今回の目的は「歴史博物館」と「民俗資料館」と「海洋科学館」と「美術工芸館・田淵記念館」を見ること。
みんな無料で見れるので、行かなければ損だとばかりわざわざ見に行ったのだった。
なんせ「無料」という言葉に弱い人間。
ただ、「得した!」感を味わいためだけに行ったのだった。
まず行ったのは城のそばの歴史博物館。
ここについたのは10時半ころ。
駐車場、空いているかなぁ~なんて心配だったけど、祝日なのにがら空き。
赤穂の観光地では駐車場の心配はまったくしなくていいらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d6/b488be9dcbd17541beeb43f5bb077b70.jpg)
歴史博物館は外観は昔の蔵だけど中は近代的というちょっとユニークな建物。
(手前の真新しい石垣は赤穂城の石垣。赤穂城はこんな宅地造成地のような石垣に囲まれている)
展示品は古代の発掘品、銅鐸やその鋳型など目を引くものはあるけど、メーンはやっぱり塩と赤穂浪士。
もしあの赤穂の事件がなかったらあとは塩だけ。
観光地ではなくありきたりのそんじょそこらの地味~な地方都市だっただろう。
そう、あの事件、一人の老人を47人が逆恨みして殺したあの事件がなかったら、
赤穂は単に地味~な地方都市だっただろう。
でも、もし今あんな事件が起きたなら新聞もテレビも一斉に報道するだろう。
「無抵抗の老人を集団で殺す逆恨みの犯行」
あの松の廊下では吉良上野介は逃げただけだった、
それを追いかけ浅野内匠頭は切りつけた。
喧嘩両成敗というけどこれは喧嘩じゃない。
吉良上野介は刀を抜いてない。
ただ逃げただけだ。
とすると吉良上野介は一方的な被害者、
浅野内匠頭は一方的な加害者。
それまでに浅野は吉良からさんざんいじわるされた・・・かもしれない。
しかし、いじわるされたからといって刀で切りつける、これは異常だ。
すべて浅野内匠頭の短気で起きたこと。
今の感覚では、マスコミの感覚では、大いにこの暴挙をたたいて視聴率を上げたいところ。
それは江戸時代でも同じ。
結局47人は死刑になった。
これが公の立場、新聞の立場。
しかし、浅野内匠頭、即日切腹。
これは間違っている。
もっと時間をかけて原因を調べるべきだった。
すると吉良への処置も変わり赤穂事件も置きなかっただろう。
これまた将軍綱吉の短気で起きたこと。
この事件を当時の人はどう考えていたのだろうか?
元禄お畳奉行の作者は赤穂浪士が切腹になったことに、あれだけ世間を騒がせたのだから当然だと書いている。
これが当時の常識的な感想だったのかもしれない。
ところがその後当時のマスコミは大いにこの事件をあおり、当時のテレビ芝居小屋はおおいに儲けた。
そしてそれがずっと続いている。
そんなことを考えながら展示品をざっと見て回った。
昔だったら説明のパネルをみんな読んだのに、
それもとっても面倒で、パネルはちらっと早読み。
映像の説明だけで済ませた。
さて次は民俗資料館。
車で行こうと思ったけど、駐車場も狭そうだったし、近そうだったし、城の周りを写真に撮ろうかなぁ~と思ったし、
それで歩いて行っくことにした。
途中大石神社に迷い込んだ。
前回来た時、もう2度とこんな所に来るか!
と思っていたけど、迷い込んで来てしまった。
来てしまったら・・・やっぱり笑う。
前来たのはもう10年くらい前だろうか?
でも今でもすべてが新しい!
神社も浪士の像たちも。
そして大石神社には来なかったことにして民俗資料館まで歩いたけどこれが意外と遠い。
車できたらよかったなぁ~と何度も後悔しながら、やっとなんとかたどり着いた。
みんな無料で見れるので、行かなければ損だとばかりわざわざ見に行ったのだった。
なんせ「無料」という言葉に弱い人間。
ただ、「得した!」感を味わいためだけに行ったのだった。
まず行ったのは城のそばの歴史博物館。
ここについたのは10時半ころ。
駐車場、空いているかなぁ~なんて心配だったけど、祝日なのにがら空き。
赤穂の観光地では駐車場の心配はまったくしなくていいらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d6/b488be9dcbd17541beeb43f5bb077b70.jpg)
歴史博物館は外観は昔の蔵だけど中は近代的というちょっとユニークな建物。
(手前の真新しい石垣は赤穂城の石垣。赤穂城はこんな宅地造成地のような石垣に囲まれている)
展示品は古代の発掘品、銅鐸やその鋳型など目を引くものはあるけど、メーンはやっぱり塩と赤穂浪士。
もしあの赤穂の事件がなかったらあとは塩だけ。
観光地ではなくありきたりのそんじょそこらの地味~な地方都市だっただろう。
そう、あの事件、一人の老人を47人が逆恨みして殺したあの事件がなかったら、
赤穂は単に地味~な地方都市だっただろう。
でも、もし今あんな事件が起きたなら新聞もテレビも一斉に報道するだろう。
「無抵抗の老人を集団で殺す逆恨みの犯行」
あの松の廊下では吉良上野介は逃げただけだった、
それを追いかけ浅野内匠頭は切りつけた。
喧嘩両成敗というけどこれは喧嘩じゃない。
吉良上野介は刀を抜いてない。
ただ逃げただけだ。
とすると吉良上野介は一方的な被害者、
浅野内匠頭は一方的な加害者。
それまでに浅野は吉良からさんざんいじわるされた・・・かもしれない。
しかし、いじわるされたからといって刀で切りつける、これは異常だ。
すべて浅野内匠頭の短気で起きたこと。
今の感覚では、マスコミの感覚では、大いにこの暴挙をたたいて視聴率を上げたいところ。
それは江戸時代でも同じ。
結局47人は死刑になった。
これが公の立場、新聞の立場。
しかし、浅野内匠頭、即日切腹。
これは間違っている。
もっと時間をかけて原因を調べるべきだった。
すると吉良への処置も変わり赤穂事件も置きなかっただろう。
これまた将軍綱吉の短気で起きたこと。
この事件を当時の人はどう考えていたのだろうか?
元禄お畳奉行の作者は赤穂浪士が切腹になったことに、あれだけ世間を騒がせたのだから当然だと書いている。
これが当時の常識的な感想だったのかもしれない。
ところがその後当時のマスコミは大いにこの事件をあおり、当時のテレビ芝居小屋はおおいに儲けた。
そしてそれがずっと続いている。
そんなことを考えながら展示品をざっと見て回った。
昔だったら説明のパネルをみんな読んだのに、
それもとっても面倒で、パネルはちらっと早読み。
映像の説明だけで済ませた。
さて次は民俗資料館。
車で行こうと思ったけど、駐車場も狭そうだったし、近そうだったし、城の周りを写真に撮ろうかなぁ~と思ったし、
それで歩いて行っくことにした。
途中大石神社に迷い込んだ。
前回来た時、もう2度とこんな所に来るか!
と思っていたけど、迷い込んで来てしまった。
来てしまったら・・・やっぱり笑う。
前来たのはもう10年くらい前だろうか?
でも今でもすべてが新しい!
神社も浪士の像たちも。
そして大石神社には来なかったことにして民俗資料館まで歩いたけどこれが意外と遠い。
車できたらよかったなぁ~と何度も後悔しながら、やっとなんとかたどり着いた。