ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

初マスク

2018年02月26日 17時19分42秒 | 田舎暮らし
マスクをした。
といってもインフルエンザに罹ったわけではない。
今日はもやもやとした温暖ないかにも花粉が好きそうな天気だったので、
一応花粉に敬意を表して、無視するのもなんか悪いような気がして、
マスクをしたのだった。
といってもまだ花粉がそんなに飛び回ってるわけではない。
マスクを試してみたかっただけなのだ。

ここは周りの山は杉だらけだ。
我が家に庭にも杉がある。
風の強い日には山々から一面煙のように花粉が立ち込める。
こうなるともう笑うよりほかない。
でも不思議なことに都会に住んでた時よりも花粉症の症状はずっと軽くなった。
このことからも花粉症は花粉だけが原因でないことは明らかだけど、
いつも花粉だけが悪者にされる。
戦後の植林で杉やヒノキを植えすぎて自然界のバランスが狂ったんだろうね。
今、山では杉やヒノキが間伐や枝落としなどされないでほったらかしになっている。
たまに伐採されてもそのあと植林されることはない。
家を建てるのに何十年も大切に育ててきた木を伐ってきて使っても、買ってきた木を使っても値段は変わらないという。
これでは植林する気には誰もならないだろう。
しかしそのおかげで杉やヒノキ林がそのうち雑木林に、本来の自然の森に代わっていき、花粉症も減るだろう。
ただ時を待てばいい。


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再読

2018年02月26日 02時21分44秒 | 本の中から
中断しつつもアリストファネスをみな再読した。
日頃再読しない人間。
読みたい本はたくさんあるので、なかなか再読までは目が回らない。
でも再読すると最初に読んだ頃のことが蘇り懐かしいし、あの頃とは全く違った読後感を覚えるのが面白い。
アリストファネスを読んだのか高校時代、すっかり夢中になった。
でも今読み直すと、あの自由奔放な想像力は今でも面白いと思いながらも注釈なしでは面白さが伝わってこないのがなんとも煩わしい。
もともと喜劇はその時代に左右される。
時代に言葉に観客のレベルに制約されるためにその時代のことがわからないと面白さが伝わらない。
もちろんモリエールの作品のような、とりわけ「人間嫌い」のような時代を超えた作品は注釈なしで楽しむことができる。
これこそ本当の喜劇だと思うけどこんな作品はまれだ。
そこがしばしば悲劇の方が喜劇よりも上だと思われるところだけど、でもそんなことはない。
なんせ喜劇大好き人間なのだから。

でもあらためてアリストファネスを読むと、とりわけ鳥や蛙みたいな作品を読むとやっぱりアリストファネスはいいね!と思う。
でも騎士みたいな作品は評価しない。
これは当時の権力者クレオンの悪口を言ってるだけ。
クレオンは主戦論者で平和主義者のアリストファネスにはなんとも我慢できなかっただろうし、
ペロポネソス戦争で敗れてアテネを滅亡させた原因を作った人間。
主戦論は俗耳には入りやすい。
アリストファネスの気持ちはわかるけど時代を離れて喜劇として読むとやっぱり単に悪口を言ってるだけだとしか思えない。
でもこの作品が、1等をとった。
いつの時代でも権力者の悪口をいうと一般の人には受けるものだ。
しかしこのような作品が上演されて台本が残っているということに、古代アテネの言論の自由ってすごいなと思う。
この騎士の上演に役者はクレオンの仮面をかぶることを怖がり、しかたなくアリストファネス自身がこの仮面をかぶって上演したという。
アリストファネスはこのこともありいろいろ迫害を受けたらしいことは他の喜劇のはしはしに台詞として残っている。
にもかかわらずそれもすべて台本として残っていることに、あらためて古代アテネの言論の自由ってすごいなと思う。

ところで、こんなことじゃない、再読の話。
もともと再読しない人間。
でも再読したい本はたくさんある。
とりわけ読みたいのは、
ショーペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ(哲学小品集)とモンテーニュのエセー
哲学小品集は渋い作品で晩年に読み返すときっとその渋さに味を感じるだろうなと思っていた。
エセーは膨大な作品でこれまた晩年に読むとじっくりした味わいを感じるだろうなと思っていた。
どちらも完読することができるかどうか・・・多分無理だろうけど、そのうち読み返そうと思っている。

ともあれこれから、古典という船に乗り酒瓶を片手に心の旅を楽しもうと思っている。
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