ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

神と神々と

2018年02月22日 19時02分59秒 | 雑感
ソクラテスはコンピュータのフローチャートいたいな考えをする人で、
徳のある人は・・・
徳のない人は・・・
と仕分けする。
イエスかノーかで議論を進めていく。
こんな感じで議論を進めたられると普通の人は勝ち目はない。
でもそれでもなんか違うなぁ~と思ってしまう。
他人に対してはとっても徳があるけど、ひとたび自分の利益が絡むとすっかり徳をなくしてしまう。
そんな人間いっぱいいるのになぁ~、とついつい思ってしまう。

自然の中には純粋な白とか純粋な黒とかは存在しない。
自然にあるの灰色だけ。
限りなく黒に近いグレーとか、
限りなく白に近いグレーとか。
それを無理やり白か黒に仕分けする。
そこにとっても不自然なものを感じる。

この西洋の二元論的な発想はキリスト教・ユダヤ教・イスラム教などの有神論の影響だろうか?
神と人、そこにはそこにははっきりとした線が引かれている。
人が神になることはできない。
でも仏教では違う。
仏教徒の目的は神になること、成仏することだ。
仏教では神(仏)は有神論と違ってとっても近い存在なのだ。

そこで西洋の二元論的な発想、イエスかノーかという発想は有神論・キリスト教に由来するものかと思ったけどそうでもないようだ。
だって古代ギリシャは多神教。
にもかかわらず、フローチャート的な二進法的な発想をする。
これは西洋人の特性なのだろうか?

ソクラテスは自らの裁判で人を説得することはできたけど納得させることはできなかった。
そして死刑になった。

人にすぐにレッテルを張る人間。
福島瑞穂流な人間、
あるいは朝日・毎日的な発想をする人間。
あるいは進歩的文化人的な人間。
それだけで何か胡散臭い臭いを感じてならないのだ。
人はみな違うんだよ。
コメント
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