今日は交換講壇でした。
今年は大韓教会の伝道所の先生がきてくださるというので
昨夜「はじめまして。私は○○です。・・・・」と
ごあいさつができるように長女にハングルを教えてもらって
準備万端だったのです。
ところが来て下さった先生は
日本で生まれ育った在日のかたで
お兄さんは帰化されたとか。
今は韓国名ですが、「実は韓国語がしゃべれないんです。」と
いうことでした。そういえば韓国語を習っている知人が
在日でしゃべれないけれど、韓国にいる親戚と話せるように
なりたいというお仲間がいるといってました。
祖国とそして育った国をもつということが
どういうことなのか?私には想像もつきません。
私たちは人に傷つけられることをおそれて
その人を信じようとしない。
でも私たちは人を傷つける存在であり
それでも私たちひとりひとりを信じて愛してくださる
かたがいらっしゃるのですというメッセージが
心にささりました。
最近の私は自分とは合わないなあと思う人は
仲良くなったら傷つくかもしれないと
距離をおいたりしていました。
それって相手のことを信じていないってことですよね。
自分が傷つくことを恐れて相手をきちんと見てなかった
ような。
傷ついたときに
自分が傷つけるほうじゃなくてよかったと
思える強さが欲しいです。
メッセージや愛餐会でのお話を通して
いろいろと考えさせられました。
韓国との関係でも
今韓流ブームで盛り上がっている人たちにも
傷つけ傷つけられた歴史を理解してほしいし、
そのうえで新しい関係を築いていきたいものです。
PS.先日キムチをテーマにしたドラマをみたばかり
でしたが、グッドタイミングでおいしいキムチを
つくるコツを教えていただきました。
韓国と日本では白菜自体が違うので
水分をとばすために干すといいことなどなど・・・
ちょっと挑戦してみたくなりました。
*************************
午後は地区の教師研修会へ
「福音の音色が子どもたちの心に響くために」という講演でした。
一人一人の説教者は、笛・竪琴といったように、
それぞれ個性のある楽器です。個性あるそれぞれの
楽器が、聖書というひとつの楽譜を演奏する時、
天国の調べを奏でるオーケストラとなるのです。
説教を通して「教える」は、説教者が教師として
生徒に教えを垂れることではなく、オーケストラが
舞台の上から音色を奏で、その響きに聴衆も共鳴して
響き合うことです。
「天国の調べを奏でる演奏会」。それが教会学校の
礼拝です。教会学校でしか味わえない調べです。
こどもたちにお話するのは難しいですが、
ステキな音楽を奏でられるように
聖書をよみ教理の本で確認し、子どもたちを思い
黙想しながら準備をしていきたいと思います。
すてきなお話をありがとうございました。
今年は大韓教会の伝道所の先生がきてくださるというので
昨夜「はじめまして。私は○○です。・・・・」と
ごあいさつができるように長女にハングルを教えてもらって
準備万端だったのです。
ところが来て下さった先生は
日本で生まれ育った在日のかたで
お兄さんは帰化されたとか。
今は韓国名ですが、「実は韓国語がしゃべれないんです。」と
いうことでした。そういえば韓国語を習っている知人が
在日でしゃべれないけれど、韓国にいる親戚と話せるように
なりたいというお仲間がいるといってました。
祖国とそして育った国をもつということが
どういうことなのか?私には想像もつきません。
私たちは人に傷つけられることをおそれて
その人を信じようとしない。
でも私たちは人を傷つける存在であり
それでも私たちひとりひとりを信じて愛してくださる
かたがいらっしゃるのですというメッセージが
心にささりました。
最近の私は自分とは合わないなあと思う人は
仲良くなったら傷つくかもしれないと
距離をおいたりしていました。
それって相手のことを信じていないってことですよね。
自分が傷つくことを恐れて相手をきちんと見てなかった
ような。
傷ついたときに
自分が傷つけるほうじゃなくてよかったと
思える強さが欲しいです。
メッセージや愛餐会でのお話を通して
いろいろと考えさせられました。
韓国との関係でも
今韓流ブームで盛り上がっている人たちにも
傷つけ傷つけられた歴史を理解してほしいし、
そのうえで新しい関係を築いていきたいものです。
PS.先日キムチをテーマにしたドラマをみたばかり
でしたが、グッドタイミングでおいしいキムチを
つくるコツを教えていただきました。
韓国と日本では白菜自体が違うので
水分をとばすために干すといいことなどなど・・・
ちょっと挑戦してみたくなりました。
*************************
午後は地区の教師研修会へ
「福音の音色が子どもたちの心に響くために」という講演でした。
一人一人の説教者は、笛・竪琴といったように、
それぞれ個性のある楽器です。個性あるそれぞれの
楽器が、聖書というひとつの楽譜を演奏する時、
天国の調べを奏でるオーケストラとなるのです。
説教を通して「教える」は、説教者が教師として
生徒に教えを垂れることではなく、オーケストラが
舞台の上から音色を奏で、その響きに聴衆も共鳴して
響き合うことです。
「天国の調べを奏でる演奏会」。それが教会学校の
礼拝です。教会学校でしか味わえない調べです。
こどもたちにお話するのは難しいですが、
ステキな音楽を奏でられるように
聖書をよみ教理の本で確認し、子どもたちを思い
黙想しながら準備をしていきたいと思います。
すてきなお話をありがとうございました。