- 松永史談会 -

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豹変した高島平三郎

2014年04月24日 | 教養(Culture)
学校内ではキリスト教・仏教・神道などなど主義主張の多様化によって、内部対立が・・・、一方学校間では独自色が強められて・・・
そんな中、高島は信教の自由は認めるが、国家というのはどこにいても降りそそぐ光源=太陽のような存在としての皇室を核にして一枚岩であるべきだと。高島の皇室観は文字通り、戦後憲法の中で言われるような統合の象徴としてのそれだ。そんな高島平三郎の信念が「教育時論215号(明治24年4月刊)」誌上で語られている。
この中では皇室に対する不忠、国土に対する不親切、国民に対する不義を許すべきではないという高島の国家観を匂わせる発言もしており、天皇制に対して批判的でアメリカ合衆国贔屓の分子たちに対しては宣教師たちの口からく語られるようにアメリカ合衆国も決して聖人国ではない。原住民(土人=アメリカインディアン)に対する行為を見れば一目瞭然だと高島は手厳しい。同様のアメリカに対する警戒感と言えばやはり『世界を征服せんとする米大帝國』(上杉慎吉ほか訳、未来社、大正14年)。


明治21年9月に学習院傭教師となり、まる3年。明治24年4月より学習院上野分校に転勤となったころの評論文だ。東京に出て数年、高島ー豹変した高島平三郎ーは知性の身の丈が一回りUPし、このとき天下国家を視野に捉えられるだけ思考範囲の広さを身についていたことが判る。


高島の皇室観は『現代の傾向と心的革命』中でも、皇室というのは国民に対しては真善美の根源のようなものだと・・・・。したがってそういう皇室に対する反逆は狂気の沙汰というのが高島の意見だった。

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