今まで国が勧めてきた営農組合などの農業の大規模化。
強い農業を作ろうと言うことに必ずしも反対ではない。
日本の農業はもっと強くならないといけない。
農業の合理化は土地の広さに大きく左右される。
そのためには農家の作付け面積をもっと増やさないといけない。
フランスは日本の10倍、アメリカは日本の100倍。
これでは日本の農業はこれらの国に太刀打ちできない。
そこでもっと大規模化しよう・・・と言うのもわからないではない。
このことを別の視点で見ると、フランスの田舎は日本の10倍過疎、アメリカの田舎は日本の100倍過疎。
日本の田舎は人が多すぎるのだ。
日本の田舎は、とりわけ非生産的な中山間地はその9割はつぶれてもかまわない。
補助金など出す必要はない。
自分たちの力で活性化して生き残る、そんな里山だけ生き残ったらいい。
昔の人が、重機もない時代に、長い時間と労力をかけて石を積み上げ棚田や段々畑を作った。
それが今失われようとしている。
・・・たしかにそれは忍びない。何とか守りたい。
その気持ちはよくわかる。
けど・・・
当時はそんな必要性があったからこそできたこと。
でも今では補助金やボランティアの人たちの無償奉仕でしか維持できない里山を、
どうして維持しないといけない?
里山は絶えず人が手を加えないと維持できない人工的な自然。
それを維持できなくなったら、自然にお返ししたらいいじゃないか。
「里山を守れ!」なんていってる人に言いたい。
里山の自然と本当の自然とどっちがいい?
里山の自然の方がいいと思ったら、屋久島や白神山地や知床の自然を潰してみんな里山にしたらいい。
でもだれもそんなことに賛成はしないだろう。
今ちょっぴり関わっている、隣の町の目高集落。
ここはなんかほっとする美しい山里。
ここが今つぶれようとしている。
かって150人くらいいた人たちも今では4人。
平均年齢も80を超えているという超限界集落。
今なんとか維持はしているものの、耕作放棄地が目立つ。
ここをなんとか再生しようとして「めだか村の会」が出来それに参加しているけど、
住んでる人は誰も参加していない。
ここに住みたいと思う人は売らない貸さない・・・
というわけでみんな引いていく。
そしていつも冷ややかに視線を感じる。
「よそ者が勝手なことするな」という話さえ出た。
きっと失敗したら「それ見たことか!」と言うことだろう。
そしてごく近い将来廃村になり、資産価値がゼロになり、墓参りも出来なくなり、それにもかかわらず固定資産税をず~っと払い続けなくてはならない状態になるだろう。
無駄なのだ、むなしいのだ。
砂漠にジョロで水を撒くように・・・
里山に税金を撒き散らす・・・
無駄なのだ、むなしいのだ。
日本の里山の9割はつぶれていいと思っている。
そして自分たちの力だけでやっていこうと思っている里山だけ生き残ったらいいと思っている。
こう考えると農業の大規模化政策に予算を使う一方で里山の保護に補助金を出すのはおかしな話だ。