「倫理学概説」 の授業で軽くロールズの正義論について紹介したときいただいた質問です。
正確にはこんなふうに聞かれていました。
「無知のベールについて、『自分の位置づけを知らない』 というのは 『わからないほど幼い子について』 を言っているのか、『それらを気にしないほど昔の話』 を言っているのか、原初状態がよくわからない。また、幼い子ならば有利や不利などが考えられないと思うし、昔のことならば、身分や階級に差が生まれる以前をいってるように感じるので、『誰も有利にも不利にもならない社会のルールにのみ合意』 ということもわからない。できるならば、ブログなどで少し説明してもらえると助かります。」
ロールズの正義論については以前に 「社会思想入門」 の授業で簡単にまとめたことがあるので、
その資料を近々アップすることにしたいと思います (こちらです)。
とりあえず、今回の質問に関係する部分だけ引用しておきましょう。
「ロールズは、社会契約論者たちが 『自然状態』 を想定したのに倣って、『原初状態 the original position』 というものを想定します。これは社会が形成される以前の段階ですが、あくまでもそうした状態を想定・仮定してみるというだけのことであって、現実にそういう状態があったかどうか、ありうるか否かといったことは関係ありません。そしてロールズは、この原初状態にいる人々には 『無知のヴェール』 がかけられていると想定します。つまり、自分が何者であるのか、資産家の子どもなのか浮浪者なのか、スポーツの才能に恵まれているのか先天的な障害をもって産まれてきているのかなどの個人情報がまったくわからないものと仮定されます。このような条件下で人々はどのような社会が構成されることを望むだろうか、どのようなルールなら受け入れられるだろうかという思考実験を試みてみようというのです。」
この説明でわかっていただけたでしょうか?
というか、授業中にもこういうふうに説明したつもりなんだけど、
それでわからなかったということはこれを読んでもわからないんだろうなあ。
結論から言うと、ロールズが 「原初状態」 とか 「無知のベール」 と言うとき、
幼い子どものこととかすげぇ昔のこととかを考えているわけではありません。
今生きている私たち大人が、もしもみんな自分の位置づけを知らないとしたら、
これから新しく社会のルールを決めようというときにどういうルールを選ぶだろうか、
そういう想定・仮定をして考えてみようということです。
自分の位置づけがわかってしまっていると、皆どうしても自分に有利なルールを望んでしまいます。
たくさんお金を稼いでいる人は同一税率でも自分はよけいに税金を払うことになるのに、
累進課税なんてもってのほかだと考えるでしょう。
(税率10%とするならば、年収100万円の人は10万円だけ納税すればよいのに対し、
年収1000万円の自分は100万円も納税しているからそれで十分国家に貢献している。)
それに対し収入の少ない人は、累進課税によって余裕のある人からより多く徴税し、
その分を生活に困っている人々の福祉に充てるべきだと考えるでしょう。
(同一税率だと年収1000万円の人は納税後900万円も持っていて豊かに暮らせるが、
年収100万円の自分は手元に90万円しか残らず、とてもそれでは暮らしていけない。)
同様に、お金持ちの家に生まれた人は相続税をできるだけ減らすべきだと考えるでしょうが、
貧乏な家に生まれた人は相続税をたくさん取ってそれを再分配するべきだと考えるでしょう。
男性の労働者は、産休・育休を取って仕事を休んでいた同期の女性が、
自分と同じスピードで出世していったらずるいと思うでしょうし、
女性の労働者は、家事・育児は妻まかせの仕事人間の男性ばかりが出世して、
女性たちがどんどん職場でのさまざまなチャンスから遠ざけられてしまったらずるいと思うでしょう。
そうした自己中心性から脱却するために、
いったん無知のベールをかけて考えてみようとロールズは提案するのです。
誰にとっても公平・公正なルールを決めるためには、
みんなが自分の実際の立場をいったん忘れて (「捨象する」 とか 「括弧に入れる」 と言います)、
様々な立場に自分を置いてみてどんな立場にいたとしても納得できるルールを考えようと言うのです。
これはひじょうに知的な営みではありますが、
元をただせば 「相手の立場に立って考えてみる」 ということを、
ちょっと大がかりにやっているにすぎません。
相手の立場に立って考えてみることのできない人は、
ただの自己チューの大バカ野郎ですね。
ところが、政治の世界で社会のあるべきルールを考えようとすると、
(現政権のように) 大の大人がみんな自己チューの大バカ野郎になってしまうのです。
それに比べるとロールズの原初状態における無知のベールという発想は、
ひじょうに理性的かつ倫理的、倫理学的な、クールな考え方だと思います。
今日のお答えはこんなふうにまとめておきましょう。
A.ロールズの無知のベールは、自己中心性を脱却して考えるための道具立てであり、
客観的・普遍的なあるべきルールを導き出すための、思考実験にもとづく仮定・想定です。
正確にはこんなふうに聞かれていました。
「無知のベールについて、『自分の位置づけを知らない』 というのは 『わからないほど幼い子について』 を言っているのか、『それらを気にしないほど昔の話』 を言っているのか、原初状態がよくわからない。また、幼い子ならば有利や不利などが考えられないと思うし、昔のことならば、身分や階級に差が生まれる以前をいってるように感じるので、『誰も有利にも不利にもならない社会のルールにのみ合意』 ということもわからない。できるならば、ブログなどで少し説明してもらえると助かります。」
ロールズの正義論については以前に 「社会思想入門」 の授業で簡単にまとめたことがあるので、
その資料を近々アップすることにしたいと思います (こちらです)。
とりあえず、今回の質問に関係する部分だけ引用しておきましょう。
「ロールズは、社会契約論者たちが 『自然状態』 を想定したのに倣って、『原初状態 the original position』 というものを想定します。これは社会が形成される以前の段階ですが、あくまでもそうした状態を想定・仮定してみるというだけのことであって、現実にそういう状態があったかどうか、ありうるか否かといったことは関係ありません。そしてロールズは、この原初状態にいる人々には 『無知のヴェール』 がかけられていると想定します。つまり、自分が何者であるのか、資産家の子どもなのか浮浪者なのか、スポーツの才能に恵まれているのか先天的な障害をもって産まれてきているのかなどの個人情報がまったくわからないものと仮定されます。このような条件下で人々はどのような社会が構成されることを望むだろうか、どのようなルールなら受け入れられるだろうかという思考実験を試みてみようというのです。」
この説明でわかっていただけたでしょうか?
というか、授業中にもこういうふうに説明したつもりなんだけど、
それでわからなかったということはこれを読んでもわからないんだろうなあ。
結論から言うと、ロールズが 「原初状態」 とか 「無知のベール」 と言うとき、
幼い子どものこととかすげぇ昔のこととかを考えているわけではありません。
今生きている私たち大人が、もしもみんな自分の位置づけを知らないとしたら、
これから新しく社会のルールを決めようというときにどういうルールを選ぶだろうか、
そういう想定・仮定をして考えてみようということです。
自分の位置づけがわかってしまっていると、皆どうしても自分に有利なルールを望んでしまいます。
たくさんお金を稼いでいる人は同一税率でも自分はよけいに税金を払うことになるのに、
累進課税なんてもってのほかだと考えるでしょう。
(税率10%とするならば、年収100万円の人は10万円だけ納税すればよいのに対し、
年収1000万円の自分は100万円も納税しているからそれで十分国家に貢献している。)
それに対し収入の少ない人は、累進課税によって余裕のある人からより多く徴税し、
その分を生活に困っている人々の福祉に充てるべきだと考えるでしょう。
(同一税率だと年収1000万円の人は納税後900万円も持っていて豊かに暮らせるが、
年収100万円の自分は手元に90万円しか残らず、とてもそれでは暮らしていけない。)
同様に、お金持ちの家に生まれた人は相続税をできるだけ減らすべきだと考えるでしょうが、
貧乏な家に生まれた人は相続税をたくさん取ってそれを再分配するべきだと考えるでしょう。
男性の労働者は、産休・育休を取って仕事を休んでいた同期の女性が、
自分と同じスピードで出世していったらずるいと思うでしょうし、
女性の労働者は、家事・育児は妻まかせの仕事人間の男性ばかりが出世して、
女性たちがどんどん職場でのさまざまなチャンスから遠ざけられてしまったらずるいと思うでしょう。
そうした自己中心性から脱却するために、
いったん無知のベールをかけて考えてみようとロールズは提案するのです。
誰にとっても公平・公正なルールを決めるためには、
みんなが自分の実際の立場をいったん忘れて (「捨象する」 とか 「括弧に入れる」 と言います)、
様々な立場に自分を置いてみてどんな立場にいたとしても納得できるルールを考えようと言うのです。
これはひじょうに知的な営みではありますが、
元をただせば 「相手の立場に立って考えてみる」 ということを、
ちょっと大がかりにやっているにすぎません。
相手の立場に立って考えてみることのできない人は、
ただの自己チューの大バカ野郎ですね。
ところが、政治の世界で社会のあるべきルールを考えようとすると、
(現政権のように) 大の大人がみんな自己チューの大バカ野郎になってしまうのです。
それに比べるとロールズの原初状態における無知のベールという発想は、
ひじょうに理性的かつ倫理的、倫理学的な、クールな考え方だと思います。
今日のお答えはこんなふうにまとめておきましょう。
A.ロールズの無知のベールは、自己中心性を脱却して考えるための道具立てであり、
客観的・普遍的なあるべきルールを導き出すための、思考実験にもとづく仮定・想定です。