- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

平成26年4月1日の奥山(PWD=地番の10倍の数値)

2014年04月04日 | 断想および雑談
鶯の鳴き声はなかった。不思議な静寂をたたえた水面が妙に印象的だった。


大きな木(常緑広葉樹)が見える。高度でいうとその10M下位に山神祠


有毒のアセビ


山桜(@途中にある森林公園)






山神さんの前面の林相、地形的には石神さんの前面は緩傾斜地が広がるが、山神さんの背後は傾斜が急になる。したがってこの石神は小田谷支谷を限る稜線上の傾斜変換点を選んで布置されていることになろう。


春霞


小田池の堰堤から飛行する航空機をショット、強い紫外線が気になり始める季節。


家を朝9時に出発し、帰宅は12時過ぎだった。
午前9時に家を出て、奥山へ。
9:24 東蔵坊横のイグサ乾燥場
9:37 森林公園登山口
9:52 小田谷口
9:56 いつもの蕨、蕨を収穫あと発見
10:11 鉄梯子(自動車で行くと我が家からここまでの所要時間は20分程度)
10:37 小田池
10:47 ヌタ場
10:57 山神
11:18 小田池に帰還
11:42 鉄梯子に帰還
12;20以前に帰宅

松永駅の駅前にあるまつなが(杉原)幼稚園付近から見た奥山340番地山(赤矢印の点滅部)、2014年2月9日撮影

動画(2012年4月)
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高島平三郎の心理学研究をテーマとした専論を取り寄せてみた

2014年04月04日 | 断想および雑談

高島は初代の立正高女校長。立正女子短としても高島の思想を調べておこうという機運が一時期あったのだろ。
飯田宮子にとっては代表的な論文ということなのだろ、業績欄に飯田宮子「蜻洲ー高島平三郎の児童研究」が記載されている。
飯田宮子「高島平三郎の心理学研究(1)(2)(3)」、立正女子短大紀要23/24/25号(1996-1998)
飯田宮子「蜻洲ー高島平三郎の児童研究」、上掲紀要29(2001)だが、論文としては普通に凡庸。役立ちそうなのは最後の論文で使われた「懐旧瑣談」情報only。これは高島の回顧録だろか。

これまで近くの大学や県立図書館からの借り出しやネット上にころがっている大学の研究紀要掲載の論文チェックは行ってきたが、体育学(後日紹介)と心理学、幼児教育からのもの限定で、役立ちそうなものとして

心理学・大学史
日本児童研究会(日本児童学会)と哲学館(東洋大学)
著者名(日) 清水 乞
雑誌名井上円了センター年報
号19
ページ101-135
発行年2010-09-20
URL http://id.nii.ac.jp/1060/00002854/
Creative Commons :
http://creativecommons.


②大泉溥(高島平三郎著作集)・③加登田恵子(日本児童問題文献解説1)・④石井房枝(心理科学研究会歴史研究部会編「日本 心理学史の研究」)、木内陽一(鳴門教育大学研究紀要・教育科学編8,1993)が主なものだ。
その他児童画研究や雑誌「児童研究」に関する研究に高島を論じたものがある。

高島が生きた時代は童話・童謡が流行し子供向け商品開発が始まる。こうした社会の大きな流れをけん引したじんぶつの一人として高島をみていくといろいろ発見があるものだ。
婦人運動の平塚らいちょう、西川文子など高島との接点をもっていたわけで人間類型としての子供・青年(山本瀧之助、丸山鶴吉は日本青年館理事として山本の顕彰に貢献)・女性(婦人)問題に高島は積極的に発言していった姿勢には目を見張らせられるものがある。大正期における子供・青年・女性が論壇・社会運動として展開された中でその中核を担った人たちが高島の周辺にはいたということだ。

切り口としては、たまたま管見したものだが・・・・・
佐藤達哉」ほか「現代日本における2つの心理学」、行政社会論集7-1(福島大)
など興味深い。


体育史・体育学では
ネットにころがっているもの限定だが、恩田裕(成城大学法学部)「真行寺朗生の体育思想」、教養論集(8) , pp.330 - 276 , 1990-12、NII書誌ID(NCID):AN10353310

清水諭「体操する身体」、年報筑波社会学8(1996),PP.119-150

言語情報科学の瀬崎圭二「流行論の生成と森鴎外「流行」
抄録 
「資本主義の成熟、交通、情報網の拡張といった外部的環境の変容の中、明治30年代から流行を紹介する雑誌が続々と刊行されると共に、流行を知の対象として位置付け、分析していくような言説が流通していくことになる。そうした中、藤井健治郎の「流行の意義性質及び其伝播に就いて」(『東亜之光』明治43・2)や、三越の流行会会員であった高島平三郎の「流行の原理」(『みつこしタイムス』明治43・7)は、ガブリエル・タルドを初めとした欧米の社会学、心理学の理論を基盤に、科学的に現象としての流行を捉えようとした。やはり流行会の会員であった森鷗外の小説「流行」(『三越』明治44・7)は、一人の男が用いていく事物が全て流行のものとなっていくことを「己」の「夢」として描き出しているが、この小説は、事物の商品化に際した商人や使用人たちの<夢>を表象すると共に、同時代の流行論が展開した覇権への欲望という<夢>を吸収するところに成立している。流行を知の対象とするこうした言説によってその実定性は確保され、まさに1910年前後、単なる一過性のはやりの現象である流行から、常に<新しさ>の誕生と消滅を繰り返す近代の流行、すなわち流行へのシフトチェンジが生じるのである。」



高島批判
1)波多野完治は高島の方法には批判的だ。子供観が旧態依然とした「小さな大人」にとどまっているし、進化論が日本に流行したということは明治30,40年代の日本は科学的方向に向いていたというよりも、むしろ、ムードとしての科学、つまり科学の法則に頼り、そこに思考の基準を求めようとしたことの現れ」(波多野「児童心理学講座1成長と発達、30頁」)だと。子供の絵と未開人の絵の説明あたりは「約説 原理((Rekapitulationstheorie ,Recapitulation theory))」(ドイツの生物学者ヘッケルの 「個体発生は系統. 発生を繰り返す」 という 仮説)を確信させるものだった。そういえば京都府女学校での講演でも波多野が言う「ムードとしての科学」、あるいは「科学的というイメージ」を女学生たちに吹聴していた。ハハハ
2)帰納的方法を志向したが、教育現場から吸い上げられた具体的事実を理論的に体系化する組み上げる作業が不在。高島の場合は理論的体系化の弱さ、理論的根拠の曖昧さを放置したまま「例示」主義的な説明、「実際的」応用を安易に繰り返すというところがあった。大泉溥によれば例示主義は「普遍は個別に宿る」といったゲーテ的教義(大泉はこれを科学的方法と称している)とは対極にある。高島の心理学研究は本人が目指した観察事実の理論化ではなく、欧米専門書の消化吸収とその内容を平易化して大衆に説明していく水準にとどまった。高島の女子教育は所詮良妻賢母の唱導だと・・・。そして大泉は高島の志を捉え、それは我が皇室国家という天皇制国家主義にすり寄りすぎていたと批判している。

最大公約数的な高島批判は木内陽一が指摘した「研究分野の拡大は明治期に見られた児童研究の体系化への強い意欲の背後への後退と表裏一体であったように思われる」という部分に収れんされてしまうかな~。
まあ。その辺は高島が置かれた社会的な立ち位置(私立大学の嘱託/専任教員か私立女学校校長、文部省嘱託で全国遊説)や官尊民卑と学閥の中で動いていた歪んだというか通常のというか、要するに学会ポリティックスの中でどうしようもな無かったのでは・・・・。しかし、わたしとしては早晩陳腐化する理論より、膨大な事実の山を残してくれたことに賛辞を送りたい。
ただ、高島の学問を同じ長谷川櫻南門下の高楠順次郎(東京帝大・梵語学)らのそれと比べるとやはり高島の軽さは否めないかな~

コメント

これは参考になった!

2014年04月04日 | 断想および雑談

この分野の研究者は割りと地味目の方が多くて、物足らない論稿が多いのだが・・・・・この解題集は高島平三郎が生きた時代の児童研究書の傾向を掴むには役立った。


富士川游の人脈ネットワークと東京洛陽堂グループ、三原・長谷川櫻南の門弟グループ(中心は花井卓蔵、高楠順次郎だが、高島平三郎・永井潜は最晩年の弟子)が井上円了が創設した哲学館(現東洋大学)という場を使って結びついていた。


民間学者高島平三郎30~50歳(明治30年代から大正4,5年頃)にかけての時期、我が国における児童研究の中心的存在だった。その後は・・・・

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稲葉乾一「体質改良の上より観たる教育期児童の健康法 」大正2

2014年04月04日 | 断想および雑談
体質改良の上より観たる教育期児童の健康法

稲葉, 幹一,稲葉幹一 著


出版社:洛陽堂

出版年:1913

大きさ、容量等:369p ; 23cm



著者の稲葉は小学校の教師だったので医学生理学的な知見に学びながらも教育現場からの声として本書を上梓。稲葉の目から見ると本書刊行で世話になった高島は文字通りの児童学の泰斗そのものに写ったことだろ。




高島の児童学が完成期を迎えた時代。亀之助経営の洛陽堂との協働が眩しいばかりだ。



標題 / (0002.jp2)
目次 / (0010.jp2)
第一編 健康法の基礎に關する事項 / (0016.jp2)
第一章 健康の原因 / 1 (0016.jp2)
第二章 健康法の効果を大ならしむるに必要なる事項 / 41 (0036.jp2)
第二編 兒童健康の方法に關する事項 / (0057.jp2)
第三章 一般兒童健康法 / 83 (0057.jp2)
第四章 學校兒童に於ける健康法其一(學校體育) / 186 (0109.jp2)
第五章 學校兒童に於ける健康法其二(學校衞生) / 256 (0144.jp2)
第六章 都市學校に於ける體育上の缺陷に應ずる兒童健康法 / 289 (0160.jp2)
附錄 / (0178.jp2)

タイトル
我子の職業選択
著者
稲葉幹一 著
出版者
洛陽堂
出版年月日
大正9


我子の職業選択

稲葉幹一 著



[目次]
標題
目次
一 こどもは将来何かの職業を持つべき使命がある / 1
二 職業の準備はこどもの時からせねばならぬ / 7
三 職業準備の階段 / 11
四 職業の基礎的準備時代 / 14
五 職業の基礎としての智育 / 25
六 職業指導とは如何なることか / 32
七 親としてのこどもの職業選択 / 43
八 職業の世襲は果して一家の為であらうか / 45
九 世襲でなければならぬ職業ありや / 49
一〇 世襲を以て利とする職業ありや / 52
一一 児童が十四五歳に達して家業に欲求を有するか / 55
一二 児童が現在家業に欲求を有せずとするも将来欲求を持たしめ得る望みありや / 57
一三 児童の望める職業と家業とが其性質上類似の点ありや / 59
一四 児童は果して其家業を継承するに必要なるよき性能を有するや / 61
一五 児童は果して家業に堪へ得るだけの体力を有するや / 63
一六 児童は家業に対して如何なる道徳観を有するか / 65
一七 児童は家業に対して或る種の才能を有するや / 67
一八 中等学校へ進むものの注意 / 71
一九 職業選択の機会 / 77
二〇 陳列館訪問 / 79
二一 諸会社 銀行 商店 工場訪問 / 82
二二 其他の機会 / 84
二三 予備的職業準備 / 86
二四 異常児の職業選択 / 88
二五 天才は一見痴鈍の如しと / 99
二六 不具児童の職業選択 / 102
二七 学校選択 / 107
二八 商店 銀行 会社 工場の選択 / 112
二九 商業見習者の用心すべきこと / 116
三〇 幼年者を工場に働かしむるは考へものである / 119
三一 工場法に於ける幼少年及女子の保護 / 124
三二 健康保全の上より観たる職業種類 / 145
三三 児童を感情家として育てるは何れの職業にも不利である / 153
三四 能率の高い業務家となるには娯楽の指導が必要である / 155
三五 業務の成功は青年時代の勤勉の中にある / 159
三六 子どもの観察を鋭敏にせよ / 162
三七 気質と職業 / 166
三八 業務の信念を児童一日一日の生活に養へ / 172
三九 健全生活の三方面 / 177
四〇 職業決定法 / 182
四一 職業選択の実例(一) / 212
四二 職業選択の実例(二) / 220
四三 職業選択の実例(三) / 228
四四 職業選択の実例(四) / 236
四五 少年職業雑感 / 245
附録
「フレノロギー」の職業選択 / 253

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