
「ここはあなたの世界。どう?前よりも美しいでしょう?」
ルリカさんは私の横に並びながら聞いてきます。私はうなずくだけ。
以前見た荒野のような姿から比べると、まったく別の土地のようです。
なぜ、このように私は自分の内面に入り込んできたのか?それに、まず『光あれ』、というあの言葉は何なのか?ルリカさんに聞いてみました。
すると、
自分の外に神性があるのではなく、内側にそれは同じように存在していて、それらは表裏一体。同じものであることを体感してもらうために今回はこのような方法をとっていると言われました。そして、『光あれ』。この言葉にある意味は、自らの内面を照らし出す光は、自ら起こす必要があるというそういう事のようです。
他の人が、いくらがんばっても人の心に光を灯す事はできません。その光は、人からもらったエネルギーを元に自らが灯さないといけない。そういう意味合いがあるようですね。
なので、私が最初にI/Tの宮殿から抜け出したときは真っ暗であったと。自らの内にある光に気がついていなかったから。
そこで、一言、キッカケの言葉を与えられてすべてに気がついた。まあそういう感じでしょうか?
「あの言葉は誰が言ったのですが?」
「さあ?ハイアーセルフじゃないの。」
「えらくひとごとですね。」
そんな事を話しつつ、ゆっくりと緑の丘を二人で下りながら話しを続けます。
自らの内面にある光に気がつくには、どうすればいいのですか?とルリカさんに聞くと、
「自分を好きになることよ。じゃなきゃ。誰が好きになってくれるの?」
と笑顔で返されました。
「私達ガイドは、あなたと言う人格の他の一面を表現している存在といってもいいです。ガイドと仲良くやる事、ガイドとコミュニケーションとること、それの繰り返しで、自らの事を愛せるようになるとおもうのだけど?」
「ガイドを愛する事ではなくて?」
「同じ事よ。ガイドを愛することと、自分を愛する事は。ガイド、という具体的な存在がいたほうが、エネルギーの集中がやりやすい。ただそれだけのお話しよ。依存するのはダメよ。」
「ガイドが見えなくても自分という存在を愛していれば問題ないという事にもなりますね。」
「そうよ。現実世界でも、別にガイドなんか見えなくても幸せな人は沢山いるわ。それは、見えない自分の象徴を愛せているから。そして、他の人の中にある自分をガイドしてくれる存在の意識を愛しているから。つまり、他人を愛せる人は、自分を愛せるのよ。」
「ある意味、真理ですねぇ。」
「意外と、世の中は単純なのよ。」
自らの中にある光に気付ければ、他人の中にある光にも気付けるようになる。それを一人ひとりが行う事で、人間関係の豊かな社会になれるだろう。というお話も。
まあ、理想ですねえ。
じゃあ、そういう事にまったく気付かずに、日々を一生懸命労働に生きているような方々はどうなの?と聞いてみると、
「私はあなたのガイドです。あなたの進む方向についてはいろいろとはなせるけど、他の人についてはそれぞれのガイドの思惑によるからはっきりとは言えないわ。」
と言われてしまいました。一般論(というのもおかしなものですが。)的には、すべてはプロセスであると。その人が進むべき道にそったものが用意されている。だそうで、
「現実世界ではみんな悩みます。どんな人にでも悩みや苦しみはあります。その量に多いも少ないもありません。ただ、それが見えるか見えないかだけ。自分は不幸だと思う前に、みんな同じだと一度考えてみるといいんだけどね。」
「じゃあ、親の遺産でゆうゆうと暮らしている人も、絵に描いたような不幸のどん底で生きている人も、同じように悩みがあると?」
「そうよ、まず不幸比べは止めなさい。どんな生き方が不幸かなんてのは、その本人が決める事。自分が不幸だと思えば幸福になるべく努力すればいいんだし。」
「それができれば世の中楽なんでしょうけどね。」
「自分でストッパーかけてれば永遠に何も進まないわよね。」
「その手助けをガイドはしてくれないんですか?」
「だって、気付いてくれないじゃない。あなただって、前は私がいくらメッセージ送ったところで聞いてないし。だから、そのうちドカンと何かがおこるのよ。」
「今でも?」
「今はだいぶマシになっているけど、注意しないといつかは・・・。」
「脅かさないでくださいよ。どうすればそれを防げるんです?」
「人の言葉に注意しなさい。そこにすべては隠されているわ。」
「直接の対話じゃなくて?」
「どちらでもいいけど、仕事中とかお客さんと会っているときとかに、あなた私と対話できる?そんなことしてたらたぶん相手から変な目で見られるわよ。そのときは、人の言葉にメッセージを隠しています。それに注意してね。」
「意外と人任せなんですね。」
「現実世界の意識のほうが、私達よりも強いのよ。」
などと、丘の草原に座り込んで話していました。今日は自分の内面で自分のある一面の象徴であるガイドと対話しているという、ある意味、非物質的引きこもり的な対談になっています。
ただ、エネルギー的にはフォーカス35あたりの感じを受けますが。
そのうち、話題は非物質的な世界を探求する目的などについてのことになってきました。
個人個人でいろいろな体験をしながら非物質世界を探求していますが、それをすることで何が良いのか?その事を聞いています。
結局非物質で行動を起こしたところで、それを実際に現実世界にフィードバックできなければあまり意味がないような気がするんですが。という話しをすると、
「常にその先に何をしたいのか?それを考えていれば、自らの世界は拡張していきます。
そして、愛とエネルギーに満ちた世界が待っているのです。」
「つまり、“悟り”ですか?」
「あなたが悟りを得たとして、何が変化するのかしら?」
「うーん、特に変化無いような気がしますね。仕事しないとお金もらえないですし。悟りを得た先に何も無い場合はそこで終了なんでしょうけど、日常生活がありますからね。
仮に明日悟りを得ても、たぶんBMWのミニクーパーは買えないでしょうから、お金を得るために行動しますよね。」
「そういう事。“悟り”というものすら現実世界ではただの一つの通過点にすぎないのですよ。あなた達は、それくらいエネルギッシュな世界に生きているのです。
もっとそれを楽しまなきゃ。」
「確かにそうですね。死霊より生霊のほうがエネルギー強いですし。」
「生きている人間が一番です。そこを忘れると、どっかに行っちゃうから気をつけてね。」
「非物質世界はオマケみたいなものですか。」
「今のあなた達にとっては、あくまで現実世界を楽しく生きるためのスパイスみたいなものよ。無いと物足りない、でも、無くても生きていける。そんな感じかしら。」
「みんなが精神世界に目覚める必要はないんですかね?じゃあ。」
「人それぞれ。死んだらみんな一緒なんだから。ほんの80年間くらい気付かなくても問題ないんじゃないの?」
「あなた達の感覚で話しをすると、今の生がなんと小さなものかと感じるときありますよ。」
「小さくてもぎっしり濃いのよ、そこを忘れないでね。」
「質量が重いわけですね。物理学のエネルギー法則になんかそんなのあった気がしますね。」
「何のために、今ここに私はいるのか? なんて考えるよりも、明日はどんな楽しい事をしてやろう! と考えているほうが人生楽しいし、気付きもより多くなります。」
「でも、そういう気分になれない人もいますよね。その場合はどうするんです?」
「そういう気分にならないように自分でしているんじゃない? 人間は、自分の今までにない価値観に移行するとき、それはとても不安になり、一歩を踏み出せないもの。楽しい事を考えることに慣れてい無い人は、そこがまず障害になるときもあるわね。」
「そういうときはどうやれば良いんですか?」
「呪文を唱えるのよ。『私は楽しい人生を歩んでいきます。』って。鏡を見ながら自分に向かって言い続ければ、意識が変わってくるわよ。でも、最低半年は続けないとね。」
「なんでも地道なんですね。」
「今までに無い事をやるときは、それくらい時間かかって当然。あなたに今からフルマラソン走りなさい、っていわれても無理でしょう?地味に練習からはじめないと。それと同じです。」
「その呪文は良く聞く話しですね。潜在意識に刻み込む事で、自分がその方向に無意識に道を選択していくという話。」
「それと、私達がガイドしているのよ。」
「無意識からの信号というのは、ガイドからの声と思ってもいいんですかね?じゃあ。」
「私はあなたです。同じものと思えば無意識だろうがガイドだろうが、一緒でしょう?」
「無意識の実体化した姿がガイドみたいなものですか。」
「そう思ってもいいし、そう思わなくてもいいわ。」
「なんかはっきり言いませんね。」
「いろいろ考えるのも大切なのよ。」
と言って、ルリカさんにっこり微笑んで立ち去っていかれました。
今日はこのような感じで、内面での対談、という感じになりましたね。
フォーカスレベルで会うルリカさんよりも優しい感じがしたのは、私の気のせいでしょうか。
意外と重要なメッセージもありましたね。
奥深い会話ですね。ルリカさん、さりげに優しい。
読んでて切なくなってしまいました。
自分でもなぜなのか判らないけど。
人生◯十年になると、ちょっとした事や思いがじーんと来るみたいです。
私も早くガイドさんに会って、いろんな話聞きたいなぁ。
自分も今日、いい生き方なんてのを考えてました。
自分なりの結論は、常にいい気分でいることに尽きる!です。人が働きかける方法は2種類あると思います。一つは行動で、そしてもう一つは存在のありかたで。存在のあり方は自分がどのように振動しているかですね。行動よりも自分の振動率を上げたほうが自分にも周りにもいいんじゃないかと。それで、振動率上げるには、いい気分でいることに尽きると思うのです。いい気分でいる方法は、過去の楽しかった事を思い出したり、好きな音楽聴いたり、好きな写真を部屋に貼って眺めたり、いい香りをかいだり、ヘミシンクで思いっきり想像していい気分になりきってしまったり。でもややもすると、いつのまにかもとの自分にもどってしまいがちですが、何事も練習、今までの常識を超えた新しい生き方をしないと何も変わらないと思うのです。で、今日ジャンプのナルト読んで感動しました。これも自分流いい生き方です。では、またです。
話の本筋と関係はないのですが、「ハイドライド」とか懐かしいゲーム名やアニメの名前がちょくちょく出てくるので「ぷぷ~」と笑わせていただいてます。「ネバーエンディングストーリー」も懐かしいですね(笑)
ありがとうございます
いつもタイムリーなお話をしてくださるので大好きです☆
まるの日さんが、ガイドなのかも(笑)
仕事での色んなトラブルを思いながら
みんな、ガイドだなぁ、成長を手伝ってもらっているなぁ…と感謝の気持ちになりました。
「私は人生を楽しんで生きます」
鏡に向かって毎日やってみたいと思います。
ありがとうございます。
素晴らしい事を
I/T方々に祝福されているようですね☆
頭でっかちで
外と内のつながり分かるのですが体験してみたいです?。
いつも素晴らしい体験のメッセージ、ありがとうございます。
あんまり多いので、コメントまとまりません(汗)
とにもかくにも、ありがとうございました^^
今回のルリカさん、いけてますね?。
「常にその先に何をしたいのか?それを考えていれば、、、」→今迄は夢との隔たりが有りすぎて逆にブルーになっていましたが、目標設定がへたくそな私に気がつきました。目先目先で設定して行きます。