今、金子みすずさん作詞のうたを練習中。
彼女について書かれた本を貸してもらって読みました。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。
倉田百三の『出家とその弟子』の中に、親鸞上人がさびしさに
ついて語っている場面があるそうです。
何物でも癒されない人間の運命としての淋しさはどうすればよいのか。
淋しい時は淋しさをまるごと受け入れて淋しがればいいと。
なによりもさびしいことは、だれにもこのさびしさがわかって
もらえないと思う時、さびしさや悲しみや苦しさが二倍にも
三倍にもなってしまいます。
でも「さびしいね」とこころからこだましてくれる人が
いるとさびしさは半分の半分の・・・と減っていくのです。
お母さんのやさしさとは、さびしいときに「そう、さびしいねえ」と
抱きしめてくれるやさしさだったのです。
と以上のような解説をよんでますますこの詞がすきになりました。
とことん淋しがっているときも、だれかしらその淋しさを
わかってくれる人がちかくにいてくれるものなんですね。
彼女について書かれた本を貸してもらって読みました。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。
倉田百三の『出家とその弟子』の中に、親鸞上人がさびしさに
ついて語っている場面があるそうです。
何物でも癒されない人間の運命としての淋しさはどうすればよいのか。
淋しい時は淋しさをまるごと受け入れて淋しがればいいと。
なによりもさびしいことは、だれにもこのさびしさがわかって
もらえないと思う時、さびしさや悲しみや苦しさが二倍にも
三倍にもなってしまいます。
でも「さびしいね」とこころからこだましてくれる人が
いるとさびしさは半分の半分の・・・と減っていくのです。
お母さんのやさしさとは、さびしいときに「そう、さびしいねえ」と
抱きしめてくれるやさしさだったのです。
と以上のような解説をよんでますますこの詞がすきになりました。
とことん淋しがっているときも、だれかしらその淋しさを
わかってくれる人がちかくにいてくれるものなんですね。