人工股関節とともに

身体の中の異物という存在でありながら、末永く仲良くしたい人工股関節。前向きに生きよう。

手術のタイミング

2007-01-29 | 人工股関節
 ずーっとためらってきたが、今日初めて姉のことを語ろうと思う。
 私には姉が2人、弟が1人いる。

 姉は2人とも変形性股関節症である。
 私だけが先天性股関節脱臼だった。足が不自由なため子供時代から姉達には心配をかけたり、助けられたりもしてきた。
 姉達は30代過ぎてから少しづつ症状が出始め、今では私の術前の状態とまったく同じ。進行状態もかなり悪くそれでも人工置換はせずに、痛み止めを服用したり、接骨院に行っていた。

 特に一番上の姉は、先の私の人工股関節手術に対して、
「する・しない(手術)は哲学なのよね~」と言っていた。
 つまりこれからどういう生き方・生活をするか、そのためにどうしてもやった方がいいのかどうか? 本人の身体の状態と認識にかかっているように思う。だから横一列に並べて比較するものではないのだけれど。

 ところがその姉が年末に突然足が痛くなり、歩けなくなった。今まで経験した事もない痛みなそうで、もう迷うことなく手術を決意したのである。たとえ残りの人生が数年であっても人工にしたいという強い決意だ。
 私という前例があるための心強さもあったかも知れないが、それよりもまして足の状態が深刻で、連絡が来た時はもう直ぐにでも!という悲痛な状態であった。

 諸検査を終えてやっと入院日が2月8日、手術が14日という事に決定した。
手術を決意する動機やタイミングがよく話題になるが、今時点でのつらさや痛みの限界がこのように現実のものとして厳しいものであるならば、もうQOLの向上などとは言ってはいられない。

 私の場合は子供時代の手術経験やリハビリのつらさがトラウマになって、なかなか決意には至らなかった。かなり状態が悪くなっても3年くらいは迷ったり、途中でキャンセルしたりと往生際が悪いというのかなんというのか・・・。
 
 「哲学なのよね~」とのんきに言っていた姉が、このように短時間で決意したのだから、よっぽどの事だったのだと思う。
 それが我々の抱える股関節症の現実なのかも知れない。

 すぐ上の姉は、同じ病を持ちながらも、姉妹一番の元気もの・働きもので痛み止め薬を飲みながら周りの者達の面倒や世話をよく焼いている。
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♪寒い朝

2007-01-27 | 日々の生活
 久しぶりに楽譜入力ソフトで楽譜を作成する。
 少し沈んだ気分でいる時など、夢中になってこのような事をして気を紛らしている。
 出来上がった曲を聴きながら、懐かしい我が青春時代がオーバーラップする。
 吉永小百合さん、和田弘とマヒナスターズが歌う「寒い朝」。
 「北風吹き抜く~、寒い~、朝に~・・・」
 自分のホームページにアップした。

 いろいろな楽器がある中でやはりピアノの音が好き。
 自分はある国家試験を受けるために必死にピアノを練習した。
 就職をしてからも、必要にせまられ簡単な曲を弾く事もあった。

 しかしあれから○○年が経ち、もうピアノを弾くこともない。
 そのかわりパソコンに演奏させては喜んだりしている。
 専門家から言わせれば、邪道なのかも知れないけど。

研修会に参加

2007-01-26 | 障がい者関係
 市町村身体障害者福祉団体の役員研修会が「涸沼いこいの村」一泊で行われた。

  1.特別講演:「障がいとともに生きる」
  2.講  義:本県の障害者福祉施策について

 大変意味深い含蓄のある講演と、県職員による障害者自立支援法の概要と施行状況・対策・就労支援についてなど。
 まだまだ現実とのギャップがある中で、問題を整理しこれからの方向と課題について共に考えなければならない内容であった。。
 心をゆるめたりひきしめたり。
 いただいた資料をよく読み勉強していかないと!

 夜は各団体の方と交流。
 私の苦手な分野である。場慣れしていないのかも。
 部屋に入るとホッとする。
 朝になり、部屋の窓から見える涸沼が美しい。
 茨城県は沼が多い。
 特に霞ヶ浦と涸沼は日本地図ではポッカリと穴が開いたように見える。

ラーメン

2007-01-24 | 日々の生活
 寒い日はこれに限る。「ラーメン」

 夫に台所を占拠された。
 ラーメンを作っているようだ。
 私の分もおねだりして、麺半束分を作ってもらった。

 ちょっと味が濃かったかな?
 いえいえなにも言いますまい。
 ごちそうさま!
 

股関節痛

2007-01-22 | 人工股関節
 先日同じ病気の方数人とお話しする機会があった。
 両足人工置換・片足人工置換・自骨手術の方・数年前から痛み出し今もとても痛い、でもまだ手術はしていない、年齢的にまだ若いからためらっている方などなど。
 人間は顔が違うように股関節も、またその症状も個々によって違う。一人として同じ状態の人はいないと言っても過言ではない。

 いろいろお話しするうちに、どなたにも共通していた事は、耐え切れない痛みが伴う事、日常的に、ひどい時は就寝時にも痛い。これはまぎれもない事実である。
 痛み止めを服用しても、もうそれでも効き目がなくなる。
 それは大変過酷な状態である。
 限界に来たときにやっと人は手術を決心するに至る。

 こういう私も先天性股脱だから、子供のときからイタイ・イタイで過ごしてきた。自分の事だから、「痛いよ~」と布団の中で泣けば済む。しかしもし自分の子供がそんな状態だったら、私はどうしたろう。

 母親はこんな私の様子を見てきっとひどく心を痛めたに違いない。「なんとか治療を」と奔走した結果が中2の手術だったわけだ。
 手術したとて解決にはならない。
 進学は?就職は?結婚は?と心配の種は尽きなかったろう。
 それらを見届けることなく、今の私より若い年齢で母は逝った。
 明日は母親の命日である。

 今の自分は未術足が痛いこともあるけど、まだ限界というまでには至っていない。
 「だから大丈夫! 進学も就職も結婚も、ひととおりちゃんとやったから」
 「図々しく、開き直って、あちこち駆け回っているから。安心して!」