まちとも こころのおもむくままに

==ボランティア時々写真撮影==
日々の暮らしの中で感じたこと、時々撮る写真などを綴っていきます。

猛暑日にゲンナリ

2023-07-12 20:23:21 | つぶやき
当地は3日連続の猛暑日となりました。
猛暑日が3日連続となるのは3年ぶりとのことで、そんなに頻繁に生じることではないようです。

さすがに猛暑が続くと身体に堪えます。
冷房の効いた室内にいる分にはよいのですが、外に出ないわけにはいかないので、温度差が身体によくないですね。
今日は、午前、午後と会議があったので、会議中は良いですが、前後の移動時間は蒸し風呂状態の車に乗り込み、エアコンが効くまでの間これまた我慢の時間です。
1日に何回も急激な温度差の中で過ごすと身体への負担も大きくなります。

そんなことを強く感じる年齢にもなってきたなと感じています。

昨年撮影した法多山の風鈴のイルミネーション。
こんな中で過ごしたいものです。




   


ハス池のハスが咲き始めました

2023-07-11 20:28:51 | 遊水地
遊水地のハス池は、6月の大雨で冠水してダメージを受け、花が咲くのが遅れていましたが、1か月遅れで咲き始めました。
全体を見ると、ほとんど花が見られませんが、数輪咲いています。
本来なら、水面が見えている所もハスの葉で埋まっていますが、今年はそこまで回復できていません。



池の中央の観賞用桟橋の周辺も1輪だけ咲いていました。



ちょっと寂しげな花1輪。



こちらも1輪だけ咲いていますが、近くに蕾がありこれからもう少し多くの花が見られそうです。



ハス池の近くのレンコン畑は水没被害がなかったので例年通り大きく育って花も咲いています。



もう少し多くの花が見られるのは7月後半になってからと思われます。



   


認知症サポーター養成講座

2023-07-09 16:50:00 | 地域生活支援
振り返りは一旦休止します。

昨日、認知症サポーター養成講座が開かれました。
在宅の認知症の方が増えている中、その方たちを地域社会がどのように受け入れ、ともに暮らしていくのか考えることが求められます。

昨日の講座は、自治会と民生委員の共催という形で開催されました。
この開催方式は重要だと考えます。
地域社会で認知症についてある程度関わりのあるのが民生委員、地域の困りごとを受け止めるのが自治会と民生委員、地域社会での取り組みを進める上で頼りになるのが自治会、そのような役割を持った人たちがともに認知症への理解を深め、地域社会の在り方を考えることが欠かせません。

講座の周知はお知らせのチラシ1枚で十分ではなかったようですが、昨日は役員等を含め30名が参加しました。
認知症は誰でもなる可能性があること、相手の自尊心を傷つけない、余裕を持って対応することなど多くを学ぶことができました。



自分の経験では、周辺症状に基づく問題行動をかかえた方に多く接してきたことから、認知症というと問題行動が出現した時にどのように対応するのかすぐに考えがいってしまいがちです。しかし、多くの方が隠れて過ごしているような状態で、ちょっとした周囲の配慮があればもっとオープンな地域生活ができることを強く感じました。

この講座が地域の中で多く開催され、地域社会の理解が広がるなら、認知症になってもより長く地域生活を送ることができるようになるのではないでしょうか。
そんなことを感じることができた認知症サポーター養成講座でした。



   


50年間の振り返りから エピソード10 七夕

2023-07-07 16:30:30 | 障害者福祉
今日は七夕、50年間の相談支援を振り返った時に七夕に関するエピソードもいろいろあります。その中の多くは、精神障害者のグループ活動に関わっていた時のものです。

1980年、私が保健所に異動した年に在宅の精神障害者のソーシャルクラブ活動(グループ活動)が始まりました。これを行うために相談員が1名増員で、そこに異動することになったわけです。当時は、病院のデイケアも実施されてなく何もサービスがない状態で、在宅の人たちから行く場所が欲しいという希望が出されていました。そんな要望にこたえる場として、この活動が取り組まれました。これも先例がほとんどない状態から手探りで支援を考える取り組みでした。

週1回、9時から午後3時までを基本の活動時間としていました。
プログラムは、レクリェーション、創作活動、料理、スポーツなど多様で、利用者の希望を聞いて組み立てたり、スタッフから提案したりと手探りで作りだしていきました。

この活動には、保健所にいる間、ほとんどの期間関わってきました。どうしたらみんなで楽しく過ごすことができるのか、ここから学んだことも多くあります。自分も利用者と同等で一緒に楽しむということが大切だと学びました。料理は保健所の栄養士に指導してもらい、ここでもいろいろ覚えました。書道や絵画も、保健所の職員に得意な人がいるのでその人に指導してもらいながら私も一緒に書きました。カラオケが流行し始めた時で、歌いたいという希望が強く、カラオケ機材一式を備品として購入しました。レーザーディスクのカラオケ機材で、そんな機材の操作が好きな利用者がいたので、これも一つの役割で任せました。歌いたい人が多く1人2曲とか制限しながら、私も一緒に歌いました。スポーツは、卓球は用具が揃っていたのでいつでもできました。インディアカという種目がありますが、これもよくやりました。80年代の前半ころは若くて活発なメンバーが多く、ソフトボールやバレーボールも時々やっていました。

季節の行事も大切にしてきました。クリスマス会は人気メニューの一つでした。桜が咲けば花見に行きました。七夕もメニューの一つでした。短冊に書いて竹に吊るすこともあり、清水駅前の七夕まつりを見物に行くこともありました。七夕などのように保育園でやるような行事を大人の集まりであるグループ活動でやる意味があるのかという疑問もありましたが、実施してみればみなさん子どもの頃に帰ったように楽しんでいる姿が見られました。何よりも季節感を大切にすることで日々の生活にメリハリをつけることが必要だと感じました。

年に1回、1泊旅行にも取り組みました。最初はキャンプ場でテントを張ってキャンプファイヤーを楽しむという活動でしたが、その後は国民宿舎などの安い宿を利用するようになりました。参加者の中には、夜眠れない人もいて徹夜でお付き合いすることもありました。

病院デイケアも、高齢者のデイサービスも何も行われていない時に手探りで実施したグループ活動でした。20数年間この活動に関わってきましたが、そこから得たものは多くありました。グループ活動のノウハウは身体にしみ込んでいる感じです。スタッフも利用者も対等に一緒に楽しむことが何よりも大切です。また、自分自身にとっては、レクリェーションの進め方はもちろん、調理、各種の創作活動、スポーツなど多くのことが体験でき、それらが自分を豊かにしてくれるものであったことです。
七夕の日にそんなことを感じています。

清水駅前の七夕まつり(2019年撮影)





   


50年間の振り返りから エピソード9 グループホームの原型を作る

2023-07-06 17:21:30 | 障害者福祉
静岡市内では1970年代初頭から退院して社会生活が送れるような支援が試みられていました。今のグループホームの基礎になる活動で、共同住居活動というものです。当時、全国で数か所の取り組みでしたが、市内でも保健所の相談員、病院のソーシャルワーカー等が集まり、それを生みだしました。

私が関わったのは保健所に異動してからで、活動が軌道に乗って複数の住居活動を始める時期でした。借家で4人ほどが共同で暮らすのを支援者が支援するという活動です。長期に入院していた人たちにとって、自力で暮らすことは大変です。どんな支援が必要なのか、日々発見でした。活動が始まった当初は、包丁を持って調理することは大丈夫なのかということまで心配されていました。支援者が毎日交代で泊まり込み、支援する形でした。その内に利用者の力が見直されるようになり、支援のポイントがわかるようになって、泊まりこみでの支援から、日々夕方に支援に入る方向に移行しました。

私が関わる頃には市独自の補助金が出るようになり、世話人を配置して、支援者は週2回程度の訪問活動という体制になっていました。また、支援者と世話人が月に1回は集まり、支援内容等について話し合う場がありました。そのような支援の情報を共有することが、より効果的な支援に結びついていきました。

支援の中では様々なエピソードが生まれ、在宅支援の方法がその都度蓄積されるという状況でした。この活動から、生活障害といわれる、精神障害者がかかえる障害の一部を理解していくことができました。また、利用者が次の利用者を誘ってくるという利用者自身の持っている力も発見できました。共同住居活動は厚生労働省からも注目されるものとなり、後に制度化されたグループホームの支援の原型になっていきました。

私にとっては、長年の活動で延べ数百人の支援に関わり、精神障害者が抱える生活上の困難を学ぶことができる場でもありました。

可睡ゆりの園にて