最近、「自分は仕事の能率が悪いので、これほど忙しいのか。それとも、単に仕事が多いだけなのか。」と考える事ありますね。
「仕事が多い」せいにしてしまうと、それ以上の自分の探求がおろそかになりそうですし。
しょうがないよねぇ、的な。
能率が悪いなら、といって、がんばって能率を上げると、その分別の仕事を入れるので。結局忙しくなるし。
なんて考えると、「結局いつも忙しくなるんじゃねえの?」って事になります。
まあ、その中でも心の余裕を持てるようになったのは、かなりの進化だと思いますね。
若い頃は、「キーッ!」てなって、自分の未熟さに気付かずに人のせいにばかりしてましたが。
今は自分の選んでいる道ですからね。「これもまた楽し」と思えるようにはなりました。
コレも、ヘミシンクして、意識の持っていきかたをいろいろと訓練したせいかなあ、なんて思っています。
今、代車でかなり「イラッ」としながら運転してますが。それも、今、代車にのっているから感じられる感情であって、どこかでこのイラッと感を楽しんでいるところもあります。
腹が立っても、イライラしても、今ここに居ることで感じられる感情ですからね、
そういうものも大切にしていきたいものです。
さて、今日のヘミシンク。
今日は、久々登場の水無月さん。
「誰それ?」という新規読者の方に。
この人は、いわゆる私のハイアーセルフ的な存在でして。I/Tメンバーの代表者的な立ち居地におります。フォーカス35あたりのエネルギーのとこに居る人です。
じつは、私が最初に接触した非物質的存在「佐野良子さん(明治時代の新潟生まれ。大店の若旦那と結婚し、二人の男児に恵まれるも23歳で結核で死亡。というプロフィールがあります。)」と同じ人と言うことが後に判明。
ハイアーセルフは気付かないだけで、意外とその辺にころがっているのかもしれません。
前にマダムとあってますが、実はこの水無月さんと彼女は対の存在なのです。
陰と陽、マダムと水無月さん、
なので、陰の存在の話ばかり聞くのもなんなので。水無月さんとも接触する事に。
それに、最近ヒーリングでエネルギー借りてくるとき。たいてい水無月さんにお世話になっておりますので。そのお礼もかねて、と言う感じですね。
実は、昨日の会議の時も眠くてしょうがなかったので。「どのようなエネルギー操作をすると、眠気が無くなるのか。」なんて事をしておりました。
その際も水無月さんにはお世話になっていたのです。
ついでに、今度やるセミナーの内容なんかも考えていたりして。
まあ、つまり、それくらいいろいろと考える時間のある会議であったと、そういうことですね。
水無月さんはいつも茶室にてお待ちくださっています。毎回、背中に樹木のイメージを背負っている感じなんですよね。
まずは、抹茶を立ててくれますので。お茶を頂きまして。
そこから会話開始です。
「そもそも、ハイアーセルフってなんなんですか?」
「圭さん達の感じで言うと、村長のようなものですね。」
「村長?」
「村を表現するのに、その人がいれば一番分かり易いでしょう?」
「でも、この考え方自体が議会制民主主義の思想的な感じがしてしょうがないのですよ。多数決で選ばれたものが代表になっているような気がするシステムですよね、この村長とか県知事とか議員とか。
これって、本当にその村、その集団を現せる人物がその役職になっているの?って感じしますし。
それと、ハイアーセルフを一緒に考えると、ちょっとどうなの?って気がしてくるのです。」
「そうですね。あなた方の行っている政治システムと比較すると、似たようなところもあるし、まったく違う部分もあります。」
「似ている部分は?」
「一人がその集団の代表者的存在として存在しているところ。」
「違う部分は?」
「民主主義の選挙で選ばれた存在は、その集団全員の代表者ではなくて。その存在を選んだ人たちの代表者的存在。
でも、私はその集団にあるすべての存在の代表者。」
「どう違うので?」
「たとえば、圭さんのところの村長が居ます。その村長は村民すべての名前と生活環境をすぐに言えるでしょうか?」
「まず無理でしょうね。応援してくれている家族くらいは言えるかもしれませんけど。」
「私は、私につながっている存在すべての名前も情報も、全てを理解していますよ。」
「つまり、村長とか政治的なリーダーとの違いはそこですか。」
「私は、圭さんにつながるすべて、I/Tメンバーといわれる存在全てを認識しています。」
「で?それでどうなるんですか?」
「そういう存在と言うことですよ。」
「いやいや、I/Tとかはネットワークで個人個人が結ばれているじゃないですか。ならば、そこに代表者的なものは存在する必要ないのでは?」
「さきほどの村長と同じような、何かを『代理で実行する者』、と考えるとそう思うかもしれませんね。
私にはその集団をまとめようとか、その集団の意識を外にアピールするとか、そういう必要は全くないのです。」
「なら、なおさら水無月さんのような存在、ハイアーセルフというものはなぜに存在するので?」
「圭さんはどう思うの?」
「接続端子だと思っています。I/T同士の。
ネットワークが構成されたI/Tですが、それを接続するにはやはりすべてのI/T情報にアクセスできるポイントがないと、外部につなげられないと思うのですよ。
たとえば、昔はステレオのスピーカーから出てくる音を、マイクで拾ってカセットテープに録音してましたが。今は接続端子をつなげるだけでOKですよね。
I/Tがバラバラでアクセスする状態がこのスピーカーから流れる音をマイクで拾う行為になるのかな、と思います。これって、元の音楽と比べると、かなり音質も劣化するし。途中で外の車の音が入ったり。お母さんが誰かを呼ぶ声が入ってきたりとか。元の音楽に比べると、かなり変化してしまいます。
でも、接続端子で行えば、ダイレクトにつながるので音楽情報がすんなり移行します。情報のやり取りも正確です。
この、接続端子の役割が、水無月さんのような存在なんかな、と思いますけど。どうでしょう?」
「そういう見方も有りですね。でも、普通の接続端子ではありませんよ。」
「どのように?」
「私に繋がるすべての存在の、その情報の流れも管理してますから。」
「へえ、じゃあ、ミキサーとアンプ付きの接続端子みたいなもの?」
「そちらのほうが、より近いですね。」
「そう考えると、ハイアーセルフってあまりありがたみ無いんじゃないですか?」
「圭さんにとってはそうかもしれないけど。他の人にとってはそうではないのでしょう。
そこに何を求めるのか、それで価値基準は変化してくるものです。
全てを情報として持っている、私のようなものと接触すると、あらゆる情報にアクセスできるようになります。
その働きに対して「これは素晴らしい!ありがたい存在だ」と思う方は思うといいのですし。
全てを受け入れる存在として、愛にあふれた崇高な存在、と見ても良いのですし。あなたのように「タダの接続端子ね」と思う方は思えばいいのです。」
「こう書くと、私がハイアーセルフ否定しているように聞こえるかもしれませんが。
『ハイアーセルフは素晴らしい存在だ』で終わらせたくないから、ちょっと今回の話をやっているところがあります。
どう素晴らしいのか。そこをもっと深く掘り下げてみたいと思いまして。
水無月さんを嫌いなわけではないですからね。」
「それは知ってます。私に気を使う必要はないですよ。思う存分、失礼な事を聞いてきても大丈夫です。」
「失礼なことって、まあ、そうですかね。
じゃあ、失礼でなさそうなところから。
いつも水無月さんに会うと、ハートのあたりがもやもやして。とても素敵な幸福感に包まれるのですが。
この場合は接続端子的見方で言うとどういうかんじになります?」
「微妙な質問ね(笑)失礼なのか、そうでないのか。
たとえば、圭さんをある音楽の一小節だとします。これだけでは、いったい何の音だか良く分からないし、何の曲かもわかりません。
もしも白い紙に楽譜の一小節しか書いてなかったら、不安ではない?」
「不安ですね。なんだこれ、って思いますよ。」
「その孤独な不安、というものを皆さんは持っているのです。現実世界では自分の一小節しか見えないから。他の人の部分はハッキリみえないのです。
でも、私はすべての音が見えます。すべての楽譜が一小節ずつがつながっているのを感じることができます。
私はその楽譜を美しく奏でる事ができるのです。
それを聞いたら、「自分の一小節はいったいどういうものなんだ。他の人と違うのではないのか?」と考えていたとしても。
美しい調べとなって響き渡ると、自分の一小節の需要さに気付くと思います。
「あ、自分は今このように、ここに存在していていいんだ。意味があるんだ。」
と言う感じで。自分の存在を受け入れ、納得できる。
それを、私と会うたびに、圭さんは無意識に感じているのですよ。
自分の一小節の入った楽譜の、美しい調べを感じているのです。」
「それが幸福感とかハートのもやもやとかになるんですか。でも、音はきこえませんよ。」
「これは例え話でしょう。でも、聞こえる人も居ます。それは人それぞれ。」
「人の意識から音楽を奏でる、そのためのハイアーセルフですか。」
「そう思っていただいてもいいですね。」
「個人のための、個人の利益になるための事はしてくれないので?」
「それを望む人はそれを得る事ができるでしょう。」
「本当?」
「それが私の奏でる音楽の調べと同じであるならば。」
「結局そこですね。我欲では手助けしてくれないのですね。」
「常に手助けはしています。それに気付いてもらえるといいのですけどね。」
というような話をして。あとは雑談して帰ってきたようなものですね。
水無月さんが村長なら、マダムは何?とか。
まあ、私にとっては水無月さんもガイドですけどね。
まあ、たまにはこういうやりとりも有りということで。
「仕事が多い」せいにしてしまうと、それ以上の自分の探求がおろそかになりそうですし。
しょうがないよねぇ、的な。
能率が悪いなら、といって、がんばって能率を上げると、その分別の仕事を入れるので。結局忙しくなるし。
なんて考えると、「結局いつも忙しくなるんじゃねえの?」って事になります。
まあ、その中でも心の余裕を持てるようになったのは、かなりの進化だと思いますね。
若い頃は、「キーッ!」てなって、自分の未熟さに気付かずに人のせいにばかりしてましたが。
今は自分の選んでいる道ですからね。「これもまた楽し」と思えるようにはなりました。
コレも、ヘミシンクして、意識の持っていきかたをいろいろと訓練したせいかなあ、なんて思っています。
今、代車でかなり「イラッ」としながら運転してますが。それも、今、代車にのっているから感じられる感情であって、どこかでこのイラッと感を楽しんでいるところもあります。
腹が立っても、イライラしても、今ここに居ることで感じられる感情ですからね、
そういうものも大切にしていきたいものです。
さて、今日のヘミシンク。
今日は、久々登場の水無月さん。
「誰それ?」という新規読者の方に。
この人は、いわゆる私のハイアーセルフ的な存在でして。I/Tメンバーの代表者的な立ち居地におります。フォーカス35あたりのエネルギーのとこに居る人です。
じつは、私が最初に接触した非物質的存在「佐野良子さん(明治時代の新潟生まれ。大店の若旦那と結婚し、二人の男児に恵まれるも23歳で結核で死亡。というプロフィールがあります。)」と同じ人と言うことが後に判明。
ハイアーセルフは気付かないだけで、意外とその辺にころがっているのかもしれません。
前にマダムとあってますが、実はこの水無月さんと彼女は対の存在なのです。
陰と陽、マダムと水無月さん、
なので、陰の存在の話ばかり聞くのもなんなので。水無月さんとも接触する事に。
それに、最近ヒーリングでエネルギー借りてくるとき。たいてい水無月さんにお世話になっておりますので。そのお礼もかねて、と言う感じですね。
実は、昨日の会議の時も眠くてしょうがなかったので。「どのようなエネルギー操作をすると、眠気が無くなるのか。」なんて事をしておりました。
その際も水無月さんにはお世話になっていたのです。
ついでに、今度やるセミナーの内容なんかも考えていたりして。
まあ、つまり、それくらいいろいろと考える時間のある会議であったと、そういうことですね。
水無月さんはいつも茶室にてお待ちくださっています。毎回、背中に樹木のイメージを背負っている感じなんですよね。
まずは、抹茶を立ててくれますので。お茶を頂きまして。
そこから会話開始です。
「そもそも、ハイアーセルフってなんなんですか?」
「圭さん達の感じで言うと、村長のようなものですね。」
「村長?」
「村を表現するのに、その人がいれば一番分かり易いでしょう?」
「でも、この考え方自体が議会制民主主義の思想的な感じがしてしょうがないのですよ。多数決で選ばれたものが代表になっているような気がするシステムですよね、この村長とか県知事とか議員とか。
これって、本当にその村、その集団を現せる人物がその役職になっているの?って感じしますし。
それと、ハイアーセルフを一緒に考えると、ちょっとどうなの?って気がしてくるのです。」
「そうですね。あなた方の行っている政治システムと比較すると、似たようなところもあるし、まったく違う部分もあります。」
「似ている部分は?」
「一人がその集団の代表者的存在として存在しているところ。」
「違う部分は?」
「民主主義の選挙で選ばれた存在は、その集団全員の代表者ではなくて。その存在を選んだ人たちの代表者的存在。
でも、私はその集団にあるすべての存在の代表者。」
「どう違うので?」
「たとえば、圭さんのところの村長が居ます。その村長は村民すべての名前と生活環境をすぐに言えるでしょうか?」
「まず無理でしょうね。応援してくれている家族くらいは言えるかもしれませんけど。」
「私は、私につながっている存在すべての名前も情報も、全てを理解していますよ。」
「つまり、村長とか政治的なリーダーとの違いはそこですか。」
「私は、圭さんにつながるすべて、I/Tメンバーといわれる存在全てを認識しています。」
「で?それでどうなるんですか?」
「そういう存在と言うことですよ。」
「いやいや、I/Tとかはネットワークで個人個人が結ばれているじゃないですか。ならば、そこに代表者的なものは存在する必要ないのでは?」
「さきほどの村長と同じような、何かを『代理で実行する者』、と考えるとそう思うかもしれませんね。
私にはその集団をまとめようとか、その集団の意識を外にアピールするとか、そういう必要は全くないのです。」
「なら、なおさら水無月さんのような存在、ハイアーセルフというものはなぜに存在するので?」
「圭さんはどう思うの?」
「接続端子だと思っています。I/T同士の。
ネットワークが構成されたI/Tですが、それを接続するにはやはりすべてのI/T情報にアクセスできるポイントがないと、外部につなげられないと思うのですよ。
たとえば、昔はステレオのスピーカーから出てくる音を、マイクで拾ってカセットテープに録音してましたが。今は接続端子をつなげるだけでOKですよね。
I/Tがバラバラでアクセスする状態がこのスピーカーから流れる音をマイクで拾う行為になるのかな、と思います。これって、元の音楽と比べると、かなり音質も劣化するし。途中で外の車の音が入ったり。お母さんが誰かを呼ぶ声が入ってきたりとか。元の音楽に比べると、かなり変化してしまいます。
でも、接続端子で行えば、ダイレクトにつながるので音楽情報がすんなり移行します。情報のやり取りも正確です。
この、接続端子の役割が、水無月さんのような存在なんかな、と思いますけど。どうでしょう?」
「そういう見方も有りですね。でも、普通の接続端子ではありませんよ。」
「どのように?」
「私に繋がるすべての存在の、その情報の流れも管理してますから。」
「へえ、じゃあ、ミキサーとアンプ付きの接続端子みたいなもの?」
「そちらのほうが、より近いですね。」
「そう考えると、ハイアーセルフってあまりありがたみ無いんじゃないですか?」
「圭さんにとってはそうかもしれないけど。他の人にとってはそうではないのでしょう。
そこに何を求めるのか、それで価値基準は変化してくるものです。
全てを情報として持っている、私のようなものと接触すると、あらゆる情報にアクセスできるようになります。
その働きに対して「これは素晴らしい!ありがたい存在だ」と思う方は思うといいのですし。
全てを受け入れる存在として、愛にあふれた崇高な存在、と見ても良いのですし。あなたのように「タダの接続端子ね」と思う方は思えばいいのです。」
「こう書くと、私がハイアーセルフ否定しているように聞こえるかもしれませんが。
『ハイアーセルフは素晴らしい存在だ』で終わらせたくないから、ちょっと今回の話をやっているところがあります。
どう素晴らしいのか。そこをもっと深く掘り下げてみたいと思いまして。
水無月さんを嫌いなわけではないですからね。」
「それは知ってます。私に気を使う必要はないですよ。思う存分、失礼な事を聞いてきても大丈夫です。」
「失礼なことって、まあ、そうですかね。
じゃあ、失礼でなさそうなところから。
いつも水無月さんに会うと、ハートのあたりがもやもやして。とても素敵な幸福感に包まれるのですが。
この場合は接続端子的見方で言うとどういうかんじになります?」
「微妙な質問ね(笑)失礼なのか、そうでないのか。
たとえば、圭さんをある音楽の一小節だとします。これだけでは、いったい何の音だか良く分からないし、何の曲かもわかりません。
もしも白い紙に楽譜の一小節しか書いてなかったら、不安ではない?」
「不安ですね。なんだこれ、って思いますよ。」
「その孤独な不安、というものを皆さんは持っているのです。現実世界では自分の一小節しか見えないから。他の人の部分はハッキリみえないのです。
でも、私はすべての音が見えます。すべての楽譜が一小節ずつがつながっているのを感じることができます。
私はその楽譜を美しく奏でる事ができるのです。
それを聞いたら、「自分の一小節はいったいどういうものなんだ。他の人と違うのではないのか?」と考えていたとしても。
美しい調べとなって響き渡ると、自分の一小節の需要さに気付くと思います。
「あ、自分は今このように、ここに存在していていいんだ。意味があるんだ。」
と言う感じで。自分の存在を受け入れ、納得できる。
それを、私と会うたびに、圭さんは無意識に感じているのですよ。
自分の一小節の入った楽譜の、美しい調べを感じているのです。」
「それが幸福感とかハートのもやもやとかになるんですか。でも、音はきこえませんよ。」
「これは例え話でしょう。でも、聞こえる人も居ます。それは人それぞれ。」
「人の意識から音楽を奏でる、そのためのハイアーセルフですか。」
「そう思っていただいてもいいですね。」
「個人のための、個人の利益になるための事はしてくれないので?」
「それを望む人はそれを得る事ができるでしょう。」
「本当?」
「それが私の奏でる音楽の調べと同じであるならば。」
「結局そこですね。我欲では手助けしてくれないのですね。」
「常に手助けはしています。それに気付いてもらえるといいのですけどね。」
というような話をして。あとは雑談して帰ってきたようなものですね。
水無月さんが村長なら、マダムは何?とか。
まあ、私にとっては水無月さんもガイドですけどね。
まあ、たまにはこういうやりとりも有りということで。
内容は、深いですね。
スピーカーと、マイクの関係、面白いですね。
まだ、ビデオが無いとき、テレビ番組をテープに録音しようと思い、マイクをテレビの前に置いて、家族に話をしないように言って、録音した時を思い出しましたね。
母の声、ねこの声、外の自動車の音いろいろな生活音が入り込んしまいました。
ても、今なら、懐かしい音ですね。
保存しておけば良かったな。
接続端子や音楽の一小節とか、いつもいい例えで感謝してます。
あっ!もう一つ、うつの時に書いたものを鵜呑みにしないことですね。
水無月さん 接続端子で宇宙観を表現なさるとは・・すごい?
楽譜を美しく奏でるハイアーセルフと、その中の自分という一小節に例えて 孤独な不安をイメージさせるテクニックは絶妙ですね。
つまり、自己の意識が他の意識と繋がっているのであれば、やがては自己の意識が他の意識と 同調というか調和というか 融することによって ハイアーセルフに限りなく同化出来るということでしょうか。
マダムさんのご主張も、水無月さんのご主張も、大変ありがたいです。
ハイヤーさんの愛を感じますね。
それを少しづつ探求していくのが人生なのかもしれませんね。
トド:賭け事くらいええわ?や
という疑問は常々ありまして。
思い切って聞いてみた次第です。
1つの見方を教えてもらった感じですね。
これがマダムと水無月さんとの表現の違いなんでしょうね。
清楚で美しい女性なので、出会うとなんだか嬉しくなってくる、そういう人ですね。