
(龍野の屋根瓦の続きです)
龍野は小さな町。
1~2時間も見物したら、もういいか、と言って次の観光地に回る人がほとんど。
龍野に泊まる人は少ない。
(旧龍野市街には普通のホテルもない)
夕方になると店は閉じ暗く寂しい。
でもたまたま15年以上も前、何の因果か(よほど前世の行いが悪かったのだろう~きっと前世でも呑んだくれていたに違いない)旧・竜野市の隣の町に田舎暮らしで来てから、
そして間もなく平成の大合併でこの町が「たつの市」になってから、
旧竜野市が身近になった。
そしてあらためて龍野を見ると龍野独特の文化を感じる。
きっと1~2時間見物しただけではその魅力はわからないだろう。
そんな文化を感じる。

龍野は城下町だ。
城主は脇坂家。
秀吉の家臣で赤穂浪士の討ち入りで赤穂藩が断絶になったとき、幕府の命で領地を受け取りに行った・・・ただそれだけの歴史の藩。
でも幕府の中では老中などそれなりにそれなりの役目をした地味な藩。
そして取り潰されることもなく藩をまっとうした。
その旧城下町はお決まりの狭い道、不自然に曲がった道、現代の車社会ではただただ不便なだけの道。
そこに京風な町家がぎっしりと並んでいる。
そして今では(多分)それをみんな持て余しているのだろう。
シャッターが目立つ、空き家が目立つ。
でも龍野は町おこしにとっても熱心。
しょっちゅうイベントをしている。
イベントで人を集めたら街が活性化すると思っているらしい。
でも・・・イベントが終わったら?
いつものようなシャッター商店街。
きっと税金で、補助金で、さらに無償のボランティアの人たちの奉仕によって支えられるだろうイベントが、
果たしてどれほど活性化に役立っているのか?
なんて考えると・・・
いえいえ、イベントはしないよりもした方がいい。
でもその効果は?
・・・なんて書くと反論山積みって気がするけど、ちょっとまってください。
まだ言いたいことの途中です。
もういい加減酔っぱらってきたので続きは次回。
次は別の意見を言いますね。



