ここから車でちょっと行ったところに、ゆう風舎(http://yufusya.com/about)という絵本喫茶がある。
知る人は知っている、知らない人は知らないという、(当たり前か・・・)、程度のそれはそれなりに有名なとっても感じのいい喫茶店。
ここでたまたま読んだ「木を植えた男」っていう絵本。
一人の人が廃村間近の荒れ果てた村に木を植え始めた。
誰にも頼まれたわけでもなく、何年も何年も植え続けた。
すると次第にみどりがよみがえるとともに、鳥たちが戻って来た、動物たちがやってきた。
そして人が戻ってきた。
・・・というお話。
もうずいぶん前に読んだのだけどとても心に残っている。
村興し、町興し・・・というとみな考えるのは補助金やボランティアの無償奉仕でイベントをして、人を呼び込む。
でもそこにはとても無理がある。
人の金を当てにする、人の無償奉仕を当てにする・・・
そんなことがいつまでも続けられるはずがない。
かといって村おこししよう!町興ししよう!と意気込んでも空回りするばかり。
やっぱりなんか無理がある。
そうじゃなくって、みんなが自分の好きなことをやる。
木を植えた男はきっと木を植えるのが好きなだけだったのだろう。
そしてその結果村興し、町興しができたら・・・それが一番いいのではないだろうか?
ひとの金を当てにすること、人の無償奉仕を当てにすること、
それはとっても卑しい恥ずかしいこと。
まず自分で出来ることを、自分がやりたいことをするのがすることが、
本当の村興し、町興しになるのではないか。
日本の里山の9割はつぶれていいと思っている。
昔の人が一生懸命に作り上げた里山、棚田や段々畑を見るとその苦労はよくわかる。
そんな里山がつぶれていくのを見るのは忍びない。
・・・と言う気持ちもよくわかる。
でもそれは当時それだけの必要性があったからできたこと。
里山とはとっても人工的な自然。
絶えず人が手を入れないと続けていくことが出来ない自然。
そんな里山が必要がなくなったら、自然にお返ししたらいい。
本当の自然と里山の自然とどちらがいい?
里山を守れ!と言う人に言いたい。
本当の自然と里山の自然とどちらがいい?
里山の自然がいいと思うなら、白神山地の屋久島の自然を潰して里山に変えてしまえばいい。
でも誰もそんなことには賛成しないだろう。
日本の里山の9割はつぶれていいと思っている。
そして自分たちの力だけで再生できた里山だけ生き残ったらいいと思う。
知る人は知っている、知らない人は知らないという、(当たり前か・・・)、程度のそれはそれなりに有名なとっても感じのいい喫茶店。
ここでたまたま読んだ「木を植えた男」っていう絵本。
一人の人が廃村間近の荒れ果てた村に木を植え始めた。
誰にも頼まれたわけでもなく、何年も何年も植え続けた。
すると次第にみどりがよみがえるとともに、鳥たちが戻って来た、動物たちがやってきた。
そして人が戻ってきた。
・・・というお話。
もうずいぶん前に読んだのだけどとても心に残っている。
村興し、町興し・・・というとみな考えるのは補助金やボランティアの無償奉仕でイベントをして、人を呼び込む。
でもそこにはとても無理がある。
人の金を当てにする、人の無償奉仕を当てにする・・・
そんなことがいつまでも続けられるはずがない。
かといって村おこししよう!町興ししよう!と意気込んでも空回りするばかり。
やっぱりなんか無理がある。
そうじゃなくって、みんなが自分の好きなことをやる。
木を植えた男はきっと木を植えるのが好きなだけだったのだろう。
そしてその結果村興し、町興しができたら・・・それが一番いいのではないだろうか?
ひとの金を当てにすること、人の無償奉仕を当てにすること、
それはとっても卑しい恥ずかしいこと。
まず自分で出来ることを、自分がやりたいことをするのがすることが、
本当の村興し、町興しになるのではないか。
日本の里山の9割はつぶれていいと思っている。
昔の人が一生懸命に作り上げた里山、棚田や段々畑を見るとその苦労はよくわかる。
そんな里山がつぶれていくのを見るのは忍びない。
・・・と言う気持ちもよくわかる。
でもそれは当時それだけの必要性があったからできたこと。
里山とはとっても人工的な自然。
絶えず人が手を入れないと続けていくことが出来ない自然。
そんな里山が必要がなくなったら、自然にお返ししたらいい。
本当の自然と里山の自然とどちらがいい?
里山を守れ!と言う人に言いたい。
本当の自然と里山の自然とどちらがいい?
里山の自然がいいと思うなら、白神山地の屋久島の自然を潰して里山に変えてしまえばいい。
でも誰もそんなことには賛成しないだろう。
日本の里山の9割はつぶれていいと思っている。
そして自分たちの力だけで再生できた里山だけ生き残ったらいいと思う。