今日は仕事が休みなので、整体にいってきました。
ブログにもたまに登場する、私の主治医的な方ですね。
体の調子が原因不明で悪くなったら、まずは病院よりもこちらに先に行きます。
原因不明のときは、病院はあまり役にたちませんからね。明らかに異常がある場合は、もちろん病院に先に行くべきですよ。
で、見ていただくと、体が疲労でぼろぼろの様子。
最近、朝起きると腰が痛いという不思議な現象に悩まされていたのです。休みのたびにだるいし、きついし。しばらくすれば治るかと構えていたら、こんどは反対の腰にも影響がでてきて。薪を割るどころではなくてですね。
そこで整体に行く事にしたのです。このままでは冬を越す薪が調達できん。ということで。
上半身の疲労が大きくて、足とかのバランスも崩れている様子でした。
たまにおこる腹痛やおなかの不具合も、全てこの足のバランスからくるものだとか。
対角線上で異常が出ていると言われて、なるほど、と納得した次第。
これは、普通に病院に行っても痛み止めの薬もらうくらいで終わりですからね。
今回は、こんな感じで、「まあ、車検みたいなものですね。」と先生に言われて終了。
すっかり体も軽くなりました。たぶん一緒にいろんな目に見えないものもとってもらったのだと思いますけど(笑)。
で、帰ってきてから妻と本格インドカレーのお店に行って来ました。
私の住んでいる近所(と言っても車で30分圏内です)では本格的ないい料理屋さんが結構ありまして、いつのまにかイタリアンの店が2軒できていたりしますし。
で、インドの方がじきじきにやられているそのお店は、人が15人くらいでいっぱいになりそうな小さな店でしたが、中身は本格的。
ナンとかタンドーリチキン、ケバブ、数種類のカレーなどなど。
そのセットでも1300円くらい。安い!
ナン好きの妻もご満足。これはいいところ見つけたと喜んでたらふく食べてきました。
おなか一杯になりすぎて、ちょっと気持悪くなったりして。
本格的なものは市内に行かないと食べられないと思っていたので、こんなに身近にあったとは思いもしませんでした。
まあ、このお店も妻がご近所さんに聞いてきたのですが。
その後は腹ごなしのトレッキングで風車のある丘の上に。阿蘇の景色を堪能して本日は帰ってきました。
あとは、ちょっといろいろな書類書いたりして。
なのでヘミシンクしていませんね。
家でやろうとしたら、子猫が飛び乗ってきて邪魔されるし。
モンローさんが体脱中、ネコに襲われて泣いていたのが分かるきがしました。
ネコってなぜか瞑想中とかヘミシンク中に寄ってくるのですよね。
何かが出ているのでしょうか?
今回のブログはまったくヘミシンクしていないので、ちょっとダークサイドに関する考察を述べたいと思います。
最近、ちょっとその辺りで盛り上がっているみたいですが、ダークサイドってそんなに嫌われるべきものなんでしょうかね?
ルーシュを搾取する。それだけのためにこちらにきているのでしょうかね?
人を騙すためだけにこちらに来ているのでしょうかね?
で、そのあと何がしたいのでしょうかね?
「全ては存在することに意味がある。」よくスピリチュアル的には言われますが、そう考えると、ダークサイドという方々の行動につじつまが合いません。
ルーシュほしけりゃ人間にちょっかい出さずに上に行って囚われ領域作って搾取すればいいのです。こっちのほうがよっぽど簡単なはずですね。
良く人間世界を貶めるため、とかも言われますが、それをやったら自分達のルーシュ源が疲弊して効率が悪すぎです。
エネルギーを得る基本は、長く安定的に供給されることですから。
映画「マトリクス」のように、電池のような扱いにしてしまったほうが管理も楽なはずです。
スピ系の話は、基本サニーサイド系、陽のものの見方で語られる場合が多いです。
アセンションなどの考え方もあります。私がアセンション系の考え方に疑問を持つのは、「これって、カモメのジョナサンみたい。」だと思うからです。
早く飛ぶために邪魔になる空気をなくしたら、そのまま落ちた、という感じの話ですよね。
陽のエネルギーだけで世界を語ると、陰の存在を忘れがちになってしまいます。
陰と陽、互いに支えあってそこに存在しているはずですが、陽ばかりのエネルギー、波動、に注目していると、陰の波動、低い波動を排除しがちになってしまいます。
すると、陽のエネルギーもその場を維持できなくなる可能性ありですよね。
太陽の光に照らされた明るい場所ばかりを見ていると、暗い影の部分が見えなくなってきます。そして、見えないものだから暗い影の空間を恐れるようになってしまいます。
しかし、太陽の光から目をそらして、ゆっくりと影を見ていると、そこにも普通に世界が広がっているのが見えてくると思います。
現実世界でもそうですから、向こうの世界もそうなのだと思います。
まず向こうの存在が光の陽のところに案内するのは、まずこちらのエネルギーを上げておく必要があるからだと思います。
それにより、自分の波動を高める。いきなり陰のほうに行くと、戻って来られなくなりそうですしね。
そして、その時に陰の存在との接触が始まるような気がします。
明るく照らせば照らすほど、影が見えてくるものですから。
そこから私たちはどうするべきなのか?
ここで影の存在、陰の存在を受け入れてあげる必要があるのではないかと最近思うようになりました。
もっと陰の世界に近づいてみる必要があるのではないのか?と。
人間は、内面に陰、陽、そういう感情を常に持っていて、その間をさまよっている存在です。ならば、陽ばかりを見ずに、自分が持っている陰の部分を受け入れる事も必要かと。
世界は自分の内面の写し
そう考えると、外に存在する陰のものも否定したらかわいそうですよね?
自分が陽の存在、光の存在になり、自分が輝いていると影の世界に入りこんでも自分の光でそこを照らしてしまい、影の世界の真の姿をゆがめて理解してしまう可能性があると思うからです。
陰の世界の存在、前回会った時はそれほど恐れるものでもないように感じました。こちらがしっかりとしていれば、相手もそれほど付け入ることはしないのだなあ、と言う感じで。
なので、これからちょっとダークサイドの存在ともアクセスして、何を考えて行動しているのかも調査してみたいなあ、と思っています。
なんでも、相手を拒否していたら何もわかりませんからね。
人の言う事だけが真実ではありません。
人の見たものだけが真実でもありません。
そして、自分が見たものだけが真実と言うわけでもありません。
だから、たくさんのものの見方が必要なのだと思います。
ブログにもたまに登場する、私の主治医的な方ですね。
体の調子が原因不明で悪くなったら、まずは病院よりもこちらに先に行きます。
原因不明のときは、病院はあまり役にたちませんからね。明らかに異常がある場合は、もちろん病院に先に行くべきですよ。
で、見ていただくと、体が疲労でぼろぼろの様子。
最近、朝起きると腰が痛いという不思議な現象に悩まされていたのです。休みのたびにだるいし、きついし。しばらくすれば治るかと構えていたら、こんどは反対の腰にも影響がでてきて。薪を割るどころではなくてですね。
そこで整体に行く事にしたのです。このままでは冬を越す薪が調達できん。ということで。
上半身の疲労が大きくて、足とかのバランスも崩れている様子でした。
たまにおこる腹痛やおなかの不具合も、全てこの足のバランスからくるものだとか。
対角線上で異常が出ていると言われて、なるほど、と納得した次第。
これは、普通に病院に行っても痛み止めの薬もらうくらいで終わりですからね。
今回は、こんな感じで、「まあ、車検みたいなものですね。」と先生に言われて終了。
すっかり体も軽くなりました。たぶん一緒にいろんな目に見えないものもとってもらったのだと思いますけど(笑)。
で、帰ってきてから妻と本格インドカレーのお店に行って来ました。
私の住んでいる近所(と言っても車で30分圏内です)では本格的ないい料理屋さんが結構ありまして、いつのまにかイタリアンの店が2軒できていたりしますし。
で、インドの方がじきじきにやられているそのお店は、人が15人くらいでいっぱいになりそうな小さな店でしたが、中身は本格的。
ナンとかタンドーリチキン、ケバブ、数種類のカレーなどなど。
そのセットでも1300円くらい。安い!
ナン好きの妻もご満足。これはいいところ見つけたと喜んでたらふく食べてきました。
おなか一杯になりすぎて、ちょっと気持悪くなったりして。
本格的なものは市内に行かないと食べられないと思っていたので、こんなに身近にあったとは思いもしませんでした。
まあ、このお店も妻がご近所さんに聞いてきたのですが。
その後は腹ごなしのトレッキングで風車のある丘の上に。阿蘇の景色を堪能して本日は帰ってきました。
あとは、ちょっといろいろな書類書いたりして。
なのでヘミシンクしていませんね。
家でやろうとしたら、子猫が飛び乗ってきて邪魔されるし。
モンローさんが体脱中、ネコに襲われて泣いていたのが分かるきがしました。
ネコってなぜか瞑想中とかヘミシンク中に寄ってくるのですよね。
何かが出ているのでしょうか?
今回のブログはまったくヘミシンクしていないので、ちょっとダークサイドに関する考察を述べたいと思います。
最近、ちょっとその辺りで盛り上がっているみたいですが、ダークサイドってそんなに嫌われるべきものなんでしょうかね?
ルーシュを搾取する。それだけのためにこちらにきているのでしょうかね?
人を騙すためだけにこちらに来ているのでしょうかね?
で、そのあと何がしたいのでしょうかね?
「全ては存在することに意味がある。」よくスピリチュアル的には言われますが、そう考えると、ダークサイドという方々の行動につじつまが合いません。
ルーシュほしけりゃ人間にちょっかい出さずに上に行って囚われ領域作って搾取すればいいのです。こっちのほうがよっぽど簡単なはずですね。
良く人間世界を貶めるため、とかも言われますが、それをやったら自分達のルーシュ源が疲弊して効率が悪すぎです。
エネルギーを得る基本は、長く安定的に供給されることですから。
映画「マトリクス」のように、電池のような扱いにしてしまったほうが管理も楽なはずです。
スピ系の話は、基本サニーサイド系、陽のものの見方で語られる場合が多いです。
アセンションなどの考え方もあります。私がアセンション系の考え方に疑問を持つのは、「これって、カモメのジョナサンみたい。」だと思うからです。
早く飛ぶために邪魔になる空気をなくしたら、そのまま落ちた、という感じの話ですよね。
陽のエネルギーだけで世界を語ると、陰の存在を忘れがちになってしまいます。
陰と陽、互いに支えあってそこに存在しているはずですが、陽ばかりのエネルギー、波動、に注目していると、陰の波動、低い波動を排除しがちになってしまいます。
すると、陽のエネルギーもその場を維持できなくなる可能性ありですよね。
太陽の光に照らされた明るい場所ばかりを見ていると、暗い影の部分が見えなくなってきます。そして、見えないものだから暗い影の空間を恐れるようになってしまいます。
しかし、太陽の光から目をそらして、ゆっくりと影を見ていると、そこにも普通に世界が広がっているのが見えてくると思います。
現実世界でもそうですから、向こうの世界もそうなのだと思います。
まず向こうの存在が光の陽のところに案内するのは、まずこちらのエネルギーを上げておく必要があるからだと思います。
それにより、自分の波動を高める。いきなり陰のほうに行くと、戻って来られなくなりそうですしね。
そして、その時に陰の存在との接触が始まるような気がします。
明るく照らせば照らすほど、影が見えてくるものですから。
そこから私たちはどうするべきなのか?
ここで影の存在、陰の存在を受け入れてあげる必要があるのではないかと最近思うようになりました。
もっと陰の世界に近づいてみる必要があるのではないのか?と。
人間は、内面に陰、陽、そういう感情を常に持っていて、その間をさまよっている存在です。ならば、陽ばかりを見ずに、自分が持っている陰の部分を受け入れる事も必要かと。
世界は自分の内面の写し
そう考えると、外に存在する陰のものも否定したらかわいそうですよね?
自分が陽の存在、光の存在になり、自分が輝いていると影の世界に入りこんでも自分の光でそこを照らしてしまい、影の世界の真の姿をゆがめて理解してしまう可能性があると思うからです。
陰の世界の存在、前回会った時はそれほど恐れるものでもないように感じました。こちらがしっかりとしていれば、相手もそれほど付け入ることはしないのだなあ、と言う感じで。
なので、これからちょっとダークサイドの存在ともアクセスして、何を考えて行動しているのかも調査してみたいなあ、と思っています。
なんでも、相手を拒否していたら何もわかりませんからね。
人の言う事だけが真実ではありません。
人の見たものだけが真実でもありません。
そして、自分が見たものだけが真実と言うわけでもありません。
だから、たくさんのものの見方が必要なのだと思います。
私はその本読んでいないので、まったく知りませんでした。
これって、陰陽の話の基本ですよね。
人は中庸を目指すと言うのは。
今後、その辺りも調べて行きたいと思っています。
なので、自分の中にその統合がなされない限り、常に探索する必要があるのかな、と思います。
これが大切なのかな、と思います。
自分の基準のみに固執すると楽しいことを見逃してしまいそうですからね。
常に揺らぐのは当然であり、そこでいつも戻れる基準を設定しておくのも大切かな、と思います。
ユングの文章、あとで見させていただきますね。ご紹介ありがとうございます。
カレー屋さん、今度お近くに来たときにお教えしましょうか?かなり辛いのも出来るみたいですよ。
白竜に縁が深いのですね。私の見たのも精霊っぽい存在でしたしね。
なので、コメントを頂くと、私も参考になりますので、本当に助かります。
ちょうど22日は個人的なイベントもあり、何かの日になると面白そうです。
これも何かのご縁なので、今後も宜しくお願いします。
昼間と夜の間、黄昏を生きるのが人間の宿命なのかと。
それで今回自分のメンテナンスに出かけたのです。
自分の弱点を知ると、その前に手が打てますからね。身近にこういう整体師の方がいて、本当に助かります。
それとも、自分の低いエネルギーを陰の存在に転写して、それで怖がっているだけかも?
ということを思ったりします。
意外と見えないところに真実があるのかも?
悪い人達じゃないと思うのですけどね。
善悪の話も、他から見たら大したこと無いこともありますし。
なるべくいろいろな視点を持ちたいものです。
世界はバランスよく出来ているのならば、影の存在も必要としてそこにあるわけですからね。
今後も私なりの探求をしていきたいと思います。
光も影も双方で差さえあって存在している。
そんなイメージを持っています。
ならば、そのあたりを調査したくなるのが好奇心ですよね。
陰陽の関係をちょっと見てみたくなりましたので。
ジェーンロバーツさんの本は、日本語で見かけたことないですね。セスくらいしか読んだことありませんので。
チャネリングを受けて書いた話。そういわれると「なるほどね。」と思わせられます。
私も童話を書くときは上から降りてきたのを書く感じでしたからね。
また読み直して見ます。
お陰様、という言葉があるように、見えるところだけに神様が居るわけではないのですよね。
なので、陰の世界も見方をちゃんとすれば、それほど異常な世界ではないのだと思います。
なにしろ、ヘミシンクは別の体験してそれを記録するだけで終わっちゃいますので(笑)。
風邪や発熱、ノドの痛みなどの時は整体マップとか効果ありますよ。
ただ、私の場合は手ばかりを一日中使う仕事ですので、肉低的疲労が溜まるのはしょうがないですね。
「各自にはネガティブな要素もポジティブな要素も
共にある。怒りや恨み、憎しみ、愚痴、という部分
もあると同時に、愛や思いやりにあふれる部分も
ある。自分とはその両方を持ち合せた存在である。
この真実に気づくことが大切だ。
気づくことが統合である。その上でポジティブな
行動を選択する」
なるほど・・・日月神事にも同様の解釈が伺える
文言があります。でも、気づくだけでOK?なの?
ここで私が感じた事は、圭さんやここの投稿者の中
にはもう既に、理論としては既知の世界なんだ・・
と皆さんの精神性の高さを改めて知ると共に、大切
な事は自身の経験として確認していく事そのもの
なのかな?
といったところです。
今後の調査報告、楽しみに待ってます
ありがとうございました 合掌
今回(この時期)の光と影の論議も、皆さんの哲学を伺え参考になります。
未だ、自身の哲学が無い初心者の私ですが
一石を投じる意味で
今回バシャールの言葉を引用させて頂きます
『分裂する未来』坂本政道著 第二部五章より
「それはポジティブとネガティブの統合が新たな
ものを生み出す可能性である。プレアデス人たちの
文明では当初、ネガティブを恐れるあまり、ポジ
ティブな側面のみを見る傾向があった。
ところがそれは文明の発展に停滞をもたらして
いた。
宇宙の真理は、もしかしたらポジティブもネガテ
ィブもどちらも異なる表現に過ぎないのではないか
、こういう思いが徐々に強まっていったのである。
さらに、両者を統合することが何かこれまでに
ない新しい価値あるものを生み出すかもしれないと
考えるようになった。
そこで彼らは地球上でのポジティブとネガティブ
の統合という一大実験にとりかかったのである」
(続く)
自分の中に全てが存在する事を認識できるまで私達の探索は続くのかもしれませんね。
暑くなります。
お体を大切にされて下さい。
そして、これを読んでいる皆さんもそうであることを、出来ればいつでも心に留めていただければ。と・・・
賢明なる諸氏には、言わずもがなのことであるかも知れませんね
しかし我々クレアツールは、善とか悪とか区別せずにはいられません。
なぜなら我々は、その様に区別することに拠ってしか、世界を認識できませんし、そうしないと思考することさえ出来ないからです。
それを放棄することは、無秩序な混沌に陥ることになります。(非区別性を失いプレロマと同化するということ)
我々を含む、高次の意識体が行えるのは、「はたらき」の制御です。
益となり秩序と進歩を各自が目指します。
その行程に於いて、あるときには、善にもなり悪にもなるということはあるのではないでしょうか。むしろそのようなダイナミズムを避けえずして、進歩というものはあり得ないのではないでしょうか。
そして、その善とか悪とか言う物も、自身の立ち位置によって変わることさえあるわけです
ネット検索してみると、殆ど載っているページを見つけました。↓
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/y1-abrax.html
で、本題ですが、多次元宇宙を含む広義の意味での世界を動かしているのは、「はたらき」であると捉えるべきなのでは、ないでしょうか。
「はたらき」には、善も悪もありません。「はたらき」は、ただただ「作用する」だけで、そこに価値判断などはありません。
それを受け取る意識が、そこに価値判断を付加して善とか悪とか言ってるだけです。
Aにとっては善でも、Bには悪といったことはザラですし、皆さんも肯かれることと思います。
ユングは、この「はたらき」をアプラクサスと呼んでいます。
色んな感じ方、受け止め方があるのだなぁ…と思いました。
情報は情報として取り入れて、
心の中で一旦保留。
たくさんの物の見方を知れると言うのは
有り難いことです。
今月22日は今世紀最長の皆既日蝕…楽しみです。
ブログの陰陽の話しの流れともシンクロしてるのかなぁ。と(笑)
天体ショーを直に見られるチャンスはなかなか無いので
すごく楽しみですね
今はまだ、たまにメタミュージック聞いて瞑想する程度の初心者なのですが、いずれ本格的な探求に挑戦したいと思っています。
ところで私も昔、趣味で小説を書いていました。ファンタジー系ばかりでしたけど。
小説を書いていると、「もしかしたらこの宇宙を創造した神様も、私が小説を書くようにこの宇宙を描いているのかもしれない」と思うことがあります。
物語を面白くするには、悪役とか、どことなく影のある奴とかが、必要なんですよね。キャラクターが善人ばかりだとストーリーにメリハリがつきません。(ほのぼのとしたお話を作るならそれでも良いのかもしれませんが。)
ダークサイドと呼ばれる存在も、この宇宙という物語世界を豊かに彩るために、神様が生み出したキャラクターなのかもしれませんね。
ダークサイドの調査報告、楽しみにしてます。
かなりお疲れのご様子ですが、お体大切になさって下さいね。
下園氏によれば、本人の許容範囲を超えて頑張り過ぎ、エネルギー不足の状態になっているのに、本人がまだ気づかずに頑張り続けている時、体が本人を休ませるために、原因不明の不定愁訴を発症させるとか。
で、そのいい例が腰痛なのだとか。
現に私の職場でも上司がたまに腰痛で朝から出社しても動けなかったりする事がありますが、大抵そういう時、その前日にストレス大の精神的ショックな出来事があったりしてます。
まるさんのブログをまだこの先、末永く読んで楽しませて頂きたいと思っていますので、どうぞ無理だけはなさらずに。
霧雨の朝に虹がかかっていました。
カモメのジョナサンは、最後に光りの領域に
飛んでいったと思いますよ。
陰の存在にも、邪気・魔物といろいろいるようで
多くは、人の弱さの一つの表現にも思います。
特に西洋のオカルトに出てくるのは、このタイプ
が多いようかな・・・と考えています。
ところで、心霊番組の解説を聞いていると、怪しい
現象が起きる前に、すでに陰の存在が気づかれる
ことなく誘導しているそうですね。
怪しいマンションに住む前に、マンション探し
の時点で、すでに陰の存在が付いているようです。
高次の陰は、どんなやり方をするか・・・
弓矢は持っていかれると良いかもですね。
検索により陰の最高峰はサターンと呼ばれる存在なのかまたは別の存在がいるのか、その存在場は限りなく漆黒の凍り付いたような動きのまったくない世界なのか、その生命体の思考形態はどのようなものなのか、はたまたそれは理解できうるのか・・・なんてどうですか。しかし陰陽の究極は意外と表裏一体かもしれませんね。な~んだ騙されたとかの楽しい世界かも(笑い)
但し、検索時は極超強化リーボルを作ってたよりになる光の存在を連れってくださいね。
低次元のダークサイドと、高次元のダークサイドの普段のしていることって何ですか?
悪魔だと思うと人とかを苦しめたり殺したり…ってイメージしか浮かばないんですけどそれでいいんですか?
というのも、スピの世界って、どうしても光(陽)にフォーカスしていて、そこだけで話が進んでいるような気がしていて。。。
自分だけ、なんか変なのかなあ、と悩む時もあり、でもやっぱり心は変えられず、今に至ります。
先日のコメントのお答えにもありましたが、相互補完なんですよね。
今後の記事、楽しみにしています。
また今度は、自分の考えに少し自信を持って、探索してみたいと思います。
ありがとうございました。
陰陽なら陰あれば陽あり、お互いがあればこそ。お互いにバランスをとることで成り立つ。バランスをとるところが動的な感じです。まあ、これは個人の好みなんですけど。
内面も陽が光、陰が影だとして、光ばかり追いかけるとそれはそれで執着ですね。陰陽どっちも受け入れたいけど・・・むずかしいです。
まるの日さんのブログを読むと、今はできていないけど、できるだけ早く自分も色々な存在に会って色々と確かめられるようになりたいという励み、目標になります。ありがとうございます。
「暗い曲しか聴けないのと明るい曲しか聴けないのとどっちがいい?」と聞かれたら私は「どっちも聴けないとイヤ」と答えますね。陰と陽も同じかなと。
ダークサイドが悪魔だとか必要悪だとかいうのであれば、お近づきになりたくないですが、ただの陰ならそれもちょっと知りたいかも。
ダークサイドの話題、ここ数日、私も考えてました。
そもそも「一なる存在」が、わざわざ光と影とを分けて作ったのですから、何か存在の意義があるのでは?と。
私も根が理系なもので、どうしてもコトの最初に立ち帰って考えてしまってます。
以前に「人類の軌跡」というシリーズのなかで、地球における対比構造がルーシュを効率的に生産するような話もあったと思うのですが、そのような「レベル差」を生むための存在なのでしょうかね?
それにしても、光からエネルギーを受け取れない存在というのは、それを自ら選んだのでしょうか、それとも何かの因果で最初からそのような存在として生じるのでしょうか?
探索という意味でも、とても興味深いと思ってます。これからもぼちぼちとがんばってください。
お体には気をつけて。
それでは、また。