いやぁ、昨日の夜からめちゃめちゃ寒くなってきておりまして。
外にいるネコ。お客さんから「ひじきのような」と言われるくらいみすぼらしい猫が家の周りにおりますが。
そちらが暖かく眠れる場所などを昨日妻が作っておりましたね。
とりあえず風を防ぐのと、暖かそうな敷物を入れている感じで。
昼間はデッキで日向ぼっこしてますし。やせ細っているので冬の寒さが心配な猫ではあります。と言いつつ、もう3年くらいは庭で見かけてますので。
こう見えても、意外と強いネコなんでしょうね。
さて、今日も暇があれば巡音ルカをいじってましたが。
まあ、なんというか。素人がいくらやっても素人の域を抜けないので。
諦めてほかの曲へと移行しようかと思っております。
とりあえず、まあ、微妙な感じですが形にはなったので。
こちらにアップしておりますが。恐ろしくて一般公開はできませんけどね。
素人が一曲目を一生懸命何時間もかけて調整して歌わせてもこの程度。
ということを感じて頂けましたら、と思いまして。
ユーチューブにはもっと上手な方のもアップされてますんで、聴き比べるとどれくらい差があるかが良く分かります。
私のはこっちのアドレスからしか見られないようになっていますので。検索で調べても引っ掛かりませんよ。
http://www.youtube.com/watch?v=mJs71KF8zV4
今回ピアノ曲の楽譜を流用しているので、ピアノのオケ入れたのですが。なんか、もっと安っぽくなって微妙だったので。「試験も兼ねて」アカペラにしてしまいました。
こっちのほうがまだマシか。でもまだまだですけどね。
こうやって「かなり痛い」ものを上げることで、次の作品へのモチベーションとしておりますので。イラストの時と同じですね。
初めてPCソフトで書いたらなんかしょぼかったのですが。最近はその癖を使ってまあまあなものがかけ始めておりますんで。
巡音ルカも何曲か入れてみて訓練しようと思います。なんでも訓練ですね。
で、この細かい調整をしていると、人間が歌うってこと、話すってことはとてもすごいバランスの上で成り立っていて。
それを機械で表現しようとすると、とても追いつかない感じもあって。
それを体験できるので、何か歌を歌う人すべてに対して尊敬する気持ちがさらに強くなってきますね。
それと、最近コツコツやることが減ってきたので。この感じがお菓子を作っていた時のレシピ開発にちょっとにてまして。
それでなんとなく楽しいところはあります。
砂糖を少し、バターを少しいれてみたらどうなるのか?
それは経験を積んだ今であれば直感的に「これくらい」と分量が浮かびますが。
最初菓子を作り始めた時はほとんど経験無しの状態でレシピ作ったりしてたので。
このコツコツして差を見つけ出している作業を何日も何日もやってましたね。
で、一年くらいやっていて、やっと「レシピのつくり方」のカンがついて。
それからは自分のお菓子開発の能力値も一気に上がった気がします。そのコツコツの積み重ねがやはり重要ですね。ヘミシンクもしかり。
いろいろなことを体験する人の特徴で、投げ縄引っ掛けて崖を登っていく人と。
石を積み上げてしっかりと足場を作りつつ登って行く人といますが。
この投げ縄で登っていく人は直感的に行動する人で。ある意味、次に登る人の道を無意識に作っている人ですね。
それを見て、同じように投げ縄の人たちが最初に群がります。同じルートを登るのだ。ということで。
その中で、色々と特徴が出てきて。
いろいろなルートが開拓されていきます。
その次に、したから見上げている投げ縄とかそういう技の使えない人たち。
そういう上に登る人を見上げて「うらやましいなぁ」と思うダケの人と。
少しでも、と思って石を積み上げ始める人とに分かれてきます。
上を見上げている人は、その石を積み始めた人を見て「そんなことをしても、あいつらには届かないよ」と言ってまったく手助けもしてくれませんし。むしろそのようすをあざ笑うようなことをする人もいます。
でも、石を積み始めた人は「投げ縄で登れるルートに沿って足場を作って行けば。誰でも登れるようになるんじゃないか?」
と考えて。
自分の出来る範囲で、上にいる人たちの後ろ姿を見ながら石を順に積み重ねていきます。
そして、投げ縄の人たちも疲れて休憩したりして。
飽きて登るのを辞めたり、もしくは途中で落ちた人もいることでしょう。
そして時間が流れると。気がつくと、いつの間にかしたから石を積んでいた人の高さが、投げ縄で登っていた人たちと同じくらいまで来ていたりして。
いつの間にか一緒に石を積んで足場を作り始めた人は、それぞれで自分の居心地のいい場所に休憩所を作ってはそこにとどまっていたり。もしくはより高みを目指すために、一緒に石を積んでいたり。
こういう足場を作る人たちは、投げ縄のように登るか落ちるか、という危険な動きではなくて。日々の日常的な細かい積み重ねで行動して。その結果、投げ縄の人たちと同じところに上ることができてきました。
足場のおかげで、これを使ってほかの人も上に登ってきたりして、楽しむようになれます。
しかし、石を積むことを嘲笑っていた人たちは、その石でできた足場を使うことを嫌がっていたりします。
「そんな石を積むやり方は誰だって出来る。自分がしたいのは、ああやって投げ縄で上に上ることなんだ。」と。
さて、なんとなく妻との会話のなかで思いついた逸話を適当に書いてみましたが。
自分はこの中のどれに入るかな、なんて思うとちょっとおもしろいかもしれませんね。
投げ縄の人は、自分が「楽しい事」をすることで、あとから続く人の興味を引くことができるけど、いつでも足元が不安定なので、結構ゆらゆらしてしまう。
石を積んだ人は、楽しそうなことを「自分に出来る範囲」に落とし込んで、「自分が今できること」をやっている人でしょうか。先に見ているものは投げ縄の人と同じなのですが。
自分にできることと、あとから続く人のためも考えて行動している人、って感じですかね。
それを嘲笑っていた人。
は、自分より能力のある人ばかりを見て。自分の持っている、できることに気づいていない人。という感じでしょうか。
あざ笑う人は、素直に石の足場を利用するか、投げ縄の人達のように興味本位で楽しく動くことが必要なのかもしれませんね。
ま、人はこの3つの要素が絡み合って一つの人格になっていると思いますので。
今自分の針がどこかな、という事を考えてみるのもおもしろいかと。
11月に仙台市内にて、「まるの日ワークショップ」行います。
興味のある方はこちら見てくださいね。今度はガイドワーク的な話とかですね。
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2012年新作ヘミシンクCDのバラ売りは一律1800円にしておりますので、新作だからといって特別扱いはしません。
「ヒーリングサロン・ネコオル」
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ヒーリングサロン・ネコオル 鉱物も充実。レアなものもたまに出ますよ。「ディープキャットナップ」2冊目も販売中!今月中に3冊目も販売予定!
まるの日圭のガイド拝見もただいま募集中です。
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・ヒーリングサロン・ネコオルのセミナー情報、遠隔ヒーリングの内容などはこちら。
http://blog.livedoor.jp/nekooru/archives/5623812.html
本当に難しいのですね。
それを思うと人間って本当に凄いものなんですね。
ありがとうございます。
わが家のネコちゃん、箱入りネコちゃんですが、夏の昼間は私が仕事でいない時、冷房のない部屋で、お留守番をしています。
それでも、涼しそうな場所を選んで、寝ていますね。
冬も同じで、寒いとネコちゃんベットで、二匹仲良く寝ています。
ねこって、本当に強い動物ですょ。
崖に登らず拒否する人には、僻みやばかにする気持ちを持っている人だけでないと思います。
中には、登ること自体に恐怖心があったり、果たして登ることが正しいのか?自分が登ることで他人に迷惑をかけるのではないか?などと、考えて立ち止まる人もいると思います。
崖を登る人も、登らない人も理由や考え方は色々じゃないかなと思ったり。
私の場合は人が登りやすい道を作ってくれていても、自分のやり方にこだわって、その横から自分専用の石を積み出してしまいそうですね(笑)
「オウムの場合は、精神を変えれば社会が変わるという発想なんですよ」
「結局、僕が麻原さんについていけば大丈夫なんだって感じたのが、壮大な救済ドラマだったわけ。三万人の成就者が出れば、世の中の人たちを救済できるって言ってたけど、そこなんですよ」(カナリアの会編『オウムをやめた私たち』)
TM瞑想(超越瞑想)のマハリシ・マヘーシュもマハリシ効果なんてことを言っていますが、百匹目のサルと同じ理屈です。
「人口の一%が同時に超越瞑想を実践すれば、それによって生じた脳波が重なり合って干渉し合い、残りの九十九%の意識を変化させる」(レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』)
このように、個人の変革が世界の変革をもたらすというのがニューエイジの信念です。ということで、ニューエイジのキャッチフレーズは次のようなものです。
「自分が変われば世界は変わる」
「意識が変われば世界も変わる」
「意識の進化が世界を変える」
こういった霊界観は霊性のレベルによって人をランク付けし、霊性の高いエリートが一般大衆を導くというエリートの発想です。霊性を上昇することによって人類を進化させようという利他的な願いだったはずなのに、高い霊性を持つ少数のエリートが人類全体を引き上げるんだ、目覚めている私は世界を変えるエリートなんだ、という独善的な特権意識になってしまったわけです。(中には、少数のエリートのみが終末を生き残ると説く教えもあります)
「自己は、個を超えて、超人間的な全体に達する。はじめは少数の選ばれた人にのみ与えられる。つまり、エリートなのである。彼らは一般の人々を導かなければならない」(海野弘『世紀末シンドローム』)
オウム真理教の元信者はこう語っています。
「一般の人をすごくバカにしていた」
「私も、一般の人に対して、自分は修行をしているから、あなたたちよりも上なんだって感じるようになってしまったし、みんなそうでした」
「「こーんな素晴らしい体験できた私というものは実は特別な使命を持って生まれてきた選ばれた民なんだ」という気持ちにさせてくれるのです」(以上『オウムをやめた私たち』)
今回の記事の意図するところともズレていますし。
でも、「症候群」に陥る罠というのは左翼、右翼の政治思想を含めて人生や社会生活のあらゆる場面にありますね。
私の場合は宗教・スピリチュアルに限定せず、仕事など普段の人間関係・社会との関わりも含めてですが、自分の価値観や行動が他人に及ぼす影響が気になります。
だから容易に行動できないし常に何が正しいのか考えてしまいますね。「もしかしたら自分が他人に伝えたいものは間違っていて他人に迷惑をかけるかもしれない」とかいつも考えてしまいます。自己完結する行動だったら別に何やっても何信じても自己責任ですが。
かといって生きてたら全く他人とかかわらないわけにはいかないし、科学的に検証できるものも、蓋然性が高いか低いかわかるだけで、絶対確実の正解はわからないし、社会や人間にとっての理想なんてものが何とか学の研究で解明されるとも思えないし。
不確定な中で自分の価値観も他者と関わるような行動も決めないといけないと言うのは、いつも居心地悪いです。
ご迷惑をお掛けしました。
私の職場にも以前霊能者に洗脳されていた方がいるのですが。
霊能者やヒーラーが必ずしも善人ではないということのでしょうね。
自分の欲(変身願望など)に目を曇らせずに、客観的に霊能者やヒーラーを観察すれば、グルイズムに陥らずに済むのではないでしょうか。