まちとも こころのおもむくままに

==ボランティア時々写真撮影==
日々の暮らしの中で感じたこと、時々撮る写真などを綴っていきます。

人間の尊厳を踏みにじる行為 小山田圭吾の問題

2021-07-20 17:14:08 | 障害者福祉
レポート添削の筆が止まってしまいました。
小山田圭吾の問題を考えていました。
障害者支援に取り組み一人として見逃すことができない問題です。

何が問題なのか、資料を当たってみました。
行為そのものの問題があります。
学生の頃のこととはいえ、いじめを越えた暴力行為です。
しかも反撃できないターゲットを対象にした人間の尊厳を踏みにじる暴力行為といえます。

さらに問題なのは、大人になってからもその行為を反省するのではなく、自慢話として語っていることです。
しかも、今回の問題が生じるまで、かつての行為を振り返り反省したことがなかったということです。

小山田圭吾という人間をほとんど知りませんでした。
知らない人のことをとやかく言わなくてもいいのではないか、という考えもあるかと思います。
しかし、五輪の楽曲担当ということは、日本を代表する立場にあるわけで、その人がこんな人間だったのかというのは黙っていられないことです。

音楽家として優れた才能を持っているのかもしれませんが、その楽曲に魂を入れるのは、その人の人間性だと思います。
公開された謝罪文を読む限り、自分の行ってきた暴力行為について、それが相手の人生に重い傷跡を残していること、人としてやってはいけないことをしてしまったことなどについて心底考えているのか伝わってきません。
むしろ、五輪の組織委員会や関係者に対して謝罪しているとしか思えない内容です。
本末転倒の謝罪ではなく、自分の人間性に向き合う内容がほしいと思うのは私だけでしょうか。

優れた才能を生かすため、しばらく音楽活動を休止して自分の人間性に向き合ってほしいと思います。
人間性に向き合った謝罪は、1日や2日でできるものではありません。
どれだけの時間がかかるかわかりませんが、自分の楽曲に魂を入れることができるようになってほしいものです。

また、様々な問題を犯してきた五輪の組織委員会も今回の問題から逃げることは許されません。
オリンピック、パラリンピックの理念からも、この問題を生じさせた組織委員会の責任について明確にすべきと考えます。

障害を持った人たちは、等しく人としての尊厳を尊重され生きていこうとしています。
みんなが同じ人間として大切にされ、安心して生きていける社会を作ろうとしている今、この問題を契機にそれがさらに前進できるよう願うものです。