能というとやっぱり都会。
東京、そして大阪にもりっぱな能楽堂がある。
ところでこの前の市民大学講座の講師・福王流ワキ方・江崎欣次朗さんは同じこの市に在住の人。
ん?どうして??
ここには能楽堂なんてしゃれたものはない。
隣の姫路でも聞いたことない。
まあ、毎年姫路城で薪能を開催してはいるのだけど・・・
で、調べてみたら実は姫路には能の文化があった。
福王流というのは関西を中心に活動している流派、そのうちの一つが姫路。
~維新後、1898年に十四世福王繁十郎盛哲が没して宗家が一時中絶するものの、遺弟の野島信(東京)、中村弥三郎(大阪)、江崎金次郎(姫路)らが芸系を守った~とある。
これで納得。
この播磨にも能の文化があったということに。
ところでなかなか納得できないのがシテ方、ワキ方、狂言方、そして囃子。
囃子も笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方・・・みんな分業されている。
今の演劇だったら演技がうまくなったら脇役から主役に抜擢されるだろう。
オーケストラの打楽器奏者だったら小鼓・大鼓・太鼓、みなたたけるだろう。
ところがいくら演技がうまくなってもワキ方に生まれついたら一生脇役をしなければいけない。
小鼓をたたく家に生まれついたら一生大鼓をたたくことはできない。
これってとっても変じゃない?
そもそも家元という制度そのものがおかしいんじゃない?
文楽には家元なんてないよ。
そこは実力主義の世界だよ。
それが普通なんじゃない?
と、どうしても思ってしまう。
・・・う~む、いかん!
またしても焼酎が、芋焼酎がきいてきた。
というわけで続きは明日ですよ~~~!
うぃぃ~~~!!
東京、そして大阪にもりっぱな能楽堂がある。
ところでこの前の市民大学講座の講師・福王流ワキ方・江崎欣次朗さんは同じこの市に在住の人。
ん?どうして??
ここには能楽堂なんてしゃれたものはない。
隣の姫路でも聞いたことない。
まあ、毎年姫路城で薪能を開催してはいるのだけど・・・
で、調べてみたら実は姫路には能の文化があった。
福王流というのは関西を中心に活動している流派、そのうちの一つが姫路。
~維新後、1898年に十四世福王繁十郎盛哲が没して宗家が一時中絶するものの、遺弟の野島信(東京)、中村弥三郎(大阪)、江崎金次郎(姫路)らが芸系を守った~とある。
これで納得。
この播磨にも能の文化があったということに。
ところでなかなか納得できないのがシテ方、ワキ方、狂言方、そして囃子。
囃子も笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方・・・みんな分業されている。
今の演劇だったら演技がうまくなったら脇役から主役に抜擢されるだろう。
オーケストラの打楽器奏者だったら小鼓・大鼓・太鼓、みなたたけるだろう。
ところがいくら演技がうまくなってもワキ方に生まれついたら一生脇役をしなければいけない。
小鼓をたたく家に生まれついたら一生大鼓をたたくことはできない。
これってとっても変じゃない?
そもそも家元という制度そのものがおかしいんじゃない?
文楽には家元なんてないよ。
そこは実力主義の世界だよ。
それが普通なんじゃない?
と、どうしても思ってしまう。
・・・う~む、いかん!
またしても焼酎が、芋焼酎がきいてきた。
というわけで続きは明日ですよ~~~!
うぃぃ~~~!!