これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

社会人になってからの勉強 (その1)

2020-07-18 10:00:26 | 勉強
 今回は、私から高校や大学で勉強している若者達へのアドバイスと、私が入社する前後に頂いたアドバイスについて書きます。

【私からのアドバイス】
 高校生や大学生に、私からのアドバイスを書きます。まあまあ良い考えだと思われたら、ご息女、ご子息やお孫さんに、このブログを推奨して下さい。

≪アドバイス①≫ :長文を書く練習が必要です!
 社会人になったら報告書等の、長文を作成することが必要になります。私は大学卒業して直ぐの沢山の社員に仕事を教えました。1985年頃から、修士卒が多くなりましたが、年々旨く報告書が書けない新入社員が増加して来ました。 現在はスマホの時代ですから、状況は更に悪くなっているそうです。

 社会人に成っての評価は、大学で学んだ学問よりも、文章力によって決まると考えて下さい。 大学を出る前に「長文を書く練習」をして下さい。そして、表現力を高めるために、小説など沢山の本を読む事を推奨します。

 私は『一枚ベスト』と指導して来ました。A4の用紙一枚に纏める事です。特に重役に提出する報告書は、A4一枚に纏め、文字のサイズを『14』か『16』にしました。 大企業の重役が一日に読む報告書は半端な数ではありませんから、小さい文字で書いたら読んでくれません。『16』の文字で、A4一枚にポイントを纏めるためには、相当練習する必要が有ります。

≪アドバイス②≫ :パソコンを買いましょう!
 私の様な人間は、スマホで長文の練習するのは無理です。パソコンを買って、長文を作りましょう!ExcelやPowerPointもマスターしましょう!技術屋を目指いしている学生諸君はVisual Basicにも挑戦しましょう!

 近年、中古を整備して、何年でも使えるソフト(Word、Excel、Internet Explorer)を入れたパソコンを、格安の値段で(amazonなどで)売っています。学生さんでも、小遣いを少し貯めたら買える値段です。

(余談) 長男の嫁さんはスマホで長文を、スラスラと作成します。多分そんなにして作ったと思われる、誤字脱字の無い長文のメールを、時々くれます。 彼女の様な才能が無いので、私が長文を作ると、誤字脱字だらけで、”てにおは”も可笑しいい文章になってしまいます。 白状しますが、このブログはExcelで原稿を作成して、ブログの投稿画面に貼り付けています。

≪アドバイス③≫ :入社したら得意な分野を作りましょう!
 大学で勉強するのは基礎の基礎です。社会人になって『馬鹿にされない/疎まれない』ためには、仕事に必要な知識を得るための勉強が不可欠です。仕事に就いたら出来るだけ早く、「その仕事に必要な知識/経験は何か?」を考えて見て下さい。

 大学を卒業して直ぐなら勉強出来ますが、数年後から勉強を始めるのは難しいです。 東大や京大の工学部を卒業して、数学が必要で無い部署に数年間勤務していた社員が、技術計算が必要な部署に転属して苦労しているのを多々見ました。 彼らは、フォートランの様なプログラム言語を用いて、大形コンピューターで計算する事は、ほぼ出来ませんでした。

 入社したら「あれもこれも勉強しよう」と考えないで、一番必要と思った分野の本を二、三冊精読して、まず得意な分野を作って下さい。 そうしたら、自信が持てる様になり、周囲からも認められる様になります。(私は、後述の様に消音器の勉強から始めました。)

≪アドバイス④≫
 入社して直ぐに、「こんな仕事は嫌だ!」と言って辞めた人が結構沢山いました。私は、預かった新入社員に、「情熱を掛けて仕事に取り組んで見て、それでもこの仕事が嫌いなら、転職したら良い」と何時も言いました。

 子供は遊びが好きです。人類は「遊びが好きになる遺伝子」を持っているのだと思います。 残念ながら「仕事が好きになる遺伝子」は持っていない様に思われます。 「仕事に耐えられる様になる」、更に「仕事が好きになる」ためには、自分で努力する必要が有ります。

≪アドバイス⑤≫ :仕事でミスが続いたら
 本人が気付くのは難しいかも知れませんが、「この仕事は彼には向いていない」と思う事が多々有りました。 そんなケースでは、仕事のミスを連発して怒られ続けることになります。十年もすると付き合いきれ無いほど性格が悪くなってしまいました。

 良い上司に恵まれた時は、上司が動いて他部署に移動させてくれますが、殆どの場合は本人が移動願いを出しても簡単には移動させてくれません。一度しか無い人生ですから、会社を辞めて、全く別の仕事に就く方が良いと私は思います。

≪アドバイス⑥≫ :パワハラとセクハラ
 世の中では「パワハラは犯罪だ!」が常識になってきていますが、大企業でも中小企業でも、パワハラを根絶する事は非常に難しいのです。40年間程の私の現役時代に、部下を虐める社員が10人以上いましたが、注意されたり、免職になった社員は一人もいませんでした。

 「部下がミスしたら上司が怒鳴り付けるのは、当たり前のことだ!」と考える人がいる限り、企業でパワハラを無くすのは難しいでしょう。躁病の人は、躁の状態になると些細な事でも怒鳴り始めます。躁病を理由にして首にすることは、法的に難しい様です。

 支配欲が病的に強い人は、部下を持つ様になると「根掘り葉掘り理由を見付けて」虐め始めます。 この手の人は、『虐め』がどんどんエスカレートして来ます。 不幸にして、この手の人間の部下になったらサッサと転職した方が良いです。

 自分のミスを部下に押し付ける輩(やから)は結構います。この手の人は日常は怒鳴ったり、虐めたりはしません。重要な開発に失敗したり、大きな仕事が受注出来なかった時に、責任を部下に押し付けるのです。 会社に取って極めて重要だった開発が進まなくなった責任を押し付けられて、精神的に可笑しくなりかけた社員を二人知っています。彼等は、精神異常になりかけている事に気付いて、さっさと退職しました。「良い選択だった」と思います。 精神的に耐えられるのだったら、我慢しましょう! 二、三年も経ったら笑い話になります!

 昔は勤務時間中に若い女性社員のお尻を、平気で触る社員が結構いました。20世紀の終わり頃には酒が入った席でも、女性社員の身体に触れる”輩(やから)”は見なくなりました。現在の民間企業では、セクハラをやったら厳重注意に、繰り返してやったら懲戒免職になると思います。 最近・話題になっている故・朴ソール市長の様な”輩”は、被害者が訴え無い限り、事件が表に出ませんから、日本にも沢山いるのだと想像されます。 自分の欲望が抑えられない人は、どんな人種にもいると思われるので、被害に遭ったら退職するか?、勇気を出して訴えるか?考えて下さい。

 会社で嫌なことが続いて、「この世は嫌だ!」と思ったら、精神科の先生のカウンセリングを受けましょう! 一回しか無い人生ですから、楽しく過ごしましょう! 仕事が楽しく無くても、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんの様に趣味を楽しむ人生も有ります!

(余談) 久しぶりに会った友人・数人と、東京の高級レストランでディナーを楽しんでいました。隣に大きなテーブルが有って、外資系の企業が女性社員の送別会をしていました。白人の男性が数人、日本人の男性が二、三人、若い日本人の女性が四人程いました。英語でしたが大きな声で喋るので、女性社員の一人が結婚で退社する送別会だと分かりました。「セクハラは犯罪だ!」と日本でも認識されていますが、送別会が終わりに近づいた頃に、白人の男性達が退職する女性を強引に!強く!抱きしめてディープキスを繰り返しました。 白人達は、「未だに日本人は同等の人間だ」とは考えて無いのだと思いました。

(余談) 1995年頃の話しですが、当時・仕事上は全く繋がりの無い大手ゼネコンの所長(TS氏)と懇意になって、時々ですが勤務時間中に雑談していました。TS氏は温厚な紳士でした。ある日訪ねて来て、「さっき新入社員に注意したら、大粒の涙を流して泣いた」と深刻な顔で言いました。 それから数か月して、会社の親しかった管理職が私を部屋の隅に連れていって、「○○君が余りにも凡ミスが多いいので、工場の隅に連れて行って注意したら泣き出した。どんなにしたら良いか分からないから、置いてきた」と言いました。

 私は長男が幼稚園に行っている頃、悪ガキ二人で駐車場の車のガラスを石で割ったので、厳しく叱った事が有ります。次男は悪い事を全くした事が無く、兄弟喧嘩も友達との喧嘩もした事が無いと思います。現在の若者の多くは次男の様に育ったのだと思われます。 会社で少し厳しく言われたら、泣いても仕方がないでしょうね! 気にする必要は有りませんが、叱った方のショックは大きいです。 (俗に言う上級国家公務員試験に合格して官僚になった新人が、「大臣に怒られて泣いた」と言う話を聞いた事が有ります。)

≪アドバイス⑦≫ :英語を勉強しましょう!
 私は英語が大の苦手でしたので、英語について偉そうな事は言えませんが、貿易商社は勿論ですが、製造メーカーでも英語で図面や購入品を手配する仕様書、取り扱い説明書等を作成する事が多くなって来ています。 外国からの旅行者が増えて来ていますから、サービス業でも英語が必要です。

 私が社会人になった1971年頃の国際学会では、既に英語で発表していましたが、フランス人やドイツ人は英語が堪能なのに、イギリス人やアメリカ人に母国語で質問しました。 英米の研究者の多くは、仏/独語が苦手な様で、英語で質問する様に要求しました。紛糾する事が多々有りました。

 戦後・アメリカが強国であり、1993年に(イギリスも参加した)欧州連合(EU)が設立された事も要因になったと思いますが、現在は英語が国際標準語になっています。1985年頃にソビエトに機械を輸出した時でも、提出書類は英語でした。 (私の学生時代は第二言語が必須でしたが、現在では英語だけで事足ります。)

(余談) 私には小学1年生の孫がいます。2年前に幼稚園に入った時から、英語の塾に通っています。もう一人の『ジージ(Tジージ)』は大学で英語を学び、英語を日常的に使う仕事に従事してきたので、英語はペラペラです。Tジージと孫は英語で会話しているそうです。 英語の絵本だったら読める様です。 小さい時に英語に接したら、そんなに努力しなくても身に付くものですね!

【恩師から頂いたアドバイス】
 大学のゼミの先生(D助教授)から、種々のアドバイスを頂きました。 就職先を検討していた時に、K社について相談すると、「K社には優秀な技術者が殆どいないから、君にはピッタリだ!入社して少し勉強したら直ぐに仕事を任せて貰えるだろう!」と言う様な話をされました。 まさにその通りでした。

 K社に入って直ぐに同期で同じ寮に入ったS君と友達になりました。S君が、「当社の社員は勉強しない。二人で勉強しよう!」と言い出しました。寮には狭い・名ばかりの図書室が有りました。 本棚は有りましたが、辞書を数冊置いていただけでした。

 S君はドイツ語の金属工学関係の論文を、私は英語の騒音と振動に関する論文を、図書室で休日に読みました。 K社で出向の嵐が吹き出したら、S君は九州大学に移り、暫くして教授になりました。 教授になっていたS君に偶然・会った時に、「ドイツ語は上達したか?」と聞いたら、「あれから、ドイツ語は全くやっていない」との事でした。

(余談 :株の話し) D助教授は、「技術屋でも、新聞の経済欄を読むべきだ!、上場企業に入社したら、その会社の株を買いなさい。そうしたら、株式欄を読むようになる」と学生にアドバイスされていました。 私は入社して直ぐに持ち株組合に入りました。新入社員と子供達にも勧めました。 大学生諸君にも、株を買う事をお勧めします。

【姉のアドバイス :本を買いなさい!】
 一番上の姉が、「二、三年間は貯金しないで、本を買って勉強しなさい!」と入社した時にアドバイスしてくれました。

 入社後4年間ほど神戸市内の事務所に勤務しました。当時、神戸市には古書店は沢山有りましたが、工学関係の書籍を扱っていたのは、小さな店が2軒しか無かったと記憶します。専門書を扱っていた書店は、売り場面積の狭い『丸善』だけだったと思います。

 丸善の外商担当者が時々会社に来ていたので、学生時代に欲しかった本を注文しました。 最初に買ったのは『機械工学便覧』でした。 問題の項目を調べると言うより、私は機械工学便覧を、小説を読むように何回も読みました。 改訂版が出る度に、この便覧を買いました。

 私の勤務したK社には、中央図書館と各研究所や工場に図書室が有って、だいたい必要な本が保管されていましたが、中小企業に出向したら専門書は皆無と言って良い状態でした。専門書の多くは第一版だけ出版されて、絶版になるケースが多いいのです。 一方、専門書を扱う古書店は、ドンドン店仕舞いして、現在残っているのは神保町の『明倫館書店』だけになっていると思います。

 技術計算をするには種々のデータ(強度、粘度、・・・)が必要です。 データは色々な専門書に散在しています。 絶版になった本にしか記載されていない場合も有るので、明倫館書店に『探求書』扱いにしてもらいました。 二、三か月後に連絡が有ったり、忘れた頃に連絡が有ったりしました。 現在は、amazonから古書の専門書が入手可能ですが、『売り切れ』のケースが多いいです。 そんな時は、インターネットから明倫館書店に探求書の申し込みをして見て下さい。

 欧米で出版されて、絶版になっていない専門書が欲しかったら、輸入代行店に依頼するのが良いと思います。 出版社、本のタイトルが分かれば、結構・短時間で入手出来ます。 丸善経由だと安心ですが、手数料が高くて、時間が掛かります。

(余談) 2017年に私は技術屋を廃業しようと決意して、自宅で保管していた論文と専門書を処分しました。 専門書は若い人達に読んでもらいたくて、明倫館書店に引き取ってもらいました。450冊ほど有りました。 私の恩師の一人・横堀武夫先生の『材料力学』が400円程になって嬉しかったです。 学生時代に古書店で数十円で買った本で、材料の強度が問題になった時、何回か読み返した本でした。 「今でも読みたい人がいるのだ!」と思って、嬉しかったのです。

【先輩・A氏のアドバイス】
 K社に入社して直ぐに、大学の10年ほど先輩(A氏)の知己を得ました。 通勤路が重なっていた事も有って、時々ですが美味しいコーヒーを奢ってくれました。 その時、色々なアドバイスをして頂きました。

 A氏は振動と騒音を研究するチームのリーダーでした。(私の大学には振動や騒音を研究されている先生はいませんでした。) 私は仮配属中で、1年後に正式配属になると言われていました。 A氏の話を聞いていて、振動と騒音の専門家になろうと決心しました。

 K社では超大形の高炉を建設中でした。排気口が大きくなるので、数ヘルツ(Hz)の超低音騒音(超低周波騒音)の発生が予想されていました。日本ではまだ超低周波騒音について研究している人がいませんでした。 A氏が、欧米の論文を沢山コピーして渡してくれました。 この論文を、(前述の様に)休日に寮の図書室で読んだのです。

 A氏のチームに正式配属して貰える事になったのですが、A氏が「まず、機械の勉強をした方が良い!」と言って、ガスタービンの技術導入を始めようとしていたNM課長に「2年間預けるので、みっちり鍛えて下さい」と交渉してくれました。 そんな分けで、ガスタービンに取り組んだのですが、約束の2年が経過しても、NM課長が「もう1年貸してくれ」、次の年にも「もう1年貸してくれ」と言って、結局・A氏のチームに参加する事は出来ませんでした。

(余談) A氏はスポーツマンでスキーとヨットが得意でした。 二、三回スキーに連れて行って頂きましたが、当時は非常に珍しかったアクロバットスキーをやられるのです。宙返りやジャンプ等々。 A氏はクラシック音楽の愛好者で、私も好きだったのでコーヒーを飲みながら話をしました。 1985年頃に久しぶりにお会いした時、アメリカの黒人ソプラノ歌手・キャスリーン・バトルを薦めてくれました。彼女の声は、少し特徴が有り、味が有りますね!素晴らしいです。


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