今でも中断しつつも古代ギリシャの本の旅を続けている。
今読んでるるのはルクレティウスの「事物の本性について」
ルクレティウスは古代ローマの人だけど、この長編詩では古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想を詩に綴っている。
エピクロスというと「快楽主義」と誰でも思っているだろうけどまったくそれは誤解。
「快楽主義」ではなく「現実主義」
エピクロスの思想、当時はとっても斬新だっただろうけど、今では当たり前だとしか思えない。
ものごとのすべては原子「アトム」でできている。
霊魂、感情もアトムでできている。
それで死後の世界は霊魂なるものも存在しない。
という当時は斬新的だったかもしれないけど、今では当たりまえの考え方としか思えない。
だから読んでてとっても退屈だ。
ルクレティウスは生涯でこの作品しか残していない。
それでいて、この作品が「世界古典文学全集」に名を残すほどの作品を作った。
たった1作で、今でいえばノーベル文学賞並みの作品作った。
これは詩の評価以外にエピクロスの作品がほとんど残っていない、
わずかに手紙が確か2通だけ、あとは断片だけ。
エピクロスは生涯300冊の本を書いたといわれる。
でも残されたまともな思想を伝える本はこのルクレティウスの詩だけ。
でも幸いにもこの膨大な詩で今エピクロスの哲学の全容をとらえることが出きる。
その範囲はというと・・・
とっても広大、この世のすべてにわたっている。
物質と空間・・・すべてアトム(原子)からなる。
時間自信で独立に存在するものではない。
宇宙は無限で宇宙の中心はない。
時間は不定、アトムはその進路をそらす。
空虚の中ではアトムの速度は同じ重さだけでは衝突は生まれない。
アトムはすべて運動しているが全体として停止している。
「事物の本性について」・・・とっても退屈だった。
宇宙には世界が多数存在する。
自然は神々とは関係ない。
体と魂とは分離できない。
死ねば魂もまた死ぬ。
死ねば物への渇望もまた消える。
神々は人間のために世界を作ったわけじゃない。
世界は死すべきものである。
さらには天体・宇宙~太陽や星や月のこと、
生物のこと、人類の歴史。
気象や地質。
恋愛、感覚、視聴覚・・・
・・・このようにあらゆる分野で詩という形で議論を展開していく。
きっと原文のラテン語ではとっても素晴らしい詩なのだろう。
エピクロスの哲学を詩という形で紹介しただけなのに、世界文学全集に乗せられるだけの作品を現したのだから。
でも翻訳を通して読むと少しもその魅了を感じない。
そのエピクロスの哲学も当時はとっても斬新だったのだろうけど、今では当たり前、退屈でしかない。
これは詩の宿命なのだろう。
ハイネはあれほど素晴らしい詩を残しているのに、翻訳で読むとまったくがっかりさせられる。
でもハイネの場合はシューベルトやシューマン、とりわけシューマンの歌曲によってその美しさを感じることができる。
でも他の詩人の詩はどうだろうか?
芭蕉の句を英訳したものを直訳した詩を読んだら、それは芭蕉とはまったく違った別の詩でがっかりさせられ。
これは詩の宿命かもしれない。
ともあれ生涯300冊も書いたのに今では他人の現したこの作品1作しか残されていない。
これは悲しいことだけど、ターレスとかヘラクレイトスとか断片しか残っていない人に比べるとまだ幸せかもしれない。
あの膨大な著作を書いたアリストテレス。
それでも今では4分の1しか残ってないという。
それに比べるとほぼ全作が残っているプラトンやクセノフォンは、
失われた作品はあるけど大部分は残っている、3大悲劇詩人・アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、そして喜劇詩人アリストファネスは幸せだったというべきだろう。
今読んでるるのはルクレティウスの「事物の本性について」
ルクレティウスは古代ローマの人だけど、この長編詩では古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想を詩に綴っている。
エピクロスというと「快楽主義」と誰でも思っているだろうけどまったくそれは誤解。
「快楽主義」ではなく「現実主義」
エピクロスの思想、当時はとっても斬新だっただろうけど、今では当たり前だとしか思えない。
ものごとのすべては原子「アトム」でできている。
霊魂、感情もアトムでできている。
それで死後の世界は霊魂なるものも存在しない。
という当時は斬新的だったかもしれないけど、今では当たりまえの考え方としか思えない。
だから読んでてとっても退屈だ。
ルクレティウスは生涯でこの作品しか残していない。
それでいて、この作品が「世界古典文学全集」に名を残すほどの作品を作った。
たった1作で、今でいえばノーベル文学賞並みの作品作った。
これは詩の評価以外にエピクロスの作品がほとんど残っていない、
わずかに手紙が確か2通だけ、あとは断片だけ。
エピクロスは生涯300冊の本を書いたといわれる。
でも残されたまともな思想を伝える本はこのルクレティウスの詩だけ。
でも幸いにもこの膨大な詩で今エピクロスの哲学の全容をとらえることが出きる。
その範囲はというと・・・
とっても広大、この世のすべてにわたっている。
物質と空間・・・すべてアトム(原子)からなる。
時間自信で独立に存在するものではない。
宇宙は無限で宇宙の中心はない。
時間は不定、アトムはその進路をそらす。
空虚の中ではアトムの速度は同じ重さだけでは衝突は生まれない。
アトムはすべて運動しているが全体として停止している。
「事物の本性について」・・・とっても退屈だった。
宇宙には世界が多数存在する。
自然は神々とは関係ない。
体と魂とは分離できない。
死ねば魂もまた死ぬ。
死ねば物への渇望もまた消える。
神々は人間のために世界を作ったわけじゃない。
世界は死すべきものである。
さらには天体・宇宙~太陽や星や月のこと、
生物のこと、人類の歴史。
気象や地質。
恋愛、感覚、視聴覚・・・
・・・このようにあらゆる分野で詩という形で議論を展開していく。
きっと原文のラテン語ではとっても素晴らしい詩なのだろう。
エピクロスの哲学を詩という形で紹介しただけなのに、世界文学全集に乗せられるだけの作品を現したのだから。
でも翻訳を通して読むと少しもその魅了を感じない。
そのエピクロスの哲学も当時はとっても斬新だったのだろうけど、今では当たり前、退屈でしかない。
これは詩の宿命なのだろう。
ハイネはあれほど素晴らしい詩を残しているのに、翻訳で読むとまったくがっかりさせられる。
でもハイネの場合はシューベルトやシューマン、とりわけシューマンの歌曲によってその美しさを感じることができる。
でも他の詩人の詩はどうだろうか?
芭蕉の句を英訳したものを直訳した詩を読んだら、それは芭蕉とはまったく違った別の詩でがっかりさせられ。
これは詩の宿命かもしれない。
ともあれ生涯300冊も書いたのに今では他人の現したこの作品1作しか残されていない。
これは悲しいことだけど、ターレスとかヘラクレイトスとか断片しか残っていない人に比べるとまだ幸せかもしれない。
あの膨大な著作を書いたアリストテレス。
それでも今では4分の1しか残ってないという。
それに比べるとほぼ全作が残っているプラトンやクセノフォンは、
失われた作品はあるけど大部分は残っている、3大悲劇詩人・アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、そして喜劇詩人アリストファネスは幸せだったというべきだろう。