一ヶ月近くの長岡の人形展。新潟、直江津駅に車を置いて、汽車で一時間。
本でも読んでいるとあっという間に着いてしまうありがたい距離だ。
今まで、47箇所ほどの会場を廻ってきたが、今回ほど「やってきて良かった!」と思えた事は無い。
カウンセラーをしている吉田さんの熱烈なラブコールから実現したこの展示会であるが、気力、体力を用しても彼女らに何の見返りも無い。あるのは「たくさんの人の笑顔」に出逢う為だ。
平石さんを始め、皆仕事を持ちながら、今回の人形展を盛り上げてくれるウィル長岡の人たち。
二度目の17日。会場は図書館なので、朝から人が中に吸い込まれてくる。
二階の踊り場でしばし観察。次々に足は階段を登る。
男性も居る。子どももいる。おばさんも多い。いつもの光景だが、その中に一つの家族を見た。寝たきりのお母さんを連れて、お父さんが車を押す。娘がつばを飲み込めない母親のタンを取る。孫が傍らで寄り添う。
声をかけると、「筋萎縮症」の病気を併発し、声も出ないが動かす口元を娘は読み取り「うれしい」と私に告げる。
「寝たきりの自分の母」を見た思いだった。
しかし、私はそんな母をこういう場所に連れてこようとはしない。
でも、何のためらいも無く、その家族は言った。《好きなんです。母は出かけるのが》と。
たとえ寝たきりでも、頭ははっきりしている。感情がある。喜ぶ・・・のだ。一人で動けなくても、器材を離せなくても、家族の力でどうにでもなるのだ。
本当はやってやれ無い事は無いのに、見ようとしない自分がいた。
人に「近くにある大切なものを大事にしましょう・・・」なんて偉そうに言っているけれど、本当は一番それに気づいていないのは自分かもしれない。
そんな、身に沁みる出会いもあったり
今もって、仮設住宅に暮らす被災者の方々や生産物を何とか生かそうと日々前向きに取り組んでいる人たちとの交流会では、物作りの楽しさ等を語り合い、楽しい一時が流れた。
その日は目一杯の心の栄養をいただき、ホテルの二つ枕のベットに入る。
目をつむると、タンを取っていた娘さんの顔が浮かんだ。
「こんなに人形で泣けるなんて・・・」と
《母の手》の作品は貴方達なんだよ。
本でも読んでいるとあっという間に着いてしまうありがたい距離だ。
今まで、47箇所ほどの会場を廻ってきたが、今回ほど「やってきて良かった!」と思えた事は無い。
カウンセラーをしている吉田さんの熱烈なラブコールから実現したこの展示会であるが、気力、体力を用しても彼女らに何の見返りも無い。あるのは「たくさんの人の笑顔」に出逢う為だ。
平石さんを始め、皆仕事を持ちながら、今回の人形展を盛り上げてくれるウィル長岡の人たち。
二度目の17日。会場は図書館なので、朝から人が中に吸い込まれてくる。
二階の踊り場でしばし観察。次々に足は階段を登る。
男性も居る。子どももいる。おばさんも多い。いつもの光景だが、その中に一つの家族を見た。寝たきりのお母さんを連れて、お父さんが車を押す。娘がつばを飲み込めない母親のタンを取る。孫が傍らで寄り添う。
声をかけると、「筋萎縮症」の病気を併発し、声も出ないが動かす口元を娘は読み取り「うれしい」と私に告げる。
「寝たきりの自分の母」を見た思いだった。
しかし、私はそんな母をこういう場所に連れてこようとはしない。
でも、何のためらいも無く、その家族は言った。《好きなんです。母は出かけるのが》と。
たとえ寝たきりでも、頭ははっきりしている。感情がある。喜ぶ・・・のだ。一人で動けなくても、器材を離せなくても、家族の力でどうにでもなるのだ。
本当はやってやれ無い事は無いのに、見ようとしない自分がいた。
人に「近くにある大切なものを大事にしましょう・・・」なんて偉そうに言っているけれど、本当は一番それに気づいていないのは自分かもしれない。
そんな、身に沁みる出会いもあったり
今もって、仮設住宅に暮らす被災者の方々や生産物を何とか生かそうと日々前向きに取り組んでいる人たちとの交流会では、物作りの楽しさ等を語り合い、楽しい一時が流れた。
その日は目一杯の心の栄養をいただき、ホテルの二つ枕のベットに入る。
目をつむると、タンを取っていた娘さんの顔が浮かんだ。
「こんなに人形で泣けるなんて・・・」と
《母の手》の作品は貴方達なんだよ。