人間同士、話せば分かり合える。そうあれかしとは思うが、難しいだろう。少なくとも私は、スワヒリ語しか喋れない人と意思疎通が出来ない。語学の勉強を頑張れば何とかなるのかも知れないが、それでも生活の根幹を成す習慣とか食べ物とかの違い、そしてそこから派生する価値観の相違は簡単に乗り越えられるものではない。また極端に異なれば、それを前提として双方が歩み寄りを模索するものであるが、日本国内は同質だと思い込んでいたらとんでもない地雷を踏む事もある。福岡に「東京土産です」と銘菓ひよこを持ち込んだら戦争が勃発する、と云うのが分かり易い例であろう。国内でもそうなのだから国家や民族が異なれば、踏み込むべからざる領域を土足で闊歩していても気付かないリスクは、一気に跳ね上がる。それへの対策は謝罪の言葉ではなく、自身の常識の相対化しかない。ただそれを相手に強要出来るものでもなく、相互理解の壁は絶望的に分厚いのである。