歌うようにゆるやかに(andante cantabile)

マイペースで歌を歌い続けようっと☆

ドキドキしました

2011-09-21 18:57:48 | ニュース
台風15号

やってくる前に秋雨前線を刺激して
この地方にも大雨を降らせました。


昨日は、午後病院で術後4年目の検査をいろいろ受けて帰ろうとしたら
すごい雨で、電車からみえた自宅そばの川はいまにもあふれそうで
おそろしかったです。


300ミリ近い雨がふり
川はみるみるうちに避難判断水位を超えてしまいました。
サイレンが鳴り響き、11年前の床上浸水を思い出して
胸がドキドキしてきましたが「落ち着け!」と自分に
言い聞かせてやるべきことを考えました。

まず主人に避難勧告がでたことを連絡。
「ものはいいから、人命だけは気をつけろ。」

でも買ったばかりの新車を水没させるのは
しのびないので高台に避難させようとおもいつき
近くのスーパーの屋上駐車場に移動させました。

うちまで歩いて帰っていると
お隣の友人にあって
「主人の実家にいくね。」とのこと。
「お互い気をつけようね。」と別れました。

家にはたまたま長女がいてくれました。
早速ジャージにはきかえて
まず汲めるだけの水を汲んでおき
二人で大事なものを部屋の高いところに
移動させたり、もし水がでた場合を考えて
ご飯を炊いておにぎりを20個以上にぎったり
(腹がへっては戦はできぬ?!)
避難できるように荷造りをしました。
長女がいてくれてよかった!!!
一人だったら心細かったことでしょう。
 
町内会の役員さんが「二階の集会室を開放しましたので
いつでもお使いください。」と声をかけてくださいました。

パソコンでS内川とS川の水位を確認
午後4時には氾濫危険水位を1メートル近く超えてしまいました。
上流のほうではすでに堤防が切れて住宅地に水がながれこんで
しまったようです。

長男も心配して連絡してきました。
「荷物を避難させたほうがいいよ。
 手伝いにいったほうがいい?」

主人から早めに会社をでたけれど
電車がとまっているのでN古屋駅から歩いて帰るとの連絡あり。

朝から大学にでかけた次女とまったく連絡がとれず。
結局夜になって連絡がとれ、大学に泊まった方がいいかもと
話していたけれど、「ひどくなって明日も帰れなくなって
家族と離れてしまうのはいやだよ~ 電車が動いたら
なんとか家に帰りたい」といって幸運にも電車が7時近くに
動きだしたので無事に帰ってくることができました。

11年前の東海豪雨の際に出かけていた家族とバラバラになって
何日か会えなかったという友達がいたので、心配だったのかも
しれません。私も大学に泊まったらといったものの
離れたままだと気が気じゃなかったと思います。

遠く離れた二人の母
教会のみなさん
マンションのおともだちが次々と心配して
メールやお電話をくださいました。

4人がそろったころから、水位の上昇がおさまってきて
なんとか持ちこたえてくれそうでほっとしました。

11年前と違ったのは携帯電話を持っていること。
実は水害にあったときは我が家ではだれも携帯を持っていませんでした。
娘たちは小学生・息子は中学生だったし。
被災してしまうと連絡手段がないことを思い知らされたので
水がひいたらすぐに近くのDocomoのお店にとびこみましたっけ。
子どもたちも成長して行動範囲がひろがったけれど
それぞれが携帯電話をもっていて連絡をとりあえるし、
まわりの方たちとも連絡したり、情報交換できるのは
やっぱり心強いなあと感じました。


今日はさすがに娘たちは自宅待機
主人は午前中だけ出社
私も仕事を休ませていただいて
台風の通り過ぎるのを見守っていました。


きのう送っちゃったというN潟の母からの宅配便も
夜8時前には届きました。(台風のなか配達ありがとうございました)

台風は今関東・東北を通過中の模様。
まだこの地方でも避難勧告や避難指示がでているところがあります。
これ以上被害がひろがりませんように。



コメント
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