まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ボクシングの運営上のルール

2014-02-07 10:42:57 | 人間文化論
あの問題ってまだ決着してなかったんですね。

「亀田ジム追放へ…JBC、ライセンス更新認めず」

「亀田ジムは強硬姿勢! 重大処分なら訴訟で争う」

昨年12月に行われたWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦で、
亀田大毅の対戦相手リボリオ・ソリスが減量に失敗して王座を剥奪されたけど試合は行われ、
そうしたらソリスが勝ってしまい、その場合に亀田大毅の王座はどうなるのかという問題です。
私、ボクシングファンでもないし、亀田一家に対しても思い入れも反感も抱いていないので、
この問題、はっきり言ってどうでもいいっちゃあいいんですが、
倫理学者として現在の状況に対しては 「???」 という感が否めません。
なんでJBC (日本ボクシングコミッション) と亀田ジムとの間の確執になっているんでしょうか?
事の発端はソリスの減量失敗です。
まずこれ自体がめったにないケースなんだそうです。
こちらの記事をご覧ください。

「大毅の対戦相手 体重超過で王座剥奪! ヤケクソ水がぶ飲み」

そりゃそうです。
いまだかつてそんな話聞いたことありません。
ただ、体重別階級制を運営上のルールとしているボクシングにとって、
当然これは想定されうる事態なんですから、
こうしたことが起こった場合にどうするかというのはくっきりはっきり決まっているべきだと思うのです。
それはボクシングのルールを統括する団体が決めておくべき事柄です。
今回の場合はIBF (国際ボクシング連盟) がそれに当たりますが、
どうやらIBFの立会人が試合の前後で言を翻したりなど問題があったようです。

「大毅1‐2判定負けも一転、初防衛成功」

体重別階級制という運営上のルールに従うなら、計量に失敗したら当然失格ですよね。
で、その時点で相手の不戦勝にする、それだけでいい気がするのです。
なのになんで試合をしちゃったんでしょう?
まあタイトルマッチだとしたらチケットも売れてしまっているし、
試合をしなかったらお客さんたちが暴動を起こすのかもしれません。
興行主も払い戻しはしたくないだろうからいちおう試合をするにしても、
その試合結果をどう扱うか、これも統括団体が前もって決めておくべきことです。
おそらくIBFはちゃんと決めているのでしょう。
ただそんなことレアケースなので立会人もそこまでちゃんと把握していなかったのかもしれません。
間違ったことを言ってしまったのならば、明文化された規約を提示して、
「申しわけありませんでした。ホントはこういうふうに決まっていました」 と謝罪し、
それを適用すればいいだけのような気がするのです。
なのでその立会人が責められるとか、
JBCとIBFがルール運用をめぐって対立するというのなら話はわかるのですが、
なぜ一ジムとJBCとの間の係争になってしまっているのかが理解できないのです。

私は倫理学者としてつい構成的ルールのほうを重視しがちですが、
実際にスポーツで生じる問題ってたいていは運営上のルールをめぐるものです。
やっている人も見ている人も納得できるような運営上のルールを定めることができるかどうか、
そしてその決めたルールに則ってきちんと試合を管理することができるかどうか、
そこにスポーツの命運はかかっているように思います。
それにつけても、スポーツにとってルールって大事だなあというのが、
今回の騒動を見ていての一番の感想でした。


P.S.
ところでこの記事を書くためにウィキペディアでボクシングのことを調べてみたら、
採点方法について次のように書かれていました。
「10点満点の減点方式。互角の場合は10対10、一方が勝る場合は10対9、
 1度のダウンやそれに近い状態のときは10対8、2度のダウンやKO寸前の場合は10対7とする。
 それ以上に差が開いた場合はレフェリーが試合を止めるので、10対6という採点はない」
これって常識ですか?
私は知りませんでした。
なんかもっと高度な専門的判断が下されているのかと思っていました。
これならぼくにも採点できそうだ。