朝、通勤している途中朝日が昇ろうとしている場面に出くわしました。
といっても、私は車で移動中です。
その時、畑の中や新緑の美しい林のなかを走っていたのですが(私の通勤路は自然豊かです。原生林から始まって、山間地域まで走りますから。)、太陽が出てくるまえの、光が稜線にそって輝きだす、そのときに植物達のざわめきを感じました。
もうじき現れる太陽を待ち焦がれるような、期待感にあふれた感覚です。
つい私も同調してしましましたら、胸のあたりや体中になにか高揚感のような、ライブが始まる直前の興奮のような、そんな感覚がはしりました。
太陽のエネルギーを感じ、植物のざわめきを感じる。
林の木々も、畑の作物も、道端の雑草も、すべての植物は生きるエネルギーを放出しているのですね。
これを見ると、農薬や化学肥料づけで育てられる作物さえも、必死に生きて大きくなろうとがんばっているのだなあと思えてきます。
「有機栽培しか食べない」という考えを持っている方に見せてあげたいくらいです。
作物を否定してはいけません。だから体に悪くなるのです。否定されているものが体に良いわけないですからね。
何でも受容(もちろん科学汚染されているようなものは別です。ある程度はってことで)して、食べ物はすべてに感謝の気持ちをもって食する。
あれはダメとかこれは良いとかあまり区別しない(もちろん、好き嫌いは別です。嫌いなものを無理して食べる必要はないですからね。)で、食べ物に対して感謝の気持ちを持って、食する事。これが健康な食事なのだと思いました。
すべてには命のエネルギーが宿っているのですからね。
命はすべてに平等。それに良い、悪いと区別をつけているのは人間だけです。
朝、朝日と植物のエネルギーを感じながら、そんなことを考えていました。
ヘミシンクやりだすと、こういうエネルギーの流れに敏感になってきますね。
さて、今日のヘミシンク。時間もないので、パパっとやれるものを。
ということで、ミシェルにお礼を言いに「まるの日カフェ」に向かいます。
カウンターの向こうではいつものようにカップを拭いている姿が。
「いつもありがとう。」
そういいながら席に座ると、にっこり微笑んで、「気にしないで下さい。これも仕事ですから。」といいました。
そして、「ところで、なんでミシェルにこういう能力があるわけ?」と聞いてみると、
「私(ミシェル)はミカエルの分体みたいなものですよね。ミカエルという存在は、はるか昔から人々の信仰を集めています。ミカエルという存在は、日本神界の神々と同様、そういう存在が原初の地球に存在していたわけではなく、現実世界にいる人々が発する念が、あるエネルギー系に『ミカエル』という区切りを作り、名前をつけているだけの話しです。
圭さんの理解しやすい感じでいうと、携帯電話のようなものですね。ドコモとかauとか通信会社がいろいろありますよね。ミカエルはそういうものと同じなのですよ。
多くのかたがドコモを利用すると、会社は基地局をたくさん設置して、どこからでも接続しやすくします。多くの方が使えば使うほど通信品質も向上してきます。
ミカエルなど天使や日本の神々も同様。人々の信仰が集まるものは、それだけ向こうとつながりやすくなってくるものなのです。
もちろん、欲ではなく、純粋な祈りの力が必要ですけど。
なので、ミカエルのような存在を通して、向こうのエネルギーに接続しやすくなるルートがすでにできているのです。そのあたりの携帯電話サービス会社よりももっとユーザーが多いわけですからね。
向こうのエネルギーを利用するためには、個人的に能力を高める方法と、ミカエルのような存在を利用する方法があります。
神に祈る、という行為は、高次のエネルギー系に接続する一つの方法であるのですよ。
もちろん、ここでも自分の欲、エゴなどが入ってくるといまひとつ上手く行きませんが。
純粋な方の願いが通じやすいのは、こういう感じだからなのですよ。」
「へえ、神頼みって、なんか依存心を作ってしまうからダメなのかと思ってた。」
「もちろん依存心のあるお願いは通じません。だから、お金を下さいとか奥さんと仲直りさせてくださいとかそういうのはダメですよ。」
「そのあたりの違いはどうなの?」
「『依存』はエネルギーレベルが低いからですよ。一方『祈り』はレベル高いですね。
そして、人のエネルギーで一番高い状態、それ は楽しい、嬉しい、そういう感情があふれている時です。ワクワクする、そういう言い方でもいいですね。
何か楽しい事をするために、力を貸して欲しい、そういう願いならば私達も動きやすいのです。
病気を癒すと嬉しい、とかそういう感じですかね。
だから『祭り』というものが存在するのですよ。
日本は祭事がたくさんありますが、それは神々に喜びのエネルギーを送って、そして願いを届けようという、そういうものなのです。
最近の祭りはそうでないものも多いですが、昔から行われている祭りは人々の願いを届けるためのものなんです。」
「はあ、まさか祭りの話しまでくるとは思わなかったなぁ。」
「世界はすべてつながっています。洋の東西を問わず、基本は一緒なのですよ。
だから、ミカエルを使う人もいれば、アマテラスを使う人もいる。観音を使う人もいる。それは人それぞれなのです。
エネルギー系と接続する端末がそういう存在だと思っていただければ理解しやすいですね。」
「そう聞くと、あまりありがたみが無いね。」
「価値観をつけるのはいつも圭さん達人間なんですから、好きに思っているといいですよ。」
「だんだん、神々と呼ばれている存在の認識が変わってきたよ。」
「それはいいことですね。思考が開かれるのは気付きを得るチャンスですから。」
「また、これからもいろいろお世話になるよ。」
「いつでも、お気軽に呼び出しください。私達には過労死はありませんから。」
「だいたい生きていないじゃん。」
最終的にまた深い話しになってしまいました。
結局、向こうの仕組みというのは、今のネット環境と同じようなものなんでしょうね。
膨大な情報は存在しているけれど、それを見る端末の能力、取り扱う人の能力に左右されるというもの。
未だに、古いPCとウインドウズ98使って、電話回線使っていて動画も見られない人は得られる情報に偏りが発生しますよね。
一方、最新のPC使っている人は、さくさく情報を得られます。
情報、には時間も空間も関係ないですよね。過去に存在していたものすら、今は見ることができたりします。世界各地の情報も見られます。
そして、その情報に価値を与えるのは見ている人次第。玉石混合の中から、自分に有用な情報をいかに得るか。そして不要な情報をスルーできるか、このあたりの感覚が重要になってくるような気がしますね。
向こうの世界と接触するときは、こういう概念を頭に入れておくと、間違った方向にはいかないと思いますよ。
あくまで、情報に価値を与えるのは見ている自分だということですね。
といっても、私は車で移動中です。
その時、畑の中や新緑の美しい林のなかを走っていたのですが(私の通勤路は自然豊かです。原生林から始まって、山間地域まで走りますから。)、太陽が出てくるまえの、光が稜線にそって輝きだす、そのときに植物達のざわめきを感じました。
もうじき現れる太陽を待ち焦がれるような、期待感にあふれた感覚です。
つい私も同調してしましましたら、胸のあたりや体中になにか高揚感のような、ライブが始まる直前の興奮のような、そんな感覚がはしりました。
太陽のエネルギーを感じ、植物のざわめきを感じる。
林の木々も、畑の作物も、道端の雑草も、すべての植物は生きるエネルギーを放出しているのですね。
これを見ると、農薬や化学肥料づけで育てられる作物さえも、必死に生きて大きくなろうとがんばっているのだなあと思えてきます。
「有機栽培しか食べない」という考えを持っている方に見せてあげたいくらいです。
作物を否定してはいけません。だから体に悪くなるのです。否定されているものが体に良いわけないですからね。
何でも受容(もちろん科学汚染されているようなものは別です。ある程度はってことで)して、食べ物はすべてに感謝の気持ちをもって食する。
あれはダメとかこれは良いとかあまり区別しない(もちろん、好き嫌いは別です。嫌いなものを無理して食べる必要はないですからね。)で、食べ物に対して感謝の気持ちを持って、食する事。これが健康な食事なのだと思いました。
すべてには命のエネルギーが宿っているのですからね。
命はすべてに平等。それに良い、悪いと区別をつけているのは人間だけです。
朝、朝日と植物のエネルギーを感じながら、そんなことを考えていました。
ヘミシンクやりだすと、こういうエネルギーの流れに敏感になってきますね。
さて、今日のヘミシンク。時間もないので、パパっとやれるものを。
ということで、ミシェルにお礼を言いに「まるの日カフェ」に向かいます。
カウンターの向こうではいつものようにカップを拭いている姿が。
「いつもありがとう。」
そういいながら席に座ると、にっこり微笑んで、「気にしないで下さい。これも仕事ですから。」といいました。
そして、「ところで、なんでミシェルにこういう能力があるわけ?」と聞いてみると、
「私(ミシェル)はミカエルの分体みたいなものですよね。ミカエルという存在は、はるか昔から人々の信仰を集めています。ミカエルという存在は、日本神界の神々と同様、そういう存在が原初の地球に存在していたわけではなく、現実世界にいる人々が発する念が、あるエネルギー系に『ミカエル』という区切りを作り、名前をつけているだけの話しです。
圭さんの理解しやすい感じでいうと、携帯電話のようなものですね。ドコモとかauとか通信会社がいろいろありますよね。ミカエルはそういうものと同じなのですよ。
多くのかたがドコモを利用すると、会社は基地局をたくさん設置して、どこからでも接続しやすくします。多くの方が使えば使うほど通信品質も向上してきます。
ミカエルなど天使や日本の神々も同様。人々の信仰が集まるものは、それだけ向こうとつながりやすくなってくるものなのです。
もちろん、欲ではなく、純粋な祈りの力が必要ですけど。
なので、ミカエルのような存在を通して、向こうのエネルギーに接続しやすくなるルートがすでにできているのです。そのあたりの携帯電話サービス会社よりももっとユーザーが多いわけですからね。
向こうのエネルギーを利用するためには、個人的に能力を高める方法と、ミカエルのような存在を利用する方法があります。
神に祈る、という行為は、高次のエネルギー系に接続する一つの方法であるのですよ。
もちろん、ここでも自分の欲、エゴなどが入ってくるといまひとつ上手く行きませんが。
純粋な方の願いが通じやすいのは、こういう感じだからなのですよ。」
「へえ、神頼みって、なんか依存心を作ってしまうからダメなのかと思ってた。」
「もちろん依存心のあるお願いは通じません。だから、お金を下さいとか奥さんと仲直りさせてくださいとかそういうのはダメですよ。」
「そのあたりの違いはどうなの?」
「『依存』はエネルギーレベルが低いからですよ。一方『祈り』はレベル高いですね。
そして、人のエネルギーで一番高い状態、それ は楽しい、嬉しい、そういう感情があふれている時です。ワクワクする、そういう言い方でもいいですね。
何か楽しい事をするために、力を貸して欲しい、そういう願いならば私達も動きやすいのです。
病気を癒すと嬉しい、とかそういう感じですかね。
だから『祭り』というものが存在するのですよ。
日本は祭事がたくさんありますが、それは神々に喜びのエネルギーを送って、そして願いを届けようという、そういうものなのです。
最近の祭りはそうでないものも多いですが、昔から行われている祭りは人々の願いを届けるためのものなんです。」
「はあ、まさか祭りの話しまでくるとは思わなかったなぁ。」
「世界はすべてつながっています。洋の東西を問わず、基本は一緒なのですよ。
だから、ミカエルを使う人もいれば、アマテラスを使う人もいる。観音を使う人もいる。それは人それぞれなのです。
エネルギー系と接続する端末がそういう存在だと思っていただければ理解しやすいですね。」
「そう聞くと、あまりありがたみが無いね。」
「価値観をつけるのはいつも圭さん達人間なんですから、好きに思っているといいですよ。」
「だんだん、神々と呼ばれている存在の認識が変わってきたよ。」
「それはいいことですね。思考が開かれるのは気付きを得るチャンスですから。」
「また、これからもいろいろお世話になるよ。」
「いつでも、お気軽に呼び出しください。私達には過労死はありませんから。」
「だいたい生きていないじゃん。」
最終的にまた深い話しになってしまいました。
結局、向こうの仕組みというのは、今のネット環境と同じようなものなんでしょうね。
膨大な情報は存在しているけれど、それを見る端末の能力、取り扱う人の能力に左右されるというもの。
未だに、古いPCとウインドウズ98使って、電話回線使っていて動画も見られない人は得られる情報に偏りが発生しますよね。
一方、最新のPC使っている人は、さくさく情報を得られます。
情報、には時間も空間も関係ないですよね。過去に存在していたものすら、今は見ることができたりします。世界各地の情報も見られます。
そして、その情報に価値を与えるのは見ている人次第。玉石混合の中から、自分に有用な情報をいかに得るか。そして不要な情報をスルーできるか、このあたりの感覚が重要になってくるような気がしますね。
向こうの世界と接触するときは、こういう概念を頭に入れておくと、間違った方向にはいかないと思いますよ。
あくまで、情報に価値を与えるのは見ている自分だということですね。
勉強になります。
ミシェル、味があっていいですね~。
過労死しませんなんて最高です。
まるさんの、だいたい生きて無いじゃん!で
大爆笑です。
休憩無しの13時間労働、私も経験ありますが家に帰ると頭がぼ~っとして何も出来ませんでした。そんな中での毎日のブログ更新、謝謝です。
祈りと依存ってどう違うのでしょうかね?この世には悪も善も無いのだからこの願いは聞くけれどこっちはダメとかあってもいいのでしょうか?
そうすとあちら側にはあちら側の価値観があってそれに沿っていないと願いが叶わないってことですか?
ワクワクがキ-なのは判りますがまだよく理解できませんね、私。
なるほど~なことばかり。
確かに、お祭りってワクワクしてエネルギーいっぱいになりますね。
私もまるさんみたいに、ヘミシンクでいろんな人に会って、直接お話ききたいです。
いつになるのやら・・・・・・・。
何となく目に浮かぶような。。素敵ですね~。
いつも、わかりやすくためになる対話をアップしてくださって、ありがとうございます。
最近は、なかなか体験が進まないので
ちょっと凹んで焦ってて
楽しい、嬉しい、ワクワク…を忘れてしまってました^^;
TAIさんのセッションでも、一番大切なメッセージで「Have Fan~♪」って言われてたんだ~!
体験することばかりに重きをおかずに、
今の毎日を楽しむことを一番に、またやっていきたいと思います。
ありがとうございます。
前半の植物の描写は
一編の詩のようであり、読みながら宮沢賢治を思い浮かべました。
(*^_^*)
祈りと依存の区別は、ちょっと難しいですね。
人情としては、切迫感のある依存を優先してあげてもよさそうなのですが…
(^^ゞ
最近のSNSなどのサークル欄などは、
F23などの信念体系領域のように感じます。
祈りについて
これをやると自分はワクワクするし
周りも喜ぶというものを見つけて
祈ってみたいと思います。
(^人^)
ハワイにペレという神様がいるのですが、つかさどるのが「炎、稲妻、ダンス、暴力」です。
かなり気性の荒い神様です。
ペレも端末なのでしょうかねぇ…。と思いました。
私もいつかヘミシンクでどこかへ行ってみたいですが、まだYouTubeで落としたGAIAしか持っていません。
CD買ってみようかな。