おはようございます
表題のとおり 今日は穀雨(こくう)であります。はて?・・・わからない?ハイ^^私なんかこの歳になってようやく知ったのですから
まだ若い御仁は、知らなくて当然、知ったところでどうってこともありません。まぁ、知識として・・・常識までいくのかわかりませんが
暦には月日以外に二十四節季なるものがあります。一年を二十四分割して春夏秋冬・・それをもうちょっと分けたのがこの二十四節季で有名な春分や冬至な
ど・・マイナーながらちょっと知られだした啓蟄や立夏など・・・穀雨もその中の一節でして穀類の種を蒔く時期の目安になります。この数十年・・日本は
変わりましたねぇ^^戦後、日本は武力を持つことを禁じられて、じゃあ国力を経済に転嫁しょうと国の方針を
経済優先としました。私が知っています日本という国は古来天皇を中心とした律令体制を敷いて国家の確立を目指しました。以来大陸からの
文化・技術・道徳・思想などあらゆる分野を吸収しながら使いやすいように工夫して平安時代には独自の文化を育みました。
それから・・・おっと!歴史の講座になってしまいました 日本があらゆる分野で全土に普及した功績は、ひらがながあったそうです。
どういうこと?・・・なんのことかな^^思うでしょう・・
アジアは古来中国の影響がものすごく大きくて、周辺の国々(ベトナム、日本、朝鮮、モンゴル、台湾・・・)は中国を手本にしていました。
手本とは、向上心がある場合使うようで単に追随するだけでは良くはならないのでは・・・皆さんご存じでしょうか^^
漢字とは、簡単なようで難しいのをね・・・たとえば「體」これってどう読むのかわかりますか^^骨へんに豊か・・・
はも と呼んだ人がいました^^なるほど骨が豊か はもの骨切り というくらいたくさんの骨があるんでしょう・・まぁそれくらい有名ですから
そう読んでも仕方ないのですが、この「體」は からだ と読みます。 戦後までは日本でもこの漢字が正式の表現だったらしくて
こんな複雑な字体は他にもいっぱいありまして、普通の庶民には到底覚えられなくて、文字が書けないのは当たり前でした。
ところが日本だけはちょっよ違いました。難しい感じを書きやすく覚えやすい かたかな を作ったのです。
う~ん・・・だいぶ横道に入ってしまいました^^
あまり逸れてしまって本題を見失って^^・・・
そうそう穀雨 でしたね。この数十年で経済や暮らしが一新したのは、やはり食糧の確保が出来た所為(せい)ではないでしょうか。
縄文の時代 狩猟を中心にしていた時代食糧は不安定でした。それが稲の普及で安定してそのため人口も増え経済活動も活発化されました
縄文時代に数百万だった人口が飛躍的に伸びました。ただこれ以降革新的な進歩に恵まれず江戸時代まで3000万人で停滞していました。
こうして歴史を振り返ってみますと私らの先祖は食糧の生産確保に明け暮れていました。ですから暦にある節季には農業に関する事項が多いです。
今は、食べることなどは全く難しくなくて 精神的な問題に悩むような、古代人からすると 考えられないくらいの贅沢な悩みと
言えるでしょう。 この 「穀雨」など現代人には見ればある程度分かるかもしれませんが、真の意味は理解できないでしょうか。
種まきだとか苗植え刈り取り収穫なんて農耕民族の主であるはずなのに、今となっては死語に近いようで全く持って溜息吐くだけです^^