看護学校では 「汝自身を知れ」 というワークで哲学入門をしてもらっているのですが、
実際にやってもらっているのは哲学というより心理学のワークです (そのほうがとっつきやすいので)。
ですので、説明のときには 「ジョハリの窓」 という完全に心理学系のお話をしたりしています。
そこでこんな質問をいただきました。
正確にはこんなふうに聞かれました。
「Q.先生が自分自身で理解している盲点の窓はどんなことですか?
それについてどう考えていますか?」
うーむ。
それにしても、こんな質問をいただいてしまうとは
どうやら私の説明が下手くそだったようです。
盲点の窓というのは、他人は知っているけれど自分では気がついていない自分のことです。

この右上の部分ですね。
ここは自分では気がついていないし理解していないから 「盲点の窓」 なわけです。
ですので、「自分自身で理解している盲点の窓」 っていうのはそもそも定義上ありえないわけです。
以前に私の 「秘密の窓」 について聞かれたこともありますが、
よく考えるとそれもおかしいですよね。
秘密の窓なんですから秘密なので、いくら聞かれてもお答えすることはできません。
盲点の窓はそれ以上にどうやったって答えられるわけがないのです。
ですので私の盲点の窓に関しては私に聞かないで、私の親しい人に聞いてみてください。
自分としては自分のことをすべてわかっているつもりですので、
盲点の窓なんてほとんどないだろうと思っているのですが、
まあそう思っている人ほど盲点があったりするのかもしれません。
はたして私の盲点の窓は何なんでしょうか?
ご存知の方はぜひコメント欄で教えてください。
実際にやってもらっているのは哲学というより心理学のワークです (そのほうがとっつきやすいので)。
ですので、説明のときには 「ジョハリの窓」 という完全に心理学系のお話をしたりしています。
そこでこんな質問をいただきました。
正確にはこんなふうに聞かれました。
「Q.先生が自分自身で理解している盲点の窓はどんなことですか?
それについてどう考えていますか?」
うーむ。
それにしても、こんな質問をいただいてしまうとは
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どうやら私の説明が下手くそだったようです。
盲点の窓というのは、他人は知っているけれど自分では気がついていない自分のことです。
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この右上の部分ですね。
ここは自分では気がついていないし理解していないから 「盲点の窓」 なわけです。
ですので、「自分自身で理解している盲点の窓」 っていうのはそもそも定義上ありえないわけです。
以前に私の 「秘密の窓」 について聞かれたこともありますが、
よく考えるとそれもおかしいですよね。
秘密の窓なんですから秘密なので、いくら聞かれてもお答えすることはできません。
盲点の窓はそれ以上にどうやったって答えられるわけがないのです。
ですので私の盲点の窓に関しては私に聞かないで、私の親しい人に聞いてみてください。
自分としては自分のことをすべてわかっているつもりですので、
盲点の窓なんてほとんどないだろうと思っているのですが、
まあそう思っている人ほど盲点があったりするのかもしれません。
はたして私の盲点の窓は何なんでしょうか?
ご存知の方はぜひコメント欄で教えてください。
自分が気づかない盲点の窓を他人から指摘された時、先生はそれについてどうとらえますか?
特にそれが指摘されてあまりポジティブじゃない面を言われたら。よければどんな盲点の窓を指摘されたことがあるかも教えください。
講義の際、自分はグループのメンバーに指摘された盲点の窓が受け入れがたいものでした。しかし、指摘されているのだからそれを含め自分だと思うように努力します。
お忙しいと思いますがお時間がありましたら回答をよろしお願いします。
私も先週の「倫理」の授業で「私とは何か?」で「ジョハリノ窓」を扱ったばかりでした。
まぁ、「私」の「盲点」や「秘密」について説明しようがないとは言っても、自分の経験をふり返って、「こういう感じ」と具体例を示さないと、高校生の場合は理解しにくいので、無理やり授業では自虐ネタで説明しましたよ。
「盲点」に関しては、教育学部時代に教職を志す同級生たちに(当時の彼女にも)、「お前だけは教員にならない方がイイ」と言われまくった時、自分では「意味がわからない」と思っていたエピソードを紹介しました。
その「盲点」に気づかされたのは、教育実習で、「実は子供が大キライ」で、「他人の成長に興味がない」という自分を発見した時のことですが、それ以前に周囲の誰もがワタシをそういう人間だと理解していた事実に、けっこう驚かされたなぁ、という話。
まぁ、とはいえ、今ではそれでもなんとか高校教師やっているし(けっこう楽しいし)、その経験からすると、自分にも彼らにも見えなかった「未知」の部分がけっこうあるという理解でいいのだ、と言ってます。
他人に指摘された納得できない「盲点」も、それはそれとして受け止めて、だからといってその窓によって自分の可能性が全面的に閉ざされているわけではないという理解に立てば、わりと楽に生きられるよね、と。
訂正された質問にもとりあえず半分だけ答えてみました!
奇遇だねえ、2人して同じこと教えていたなんて。
看護学生の場合、盲点の窓や秘密の窓はピンと来てくれるけど、
未知の窓がわかりにくいみたいです。
ぢゅんちゃんの例、今後使わせていただくかもしれません。