ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

田舎暮らし断想~農的暮らし(3)

2011年01月29日 09時24分55秒 | 田舎暮らし

野菜作りに正解は無い。
環境や気候によってみな違う。
売るための野菜作り、自給のための野菜作り、年齢に応じた野菜作り、大きな畑、小さな畑・・・やり方は当然違ってくる。
ところがほとんどの野菜作りの本は売るための野菜作りの立場で書かれている。
それを読むと家庭菜園の人も自給自足派もそれが正解だと思い込む。
でもその前に考えてほしい。
何のための野菜作りをしているのか?
どんな野菜を作りたいのか?
こう聞くと今まで野菜作りに対して得意げにしゃべっていた人も一瞬黙ってしまう。
そしてしばらくしていう「立派な野菜を作りたい」と。
では立派な野菜とはどんな野菜?
それは本当は人によって、その立場によってみな違うだろう。
野菜を販売している人は高く売れる野菜が立派な野菜だろう。
では家庭菜園の人は?自給自足派は?
それはきっと美味しくて安全な野菜が立派な野菜だろう。
あるいは人に自慢できる野菜が立派な野菜だと思う人もいるかもしれない。

売るための野菜作りをしている人は大きくて形のいい規格に合った虫食いの無い野菜を立派な野菜だと思うだろう。
そう、野菜の品評会で賞をとるような野菜を立派な野菜だと思うだろう。
ところがほとんどの品評会では不思議なことに、味見しないで見かけだけで決まる。
どうして見ただけでわかるのだろうか?
野菜は食品であって美術品ではない。
一番大切なことは美味いかどうかではないか。
でも消費者はほとんどの場合味見して買うのではなく見かけで買う。
同じ値段なら小さいものよりも大きいものを買う。
というわけでほとんどの生産者は大きくて見栄えのいい野菜を作ろうとする。
野菜作りの本もまた大きくて見栄えのいい野菜の作り方を書く。
そしてそれを読んだ家庭菜園の人も自給自足派もそれが正解だと思い込む。
でも野菜って何?
美術品ではなく食品なんだよ。
コメント (1)
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