高島平三郎「中等学校修身教授資料」
独協中学時代に執筆した修身の教科書。
高島にとって心理学のほか明治~昭和初期における倫理道徳=修養は重要な専門分野であった。その繋がりで後年(社会革命ではなく)「心的革命」の必要性を説く。高島と西川光二郎との接点もこの部分であっただろ。
高島が、たとえば大阪の日蓮宗の信者に対して行った講演会の速記本が公刊されている。高島が講演会で行ったことは日蓮の教えや行動を例示しながら、かつて編纂した中等学校修身のテキストの中身にそった修養の講義そのものだった。その中身は現代社会にも通じる一本筋の通った講話だった。高島は明治~昭和にかけて時代状況に合わせた講話を全国各地で行ったが、その内容は時代を超えた普遍的な真理を内包するものが多い。その辺は洛陽堂から「暴風来」を出し天皇神聖説を思いっきりぶち自滅した上杉慎吉(東京帝大)あたりとはかなり異なる。
高島執筆の修身(実践道徳)の教科書とその教授資料
弱小国家は西洋列強によって必ず侵略され、崩壊させられる。そういう世界情勢の中におかれた日本に求心力を与えてくれる存在としての皇室の存在意義を説いている。
高島は本書の刊行の2年後には品川弥二郎、加藤弘之ゆかりの独逸協会学校教授に。したがって本書は児玉昌が「高島先生教育報国60年(381-382頁)」において指摘した独協中学時代の倫理の教科書として使われたもの(その教授資料)に違いなかろ。
「大村は教師陣を充実した。地理・守屋荒美雄、国語・芳賀矢一・志田義秀・林敏介、歴史・津田左右吉、音楽・大村恕三郎・東儀鉄笛・東儀俊竜、生物・丘浅次郎、獨逸語・三並良・高田善次郎・小笠原稔(獨協卒)・谷口秀太郎・武内大造・国吉直蔵、修身・山口小太郎(獨逸語)高島平三郎、理科校医・広瀬益三(獨協・東大卒)、美術・木元平太郎らであった。」
高島の教え子:児玉昌(名市大精神医学教室の初代教授)
この教科書の中身を読み本らしく膨らませ青年向け修養(=実践道徳の)書として書き直したのが『現代の傾向と心的革命』。井上哲次郎は『高島先生教育報国60年』において高島を常識をわきまえた人物だと評しているが、それは『現代の傾向と心的革命』の内容を捉えてのコメントとしても通用する様に思われる。
本書より高島の思想の一端に触れてもらいたい。高島は開明的で、バランス感覚に富み、中庸をわきまえた思想家でもあったことがよくわかるだろ。ただ、徳富蘇峯ほどのスケール大きさは高島にはなかった。
修身というのは私的には教育勅語に直結する過去の遺物にすぎないのだが、高島理解のために後日これらのテキストを精読してみようと思う。
表表紙の家紋は「丸に剣・かたばみ」。我が家と同じ代物だが・・・高島家のもの?
独協中学時代に執筆した修身の教科書。
高島にとって心理学のほか明治~昭和初期における倫理道徳=修養は重要な専門分野であった。その繋がりで後年(社会革命ではなく)「心的革命」の必要性を説く。高島と西川光二郎との接点もこの部分であっただろ。
高島が、たとえば大阪の日蓮宗の信者に対して行った講演会の速記本が公刊されている。高島が講演会で行ったことは日蓮の教えや行動を例示しながら、かつて編纂した中等学校修身のテキストの中身にそった修養の講義そのものだった。その中身は現代社会にも通じる一本筋の通った講話だった。高島は明治~昭和にかけて時代状況に合わせた講話を全国各地で行ったが、その内容は時代を超えた普遍的な真理を内包するものが多い。その辺は洛陽堂から「暴風来」を出し天皇神聖説を思いっきりぶち自滅した上杉慎吉(東京帝大)あたりとはかなり異なる。
高島執筆の修身(実践道徳)の教科書とその教授資料
弱小国家は西洋列強によって必ず侵略され、崩壊させられる。そういう世界情勢の中におかれた日本に求心力を与えてくれる存在としての皇室の存在意義を説いている。
高島は本書の刊行の2年後には品川弥二郎、加藤弘之ゆかりの独逸協会学校教授に。したがって本書は児玉昌が「高島先生教育報国60年(381-382頁)」において指摘した独協中学時代の倫理の教科書として使われたもの(その教授資料)に違いなかろ。
「大村は教師陣を充実した。地理・守屋荒美雄、国語・芳賀矢一・志田義秀・林敏介、歴史・津田左右吉、音楽・大村恕三郎・東儀鉄笛・東儀俊竜、生物・丘浅次郎、獨逸語・三並良・高田善次郎・小笠原稔(獨協卒)・谷口秀太郎・武内大造・国吉直蔵、修身・山口小太郎(獨逸語)高島平三郎、理科校医・広瀬益三(獨協・東大卒)、美術・木元平太郎らであった。」
高島の教え子:児玉昌(名市大精神医学教室の初代教授)
この教科書の中身を読み本らしく膨らませ青年向け修養(=実践道徳の)書として書き直したのが『現代の傾向と心的革命』。井上哲次郎は『高島先生教育報国60年』において高島を常識をわきまえた人物だと評しているが、それは『現代の傾向と心的革命』の内容を捉えてのコメントとしても通用する様に思われる。
本書より高島の思想の一端に触れてもらいたい。高島は開明的で、バランス感覚に富み、中庸をわきまえた思想家でもあったことがよくわかるだろ。ただ、徳富蘇峯ほどのスケール大きさは高島にはなかった。
修身というのは私的には教育勅語に直結する過去の遺物にすぎないのだが、高島理解のために後日これらのテキストを精読してみようと思う。
表表紙の家紋は「丸に剣・かたばみ」。我が家と同じ代物だが・・・高島家のもの?