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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

初夏の野菜か?

2011-06-02 23:11:43 | ヘルパー先輩との対話

今日は、アーティチョークを妻が買ってきて。
どうやって食べるかねぇ。と言いながら冷蔵庫に入ってます。
先日、ちょっとヒーリングをさせていただいたご家庭で、アーティチョークを食べたという話題が出てまして。
それで、妻が買ってきたのですが。
意外と、阿蘇の近辺はこういうもの売っていたりします。
「誰が買うんかね。」
と思っていたら、妻が買っていたという。
とりあえずネットで食べ方を調べてみましたが。ネットって便利ですねぇ。

手間がかかりそうなので、明日たのしんで食べようかと思います。
食べたら感想書きますね。

アーティチョークで、なんかのテレビでやっていたのかな?
何処かのカフェで「カフェオレ」と頼んだら、アーティチョークの煮たやつが出てきたってのやっていまして。
それ見て、「へえ、普通にそんなものがカフェで売られているんだなあ」、と強く思った次第。高級食材らしいです。
でも、熊本ではわっさり安く売られてたみたいですけどね。

それと、先日ブログに載せた、スリープフォン。
コードの位置が頭の後ろにくるので、ちょっと「甲殻機動隊?」っぽい感じになります。
いや、それだけなんですけどね。

さて、まったく関係ない話題からブログは始まりますが。

私「もう少し、分かりやすい話ってなんとかできないものですかね。」

ヘルパー先輩「君達には難しいだろう。」

「なんで?」

「君たちは、理解をするときに基準を設けて、そこから比較対象して理解を進める、という習性がある。ならば、我々の世界を認識しても、完全に分かるように話す事は難しいだろう。」

「でも、聖人とか偉人の言葉は分かりやすいですよね?」

「しかし、それも相手の想像力の能力に期待している部分は大きい。だから、イメージを出来る素地を先に作っておき、そこから深い話につなげていく。
聖人の話が理解しやすいのは、その世界観を先に作っているからであって。
その世界観を共有できる人間だけが、その聖人の語る意味を理解することができる。
そういうものだよ。」

「と言う事は、世界全部の人が、共通の認識で物事を理解するというのは、難しいので?」

「共通の認識、とはなんだろうね?」

「共通の認識ですよ。1+1=2みたいな。」

「それは、「数学」という世界を理解している人間にしか通じない共通認識だからね。」

「でも、一個のものをもう1つ並べると、2個になりますよね?」

「それは、現実にそうなのかな?一個の種を持ってきて、それと同じ植物の種を持ってきたとする。
それは、数ヵ月後には多数になってしまうが。それでも1+1=2なのかな?」

「それは卑怯な話ですね。時間の流れも考えたら、そりゃあ変化しますよ。」

「私には時間なんて関係ないから。」

「そう来られると、こちらも「はあ、そうですか」としか言えませんけど。」

「同じものを見て、同じ認識を得られると思うのは、その世界での基準が共通である場合だけだよ。
人間は、共通の認識があると言う意識で、あらゆるものに基準を設けて。それで認識を共有しようと努力してきた。
その基準は、変化してはいけないもの、いつまでの長い間安定しているもの、が選ばれたりする。
しかし、常に安定しているものは存在しないのであって。
地球も他の星も、同じ周期で変化していたら、誰もその中にいる人間は変化に気付かない。
他の世界から君たちの宇宙を見る存在が居たら、君たちは「なんて不安定なものを共有認識にしているのだろうか?」と思われていることだろうね。」

「でも、私達の世界では変化していないなら、それはそれで良いんじゃないですか?」

「それはそれでいい。ただ、君たちはそんな不安定な認識を得て、それを『正しい』として集団で認識してしまう事が多いから、そこは注意しておく必要があるよ。
その不安定な認識が、必ずしも正しいとは言えないのだし。」

「間違いも有るって事ですか?」

「間違いという概念も、正しいものが存在すると言う概念があるから存在するのであって。」

「そのあたりの話は後日マダムにでも聞いてみますよ。あなた方のほうで話をすると、禅問答的になってくるので。」

「彼女は君たちに認識を合わせて会話する事ができるからね。だから、君達と感覚が似ている部分もある。」

「マダムって水無月さんの陰がわじゃないので?」

「そういう認識をしているなら、そういう事なんだろう?」

「また、そういう言い方するし。」

「基準を作ると、そういう話方をするしかないね。」

「基準を作らないと話ってしにくいですよね。」

「そう、だから、基準というのはあくまで基準、と認識できていればいいのだよ。それを守ったり、それだけしかないようにふるまったり。いつの間にか、基準が世界を動かす道理のようになっていたりする。
そうではないよ。本質は、基準で測れないところに存在しているのだから。」

「じゃあ、新しい基準を作っちゃいますよ、たぶん。」

「その新しい基準ですらも、世界を表すことはできない。」

「なんで?」

「それが可能であれば、君たちはそこに存在する必要ないのだから。」

「なんで?」

「君たちは、捕らわれた意識の中に常の存在している。あらゆる基準というものに取り囲まれて。
時間、記号、化学式、そして、人の決めた楽しい事、人の決めた嬉し事、人の決めた悲しい事。を自分の基準だと受け入れて、それを使って生きている。
そうでないと、今の世界を生きる事は不可能だろう。」

「それって、時間も込み?」

「そう。」

「でも、モンロー研では時計ナシでしたよ。」

「しかし、トレーナーの人は時間を把握していたはずだ。だから、人の決めた基準で君たちは動いていたのには変わりない。」

「そういう話を考えると、オタクの世界で生きている人も、物理学の世界で生きている人も、政治の世界で生きている人も、みんなそれぞれに自分の好きな基準に捕らわれて生きているって事なんですかね?」

「そう。だから、人の基準に対して人がそれを否定した場合は、その否定は自分の決めている価値基準に跳ね返ってくる。」

「その、基準のない世界って、どんな感じなんですか?」

「今の君たちが認識は出来ないが、感じる事は出来る世界。」

「それって、どういう感じ?」

「感じられる世界だよ。」

「余計に分かりにくいですねけ。」

「愛、夢、希望、絶望、不安、恐怖。そういうものを感じるとき、そこには基準など存在しない。後日、それに当てはまる基準を自分の中から探してきて、それを当てはめているにすぎないのだから。」

「じゃあ、体外離脱で、しようとすると恐怖が出てきて上手くいかないときありますよね。
その場合、自分はなんで体脱出来なかったのか考えますよね。それが、基準って事ですか?」

「そう、かんがえて、理解しやすい形にするときに。「体外離脱するときに、あの人はこういう言い方をしていた。だから、この現象はこう言う事なのだろう。」と理解をしようとする。
それは、あの人、の感覚を基準に考えている。」

「でも、恐怖って感覚を理解するのには、基準いるでしょう?」

「君は恐怖という感覚を感じていると感じているが。それは恐怖と言う感覚なのかな?」

「それって、分かりにくいですね。」

「それでは、野鳥は捕食動物に捕獲される。しかし、その時に野鳥は恐怖の心を持っているのかな?」

「持っているんじゃないですか?」

「そしたら、世の中は野鳥の捕らわれ意識で埋め尽くされてしまうのではいかな?」

「でも、食われるのは怖いでしょう。」

「その感覚を、恐怖、としているから恐怖があると思い込んでいる。」

「じゃあ、なんて言うの?」

「ただの現象だよ。与えて、循環させる過程であり、それを受け入れたからその循環に入り込んでいる。」

「それって、循環しているって、基準で話しているじゃないですか。」

「そう、君と話す時は基準が必要だから。」

「その基準の無い話を聞きたいのですけど。」

「文章で書く以上、それは無理だ。」

「なんで?」

「文章を書くには、文字と、その意味という基準に縛られている。
その中で、君たちはそれを表現するために、あらゆる手法を生み出し、いろいろな書き方を習得していく。
そして、それは基準、があるが故の複雑で、美しいものを生み出す事もある。」

「つまり、基準があるから、良いものも生まれる場合もあるって事ですか。」

「基準があるからこそ、制限があるからこそ、君たちはそこに意味を探し求める。
それが生きていると言う事なんだから。」

「しかし、結局その基準の無い感覚はどうやって感じればいいのですかね?」

「後でマダムと会ったときにでも、やってみればいい。」

「それって、押し倒されろって事?」

「そういう基準に当てはめたいなら、それをしてもいいんじゃないか?」

と言う感じで、結局、「で、どうなの?」的な話で展開されてしまいましたが。
言葉を使っている以上、そういう事になるんでしょうかね。
難しいものです。











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4 コメント

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Unknown (moka)
2011-06-02 23:44:10
う~ん・・・読んでても難しいですね・・・でも、聞きたいことをまるの日さんが、聞いてくれているので、伝えたいことは伝わっています。なんというか、言葉にしにくい世界っていうのがあるということなのかなぁ・・言葉にするから基準があるということなのかな・・・と思いました。いつかわかる日が来るのだろうか・・・と思いながら・・・。
返信する
不安定なものを基準にしてる確かに♪ (ノッポ☆)
2011-06-03 00:31:59
宇宙空間に止まってる物体が地球赤道上
にさしかかった時

地球赤道上に止まってる物体とぶつかる時

自転の働きで物凄い速度1700km/hで衝突しますね。

どっちも私は止まっているから相手悪いと言った時に

裁判官はどっちの主張とるのだろうか?

昔は地動説で地面が動かないものとして基準があった。

今は天動説を習いますね。

でも実は太陽も銀河の中を動いますから

実体は天地連動説?

返信する
皆様、コメントありがとうございます。 (marunohi)
2011-06-03 21:50:55
その最終的な答えに導かないように、今回は質問に工夫を凝らしております。

毎回同じ結論だと面白くないですからね。

基準の話なので。
これはまた基準でしか考えにくいので一般的にはややこしい考え方にはなりますね。
返信する
達磨大師の (賈 文和)
2011-06-03 22:01:06
「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」
という言葉を思い出しました。

簡単な日本語に訳せば「(禅の)悟りの心は文字、言葉では伝えられない。それ以外の方法で伝えられる。人が自分の心を直視できれば、仏の悟りに至る道が見える」だとか。

でも、これを聞いて何を思うかは本人次第。
結局、人の営みは全て「人」の約束事の中にある。生前でも死後でも、それを超えるためにはその「約束事の中で生きている」ことを認識しないとダメ、と言うことなのかなぁ。
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