昨日は非常に寒い一日であった。
身を刺すような冷たい風が吹きまくり、家の中にいる2匹の犬もすっかりしっぽを丸めて、人間のそばから離れない。古びた雨戸や物干し竿などをたたき、ものすごい音がする。
故郷盛岡の昭和37年1月23日はこれ以上に寒い日であった。
その日母は54才で脳卒中で亡くなった。そう、昨日は母の命日である。
「もう少し楽をさせたかった、暖かい家に住まわせてあげたかった」という気持ちがつきあげてきて、苦労の末早や死にした母を想った一日でした。
私の股関節の病気、将来を心配しながら、それを見届けることなく亡くなったのである。
身を刺すような冷たい風が吹きまくり、家の中にいる2匹の犬もすっかりしっぽを丸めて、人間のそばから離れない。古びた雨戸や物干し竿などをたたき、ものすごい音がする。
故郷盛岡の昭和37年1月23日はこれ以上に寒い日であった。
その日母は54才で脳卒中で亡くなった。そう、昨日は母の命日である。
「もう少し楽をさせたかった、暖かい家に住まわせてあげたかった」という気持ちがつきあげてきて、苦労の末早や死にした母を想った一日でした。
私の股関節の病気、将来を心配しながら、それを見届けることなく亡くなったのである。