こんにちわ
最近 図書館で 蔵書を廉価でお分けします。 というのが市の広報に載っていました。
蔵書、廉価、お分け・・・なんと勿体をつけた文章でしょうか。早い話が 在庫一斉処分 という一般社会で行われている
商行為の一環ではありませんか。新しい本を入れるのに、場所の都合もありますので古くて汚れているのや長い間誰も借り手のつかない本をこの際
処分したいです。それにつきましては、在庫の処分に係る経費が少しでも補えるよう新書の購入資金になりますように皆さまにご協力をお願いしたいと存じます。
厚かましいですが一冊10円から50円、100円とさせて頂いていますので 一度ご覧になって下さい。
とまぁ、こんなご丁寧な案内だったらいいのですが、さにあらん、いかにも公務員らしい 上から目線の紋切り型がたった一行。
こんな稚拙な文面で果たして厳しい消費者のお眼鏡に係るかなと思っていたら 案の定 人も疎(まば)ら。 図書館のはずれの一室にズラリとおいてある
処分の蔵書‥単なる古本。 古ぼけたかび臭い本ばかり、何冊か見てみましたが、およそ30年前のものばかりです。
一番驚いたのは、図鑑、百科事典の類でした。パラパラとめくってみると、20世紀の出来事が新記事として載っていました。最後の方を見ると 1989年製本発行とありました。
十年一昔、日進月歩の世の中に40年も前の資料を誰が閲覧するでしょうか。
と 半分呆れながら 置いてある中古本を冷やかしていたら うん‥目、いえ頭の中の片隅かな、に覚えのある 文字が私の眼の中に入ってきました。
そして 私はそれを 確かめようと目を見開きずり下がり気味の老眼鏡をかけ直しました。
ト ム・ソーヤ の 冒 険
何度か口腔でつぶやきました。肩に掛けていたカバンを後ろに回すようにして空いた右手で トム・ソーヤーの冒険 を棚から取りました。
本は意外と重くて左の手に持ち替えながら表紙を確認しました。全体に白っぽいけれど枠は薄い緑色、主人公の人物が水彩画で描かれていました。
子供向けの本にしては、しっかりと作ってあった所為(せい)か傷みはほとんどありません。クルクル丁寧に見まわしながら
もう一度表紙を見ました。
私が生まれて初めて 本というものを読んだのが この トムソーヤの冒険だったのです。
小学校の三年生でした。当時、集団登校が始まって 私はその二つあった分団のうちの二班のリーダーになったわけですが、よくそんな大昔の事を覚えているなぁ‥
と訝(いぶか)る諸先輩 いらっしゃるでしょう。
ハイ、私もよくぞ覚えていたなぁ‥と自身のことながら感心しましたが、実は当時通っていた小学校は一年生から三年生までが分教場(分校とも言いました)
四年生からが本校に通う、ことになっていました。私らの地区から本校まで3キロほどでした。これはいかに昔のことながら小さい子にはキツイなぁ と
三年生までは近くの分教場に通って学ぶのでした。ちなみに分教場まではほんの数百メートル(笑) 四年生から極端に通学距離が延びましたが、小学校の学区が
東西に長く7キロほどあったかな。 私らは東分教場、反対側に西分教場、その中間に本校舎がありました。
ですから四年生になると東、西、それと元からの本校の三か所からの児童が一緒になるのです。
当時、世の中は敗戦の傷もようやく癒えてのどかでも経済の発展が始まりかけていた活気のある頃でした。
田舎の子どもというのは 初心(うぶ)でいまのようなイジメもなく ホントに純真な子どもでした。
私は二班ある分団の一方のリーダーになったのは他に三年生の男が居なかっただけで リーダーとしての責任感などに全く無頓着でした。
それでも 分団長(リーダー)は黄色の分団旗を持って一年生から数えて十数名ほどを分団旗を先頭に分教場まで三百メーターほどでしたが(笑)
付き添って行くのでした。
通学路は いわゆる そろばん道路といわれる舗装がしていない土の道でした。今はそんな道は見たくてもありませんが、
アスファルト舗装でない道は、乾くと砂埃(すなぼこり)が舞い上がって そやぁ大変でした。又雨が降ると 今度はぬかるんでドロドロになって
靴もドロドロ足元もドロドロ。大八車やリヤカーが主要な交通機関で 私らのところでは 馬や牛はそんなにいなかった記憶が残っています。
続く