まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

競技ダンスにおるリーダー・パートナー問題

2016-10-01 13:58:30 | ダンス・ダンス・ダンス
ずいぶん前になりますが、「競技ダンスの採点方法」 という記事を書いたことがあります。
ダンス関係者には未だに時々読んでいただいているようで、
つい最近、その記事に対して以下のようなコメントをいただきました。

「初めまして!お尋ねします。
 競技会の採点についてですが、ジュニアの場合、男子の数が少ない場合、
 女子同士ペアで出場することがあります。
 その場合、ある指導者の方から、女子同士ペアに比べてどうしても
 男女ペアの方が優先的に点数が入り易いと聞いたことがあります。
 女子同士でも立派にリーダーを務める女子もいるのに
 実力とは裏腹な採点があるのは本当でしょうか?
 あと、男女ペアについても、リーダー7割、パートナー3割の配分で採点されているとも…
 そんなことがあるのでしょうか?」

この質問に対してお答えする前に、
(どっちみちこの質問に直接お答えすることはできないんですが…)
今回提起された問題は競技ダンスの根幹に関わる重要な問題ですので、
まずはその点に関して私の思うところをいくつか述べさせていただきたいと思います。

まず私が驚いたのは、このコメントのなかに何気なく書かれていたこの一文、
「ジュニアの場合、男子の数が少ない場合、女子同士ペアで出場することがあります。」
というところでした。
立場上、全東北学生競技ダンス連盟の試合を見に行くことはあっても、
自分自身は競技ダンスの世界からすっぱり身を引いてしまっておりますので、
昨今の競技ダンス事情から完全に隔絶されておりました。
今は女子同士のペアなんていうのが認められているんですね。
さっそくググってみたところ、たしかにもうそういうことになっているようです。

「社交ダンスって女性同士で踊れるの? 男性同士はいい?」

「社交ダンスで女性同士の競技会が新設」

これらの記事によると、高校生以下の部ではすでに以前から女性同士のカップルが認められており、
近年ではシニアの部でも女性同士のカップルの部門が設けられるようになっているようです。
いやあ時代が変われば変わるもんですねえ。
たしかに社交ダンス、競技ダンスの世界では女性の比率が圧倒的に多いため、
これまでもずーっと慢性的に男性不足でカップルが組めないということが起こっていました。
ダンス人口をこれ以上減らさないために、まずは若年層で女性同士のカップルが認められ、
それが次第にシニア世代にも及びつつあるということのようです。
私としては男女平等推進の立場から、この流れに全面的に賛同を示したいと思いますし、
実は以前から、学連の試合でいろいろな方に会ったときには、そうすべきだと主張していました。

しかしながら、それが簡単なことではないということは理解していたつもりです。
以前に、それぞれのスポーツには構成的ルールと運営上のルールがあり、
運営上のルールはその時々の必要に応じて変えていけばいいけれども、
構成的ルールに手を加えてしまうとそのスポーツの本質が変わってしまったり、
歪んでしまったりする可能性があるので気をつけなければいけない、と論じたことがあります。
その際、競技ダンス (=社交ダンス) にとっての構成的ルールは、
「舞踏室 (場)= ballroom」 でたくさんのカップルが同時に踊るなかで美しさを競うことであり、
そこを変えてしまうと競技ダンスの本質的部分が変質してしまうかもしれないと書きました。
競技ダンスは現在、オリンピック種目入りを目指してロビー活動中であり、
そのために、採点方法を現在の同一フロア内複数カップル相対評価システムから、
フィギュアスケートのような、個別演技ポイント制絶対評価システムへと変更しようとしています。
私は構成的ルールはそう簡単に変えるべきではないという観点からそれには批判的なわけです。

が、女性同士のカップルを認めるということは、採点方法の変更なんかよりもはるかに、
競技ダンス (=社交ダンス) の根幹部分を壊すことになるかもしれません。
社交ダンスというのは、社交の場における男女の嗜みとして発展を遂げてきました。
この世界では男性はリーダー、女性はパートナーと呼ばれています。
次にどのステップを選ぶか、どちらの方向に進んでいくかなどのリードをするのが男性なので、
ダンスの世界に身を置いている者にしてみたら、男性をリーダーと呼ぶことに不自然はないのですが、
現代の世間一般の常識からするならば、たった2人のチームにリーダーがいるということも、
それが男性と決まっていて、女性はあくまでもパートナーにすぎないということも、
いずれもきわめて封建的で時代錯誤のように見えるかもしれません。
しかしながら社交ダンスというのはまさに男女平等なんていう概念がなかった頃に、
家父長制的男尊女卑という風潮の下で歴史的に形成されてきました。
ですから、あくまでも男と女がカップルを組み、男がリーダーであるという形は、
社交ダンスの歴史から見ると変更不可能な構成的ルールであるのかもしれません。
テニスの混合ダブルスや、フィギュアスケートのペアというのがたんなる運営上のルールにすぎず、
たとえそういう種目がなくなったり、男同士や女同士のペアが認められたりしても (実際ありますが)、
テニスやフィギュアスケートの根幹が揺らぐわけではないのとはちょっと事情が異なるわけです。

この問題をどう考えるかというのはひじょうに難しいです。
歴史的伝統を重んじてこれまで通りを貫くのか、
近代合理主義的に変革すべきはどんどん変革していくのか?
私としては、スポーツに徹するのであれば近代合理主義を受け入れていくしかないと考えています。
相撲が伝統的神事であることを盾に女性を土俵に上げないという方針を貫く気持ちもわかりますが、
スポーツとしての広がりを重視するならば、その伝統的部分を捨てて、
女性や子どもでも楽しめる安全な格闘技として全世界に普及することを考えたほうがいいでしょう。
それと同様に社交ダンスも、社交の場における男女のコミュニケーション手段としてばかりでなく、
スポーツとしてオリンピック種目を目指そうというのであれば、
男性=リーダー/女性=パートナーというこれまでの家父長制的な黒歴史とはきっぱり縁を切り、
男女が平等に楽しみ競い合えるような新しいシステムを構築していくしかないと思います。
ほんの一昔前までは、サッカーやスキージャンプなどは男の競技と考えられていましたが、
今やなでしこジャパン高梨沙羅選手の活躍を前に、
サッカーやジャンプは女性にはムリなどと決めつける人はもういないことでしょう。
サッカーやジャンプができるのだとしたら、
競技ダンスのリーダーくらい女性にできないわけがありません。
これからは女性がリーダーというカップルも積極的に受け入れていく必要があるでしょう。

ただし、その場合も試合の運営の仕方をどうするかというのは考える必要があります。
現在のジュニアの部のように、男女カップルと女性同士カップルを一緒に競わせてよいのか、
それともシニアの部で試みられているように女性同士カップル部門というのを新しく設けて、
それぞれ別に競技をするべきか?
女子サッカーも女子ジャンプも、男子と同じ試合に出場しているわけではなく、
女子だけの試合というのが開催され、そこに女子選手は出ているわけです。
かつて大学野球部に女子選手が在籍し、男子選手とともに試合に出場していたことがありました。
それに対しては賛否両論がありました。
女性も野球をやろうというのであれば女子だけのチームどうしで戦うべきだとか、
それほどの女性野球人口がいない以上、
実力があるのであれば女子が男子のなかにいてもいいだろうとか。
男女平等という基本方針のなかで、では実際にどのように試合を運営するかとなると、
これもやはりけっこう頭を悩ませる難しい問題です。

以前、うちの大学にいたフェミニズム研究者の人は、
長い歴史のなかで性別役割分担が固定化してきたために男女の体格差も生まれてきたけれど、
今後、男女を平等に扱い続けていくならば、今の体力差は解消し、
スポーツにおける男女別競技も不要になっていくだろう、という予想を立てていました。
私はそこまでラディカルな男女平等主義者にはまだなれていなくて、
男女平等がどこまで進んでも男女の体格差、体力差は解消しないんじゃないかと思っています。
だとすると男女は別々に競い合うべきであり、競技ダンスに女性リーダーを導入したとしても、
男女カップルと女性同士カップルは同じフロアに立つことはなく、
別の大会、別の部門でそれぞれが争えばいいということになるでしょう。
ただし、先にも述べたように、ダンスのリーダー役というのはそれほど体格的、体力的に、
男性にしかできないというものでもないし、
だったら男女カップルと女性同士カップルが同じフロアで競っても問題ないとも言えそうです。
どちらを選ぶのか、それはダンスにおける男女人口比等を勘案しつつ、
その時々に競技ダンス連盟総本部が選んでいけばいいのだろうと思います。

むしろきちんと考えておかなければならないのは、
いったん女性同士カップルを認めたとするならば、
今度は男性同士カップルも認めなくていいのかという問題が出てくるでしょう。
今のところは男性リーダーが圧倒的に少ないので、その補填のために女性同士カップルだけ認めて、
男性同士カップルは認めないという方向で話が進んでいるのだと思われます。
(女性が大量に余ってしまっているからこそ女性同士カップルを認めるのであって、
 男性同士カップルを認めてしまうと今よりもさらにいっそう男性不足が進んでしまう…)
しかしながら、女性にもリーダー向きの体格の人がいるのと同様に、
男性のなかにも身体が柔らかくてパートナー向きという人がいたとしたっておかしくありません。
男女平等をとことん考えていくならば、男女カップルのほかに、
女性同士カップル、男性同士カップルも認めなければいけないでしょうし、理論的には、
女性=リーダー/男性=パートナーという逆転カップルも認める必要が出てくるでしょう。

さらには男とか女という二者択一に当てはまらない、
インターセックスの人たちはどうするんだというよりいっそう厄介な問題も生じてきます。
スポーツが現状、男女別競技制を取っているなかで、
インターセックスの人たちはスポーツへの参画を大幅に阻害されているわけですが、
しかし、競技の公平性を考えた場合、男女に体格差や体力差があるとするならば、
場合によってはセックスチェックをして競技者集団を分けるということも必要なのかもしれません。
スポーツにおけるセクシャル・イクォリティ (男/女/その他) と競技の公平性はどう両立可能なのか?
これ自体とても難しい問題ですが、
男と女が組んで踊るということを構成的要素として成り立ってきた競技ダンスが、
この問題にどこまで積極的に取り組むことができるのか、私にはまったく先が見えません。

さて、いただいた質問にはまったく答えないまま、はてしなく遠いところまで来てしまいました。
今回の質問にお答えするためには、
その前にまずこういった原理的なことを考えておかなければならなかったわけです。
問題を投げっぱなし、広げっぱなしで答えは全然見出せていませんが、
以上の考察を踏まえた上で、いただいた質問に対して答えていくことにしたいと思いますが、
もう疲れちゃったので本論は次回以降に展開させていただきます。


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2 コメント

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共和制とカント (飯島充男)
2016-10-02 19:42:50
直接全く関係ないのですが、貴兄ご専門のカントについてです。
NHKの「100分で名著」で、萱野稔人解説の『永遠平和のために』では触れていないのですが、カントの共和制に対する評価はどのようなものなのでしょうか。ゲーテのそれも気になります。
5月の忙しいドイツ旅行で、ドイツ哲学・文学の「深さ」にまた感じ入りました。18歳でドイツ語を選択したのに、最低飛行をしたのが残念です。
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共和制とは何か? (まさおさま)
2016-10-26 10:17:50
飯島充男さん、実名でのコメントありがとうございました。
最近私はもうNHKの受信料を払うのやめようかと思っていて、
それに向けてできるかぎりNHKの番組は見ないようにしているので、
その番組も見ておりませんでした (そんな番組をやるということ自体知りませんでした)。
カントは共和制を高く評価しています。
というか 『永遠平和のために』 のなかでは、
「各国家における市民的体制は共和的であるべきである」
とまで断言しています。
問題は、そのように言う場合の 「共和制」 とはいかなるものか、その内実です。
それに関してはそのうちまた記事を書けたらと思っております。
リクエスト、どうもありがとうございました。
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