朝日のライブ感。今日もそれを感じながら会社に来たのですが、ちょっと曇っていたせいか、昨日ほどの盛り上がりはありませんでしたね。
植物もテンションがあるみたいで、ちょっと面白いなあ、と感じました。
こう言う気付きがあるのも楽しいものです。
午後から休日にしてしまいまして、仕事を切り上げて帰ってきました。明日は明日の風がふく~ という感じで。
なんだか疲れがどっと出てきまして、家でゆっくりしないとねえ、という事で。
家に帰って、まずしたのは写真とり。何の写真かというと、以前「愛のカブト」をブログにアップしていましたね。それに後日鎧も追加して、店に飾っていたのですが、子供の日も終わったので家に持って帰ってきました。その写真をブログ用にパチリ!

これがそれですが、高さ30cm以上ありますかね。1/60ガンダムのプラモくらいあります。
これをどうしたものか考えていますが、だれか受け取りにこれる人がいたら差し上げようかなあ、と。まあ、実際見るとかなりちゃちですが。
そして、久々にウクレレ挑戦。2週間くらい触っていなかったので、だいぶ退化していました。やはりしょっちゅう触ってないとダメですね。
夕方には、バイクを動かしてみました。このままだと今月あまり乗れそうにないですので。
その際、新しく近所にできた風車を見に行く事に。風車好きの私としては早く見に行きたかったのですがなかなか時間がとれませんで。やっといけました。新型は、まるっとしていてちょっとかわいらしい形していますね。

そして、以前からある風車郡の写真も。 ここの場所は南阿蘇ウインドファームとなっています。家に一つ欲しいなあ、と思ったりしましたが。
今日フォーカス15聞きながら瞑想したくらいで、ヘミシンク体験を特にやってないので、最近思う事をちょっと書いてみますね。
ちょっと、依存と祈りに関する話しを書いてみます。これは私の考えです。参考までに。
『依存』は『執着』を生み、執着は『恐怖』を生み、恐怖は『分離』を生み、分離は『争い』を生み出します。そして、争いからは何も生まれません。
『祈り』とは、『愛』から生まれるのもの。すべてを等しく認め、受け入れる心から発した願いは、祈りとなるのです。
これを陰陽の考え方に当てはめると、依存は陰、祈りは陽ですね。
高次の存在は基本、陽のエネルギーレベルに同調しやすいですから、祈りのほうが願いが叶いやすいという事になるのだと思います。
もちろん、陰の気が好きな存在もいるわけで、そちらの場合は依存に力を与えていきますね。
だから、即物的な信仰にも効果があったりするわけです。ただし、ここからは争いが生まれますので要注意ですね。宗教観の違いによる戦争なんて、それの最たるものです。
この考え方を最近の事件に当てはめてみると、なんとなく理解できると思います。
親に依存した子供、子供に依存した親。
社会に依存した大人。
恋人に依存した恋愛。
依存は視野が狭くなり、気付きを得る機会が極端に少なくなってしまいます。
気付きを多く得た人間は、俗に言う「成功」を手に入れることができるのです。
人生、『好奇心』です。何にでも興味を持つことが、何でも上達するコツだと思いますよ。
自分の主義、思想に依存しないで、一度新たな気持ちでヘミシンクをやってみてください。
かならず何かが見えてきます。
私が経験したからこそ、自信をもって言えることです。
ガイドも、依存されていると出てきません。ルリカさんふうに言えば、「頼られても困るわ。あなたの人生なんだから、自分で考えなさい。」という感じでしょうか。
ガイドと対等に対話できる関係、そういう意識にならないとなかなか現れないものです。
ガイドの導きを熱望している時は、まったく姿を現しませんからね。よくしたものです。
自分で思考して、そこから導き出した結果、そこに進もうと決意したとき、初めて援助の手をこそっと差し伸べてくれます。
その結果が誤っていれば、その道に進まないように障害を設けて邪魔をして、その道が進むべき方向ならば、スムーズに進むような援助を持ってきます。
そのガイドのこっそりとした援助に気付く事、これも執着している人はなかなかできないでしょうね。
精神的な依存と執着から意識を開放しましょう。
このあたり、宗教的思想、スピリチュアル的思想にも関連するので、ちょっと書いておきますね。
キリスト教圏では、「魂は天国で永遠に存在する。」と言いますし、仏教圏では、「魂は輪廻転生する。」と言います。
これは、その宗教を信仰している人、その思想にどっぷりつかっている人が話すと、「向こうが間違っている。」という事を言い出すわけです。
つまり、これって、さっきの依存関係と同じですね。ある思想に依存しているから、その思想が否定される事を恐れ、相手と違うと言い張り、分離、争いに発展します。
でも、良く考えると、どっちも嘘いっているわけないのです。なぜなら、それを信じている人たちがいるから。
嘘というのは、いずれバレます。1000年も人を騙し続けられるでしょうかね?
ということは、その思想にはある真実が含まれていると考えるべきですね。
「魂は向こうの世界に永遠に存在し、しかも転生を繰り返すということが実際に起こっているのではないか?」
と考えが行き着くわけです。この一見、矛盾するような考え方ですが、私の探索の基本はここにあります。
実験を行うときは、まず仮説を立てます。それからそれを証明する方法をいろいろ試していきます。私もこういう仮説を立ててみました。
「世界中のどの宗教も言っていることは基本同じ。ならば、魂の生まれ変わりや永遠の生、それは単に見方の違いによるものではないのか?」
というもの。これを調べようと思うと、膨大な本を読んで、それから推測するしかないですが、私はヘミシンクというアイテムを入手しています(まあ、妻が買ったものですが)。そこで私はそういう方面の事も調べ始めたのです。
そのあたりの話しは以前からちょこちょこ載せているので、ブログを最初から読まれている方にはご理解が進んでいると思いますが。
まだ調査中とはいえ、今のとこまでの結果を考えると、単純に見方の違いという事のようですね。
魂が生まれる場所の話を書きました。
フォーカス27から向こうの世界を見ている人は、魂がここで転生して、地上に生まれてくる。と見えますね。
しかし、フォーカス35以上の存在からみると、その新しく生まれてくるように見える魂すらすべては計画通りのタイミングで発生し、フォーカス27の生まれ変わりセンターでどのI/Tメンバーと関連付けさせられるかさえも、すべて決まっているという感じになるようです。
そして大元のI/Tに戻った魂は、そこですべての魂とリンクし合い、情報の共有と融合を行えるようになる。という感じでしょうか。
まあ、実際に皆さんでそれぞれに探索していただくのが一番です。
人の言葉だけを追って迷うくらいならば、自分で見て、体験したほうが早いですからね。
個人は個人として分離して存在している。と思い込んでいる方は、もっと周囲のつながりに目を向けていただきたいと思います。
すべての物事が絶妙なタイミングでリンクして、今ここに存在していることに気が付くと思いますよ。
そうすると、I/Tの考え方、生まれ変わりの考え方、そういうものに対する理解も進みます。
向こうの世界の写しが、こちらの世界なんですから。向こうの法則をしりたければ、こちらの世界の基本を見抜くことが大切なのだと思います。
あまりあっちばっかり見ずに、こちらをしっかり見ましょうね。
植物もテンションがあるみたいで、ちょっと面白いなあ、と感じました。
こう言う気付きがあるのも楽しいものです。
午後から休日にしてしまいまして、仕事を切り上げて帰ってきました。明日は明日の風がふく~ という感じで。
なんだか疲れがどっと出てきまして、家でゆっくりしないとねえ、という事で。
家に帰って、まずしたのは写真とり。何の写真かというと、以前「愛のカブト」をブログにアップしていましたね。それに後日鎧も追加して、店に飾っていたのですが、子供の日も終わったので家に持って帰ってきました。その写真をブログ用にパチリ!

これがそれですが、高さ30cm以上ありますかね。1/60ガンダムのプラモくらいあります。
これをどうしたものか考えていますが、だれか受け取りにこれる人がいたら差し上げようかなあ、と。まあ、実際見るとかなりちゃちですが。
そして、久々にウクレレ挑戦。2週間くらい触っていなかったので、だいぶ退化していました。やはりしょっちゅう触ってないとダメですね。
夕方には、バイクを動かしてみました。このままだと今月あまり乗れそうにないですので。
その際、新しく近所にできた風車を見に行く事に。風車好きの私としては早く見に行きたかったのですがなかなか時間がとれませんで。やっといけました。新型は、まるっとしていてちょっとかわいらしい形していますね。


そして、以前からある風車郡の写真も。 ここの場所は南阿蘇ウインドファームとなっています。家に一つ欲しいなあ、と思ったりしましたが。
今日フォーカス15聞きながら瞑想したくらいで、ヘミシンク体験を特にやってないので、最近思う事をちょっと書いてみますね。
ちょっと、依存と祈りに関する話しを書いてみます。これは私の考えです。参考までに。
『依存』は『執着』を生み、執着は『恐怖』を生み、恐怖は『分離』を生み、分離は『争い』を生み出します。そして、争いからは何も生まれません。
『祈り』とは、『愛』から生まれるのもの。すべてを等しく認め、受け入れる心から発した願いは、祈りとなるのです。
これを陰陽の考え方に当てはめると、依存は陰、祈りは陽ですね。
高次の存在は基本、陽のエネルギーレベルに同調しやすいですから、祈りのほうが願いが叶いやすいという事になるのだと思います。
もちろん、陰の気が好きな存在もいるわけで、そちらの場合は依存に力を与えていきますね。
だから、即物的な信仰にも効果があったりするわけです。ただし、ここからは争いが生まれますので要注意ですね。宗教観の違いによる戦争なんて、それの最たるものです。
この考え方を最近の事件に当てはめてみると、なんとなく理解できると思います。
親に依存した子供、子供に依存した親。
社会に依存した大人。
恋人に依存した恋愛。
依存は視野が狭くなり、気付きを得る機会が極端に少なくなってしまいます。
気付きを多く得た人間は、俗に言う「成功」を手に入れることができるのです。
人生、『好奇心』です。何にでも興味を持つことが、何でも上達するコツだと思いますよ。
自分の主義、思想に依存しないで、一度新たな気持ちでヘミシンクをやってみてください。
かならず何かが見えてきます。
私が経験したからこそ、自信をもって言えることです。
ガイドも、依存されていると出てきません。ルリカさんふうに言えば、「頼られても困るわ。あなたの人生なんだから、自分で考えなさい。」という感じでしょうか。
ガイドと対等に対話できる関係、そういう意識にならないとなかなか現れないものです。
ガイドの導きを熱望している時は、まったく姿を現しませんからね。よくしたものです。
自分で思考して、そこから導き出した結果、そこに進もうと決意したとき、初めて援助の手をこそっと差し伸べてくれます。
その結果が誤っていれば、その道に進まないように障害を設けて邪魔をして、その道が進むべき方向ならば、スムーズに進むような援助を持ってきます。
そのガイドのこっそりとした援助に気付く事、これも執着している人はなかなかできないでしょうね。
精神的な依存と執着から意識を開放しましょう。
このあたり、宗教的思想、スピリチュアル的思想にも関連するので、ちょっと書いておきますね。
キリスト教圏では、「魂は天国で永遠に存在する。」と言いますし、仏教圏では、「魂は輪廻転生する。」と言います。
これは、その宗教を信仰している人、その思想にどっぷりつかっている人が話すと、「向こうが間違っている。」という事を言い出すわけです。
つまり、これって、さっきの依存関係と同じですね。ある思想に依存しているから、その思想が否定される事を恐れ、相手と違うと言い張り、分離、争いに発展します。
でも、良く考えると、どっちも嘘いっているわけないのです。なぜなら、それを信じている人たちがいるから。
嘘というのは、いずれバレます。1000年も人を騙し続けられるでしょうかね?
ということは、その思想にはある真実が含まれていると考えるべきですね。
「魂は向こうの世界に永遠に存在し、しかも転生を繰り返すということが実際に起こっているのではないか?」
と考えが行き着くわけです。この一見、矛盾するような考え方ですが、私の探索の基本はここにあります。
実験を行うときは、まず仮説を立てます。それからそれを証明する方法をいろいろ試していきます。私もこういう仮説を立ててみました。
「世界中のどの宗教も言っていることは基本同じ。ならば、魂の生まれ変わりや永遠の生、それは単に見方の違いによるものではないのか?」
というもの。これを調べようと思うと、膨大な本を読んで、それから推測するしかないですが、私はヘミシンクというアイテムを入手しています(まあ、妻が買ったものですが)。そこで私はそういう方面の事も調べ始めたのです。
そのあたりの話しは以前からちょこちょこ載せているので、ブログを最初から読まれている方にはご理解が進んでいると思いますが。
まだ調査中とはいえ、今のとこまでの結果を考えると、単純に見方の違いという事のようですね。
魂が生まれる場所の話を書きました。
フォーカス27から向こうの世界を見ている人は、魂がここで転生して、地上に生まれてくる。と見えますね。
しかし、フォーカス35以上の存在からみると、その新しく生まれてくるように見える魂すらすべては計画通りのタイミングで発生し、フォーカス27の生まれ変わりセンターでどのI/Tメンバーと関連付けさせられるかさえも、すべて決まっているという感じになるようです。
そして大元のI/Tに戻った魂は、そこですべての魂とリンクし合い、情報の共有と融合を行えるようになる。という感じでしょうか。
まあ、実際に皆さんでそれぞれに探索していただくのが一番です。
人の言葉だけを追って迷うくらいならば、自分で見て、体験したほうが早いですからね。
個人は個人として分離して存在している。と思い込んでいる方は、もっと周囲のつながりに目を向けていただきたいと思います。
すべての物事が絶妙なタイミングでリンクして、今ここに存在していることに気が付くと思いますよ。
そうすると、I/Tの考え方、生まれ変わりの考え方、そういうものに対する理解も進みます。
向こうの世界の写しが、こちらの世界なんですから。向こうの法則をしりたければ、こちらの世界の基本を見抜くことが大切なのだと思います。
あまりあっちばっかり見ずに、こちらをしっかり見ましょうね。
検証したくなりました。
祈りは高く、依存は低いというのは
感覚としてわかります。
今の状態をあるがままに受け入れ感謝し、
心穏やかに少しづつでも祈っていきます。
(´∀`)
「精神的な依存と執着から意識を開放しましょう。」
今日は耳に痛いお言葉でした!(><)
依存にもその人に取って意味のある依存や、意味のない甘えやもたれかかりにしか過ぎない依存が、独り立ちにも思い込みや我欲に誘われるものもあるでしょうから、自分で深く、魂レベルまで考えさせて気付きを誘発させるような説法をしていたのかも知れないと岩波文庫の「ブッダ」なんか読んでると感じます。
ガイドもそのような存在なんだろうなと勝手に思っていますが、まだ遭遇できませんね。偉そうなこと書いた私自身の気付きと成功は、いつ来るのだろうか。(^^);
で、ある日、修業に感謝しだすと、仕事も、何もかも楽しくなってきて、辛い修業さえ楽しくなってくる。そのうち何でもかんでも素直に感謝できてくると、祈りに入りだす。神社に行ったら世界平和しか祈らなくなってきて、そしたら、ミクロだと思ってたことがマクロに思えるようになってきて、今までの疑問も、あぁ~そーかぁと発見があったりする。そうすると、ネガティブに入りかけててことがポジティブに流れていくようになってくる。人生って苦しい事も辛い事もあるから楽しいことや嬉しい事や幸せだと素直に思うことが増えてくるんですよねー。まるさん、いっぱいお話ありがとうございますぅ。疲れが取れたら、又、ゆったりと色々やってくださいね。楽しみにしています。今は、早く疲れ取ってくださいね。第一優先ですよ。
高い波動を出せるようにと心掛けてはいるつもりでも何かにつまずくとすぐに自分の周りに壁をつくって防御体制に入ってしまう私ですが、日々の出来事やまるさんのブログから気づきを得て成長しています。でもガイドってキビシイですね。
チョットくらい甘えさせてくれたってと思うけれど次から次へと色々あってへこたれそ~です。
家の水回りが気になったり、邪魔するように
いろんなことが、良く起きました。
「たぶん、今度の遠出は何かあるぞ」と
思っていると、案の定、出会った人が良くない
場合があったりします。
逆に、いかにも、誰かが早く行ってこい
というように急かされるようにトントンと
準備が進むことがあります。
こういうときは、ラッキーなことが多いの
ですが、どちらにしろ感謝する方が良い
のでしょうね。
以前から、向こうの世界との関わりを何らか
の形で感じてはいますが、どこに行っても
今ここに居ることも、必然であるという
現象(意味ある数字など)を見るたび
身の回りで起きる事については、自分の役割と
良い意味での意図を感じます。
なるほど!と気づきばかりです。
really さんと同じで、私も昔は、依存が多かったです。そして、依存が多かった頃は辛いと言う気持ちも多かったです。
それが、ヘミシンクに出会い、まるの日さんや色々なかたに気付きを頂いて、自分でまず頑張り、あらゆることに感謝していたら毎日が楽しくなり、道も開けてきたように思います。
でも、私もまだまだで、連休前に少し壁にぶつかり、落ち込む出来事があったら、また主人に会いたくて会いたくてたまらなくなり、辛いと思ってしまっていました。
ヘミシンクもさぼっていたのに依存だけして勝手ですね。
正直言って、ここ数日marunohiさんのブログも読んでいなかったのですが、今朝はまず読まなくてはと思いました。なんだかガイドさんにこれを読んでごらんと導いてもらったような気がしています。
また頑張っていれば主人やガイドさんがきっといい方向に導いてくれる!
ありがとうございました(*^_^*)。