師走空「何処に行きましょ」アンデルセン
倉敷チボリ公園の中に座す立派なアンデルセン像。
ミコちゃんが子供の頃よく親しんだ童話に、有名な「人魚姫、マッチ売りの
少女、みにくいあひるの子、裸の王様」などのアンデルセン童話があります。
チボリ公園が今月末で閉園し、本当に残念です。
寄り添へばアンデルセンの膝枕
数年前に友人と写した懐かしい写真です。
アップするには多少ピントが合っていないほうが(顔がぼやけて)
返って良いかなと思いました。(笑)
倉敷チボリ公園の中に座す立派なアンデルセン像。
ミコちゃんが子供の頃よく親しんだ童話に、有名な「人魚姫、マッチ売りの
少女、みにくいあひるの子、裸の王様」などのアンデルセン童話があります。
チボリ公園が今月末で閉園し、本当に残念です。
寄り添へばアンデルセンの膝枕
数年前に友人と写した懐かしい写真です。
アップするには多少ピントが合っていないほうが(顔がぼやけて)
返って良いかなと思いました。(笑)
良寛さまの句やエピソードは本当にほのぼのしますね。ありがとうございます。
世の中は、計算の上手な狡猾な生き方をする方が
財をなすには早いですし、名声も欲しいということで、
他人を蹴落としてでも上に上りたいのが常のようです。
『大愚』に徹する生き方のお手本を見せてくださり、
とことんお人好しの良寛様は、誰もが心を開いて愛しくなるお方ですね。
例えば、そのころお野菜でも収穫できたら、それを持って、
良寛様の教えを聴きに行きたくなりますよね。
ひっそりと清貧の庵に住まれて、本当に尊敬の師だと思います。
盗人が取り残した「窓の月」は誰も盗ろうとは考えつかないものではありますが、
そこを詠まれた良寛様はやはり非凡な才能ですね。
辞世の句も詠めそうで詠めない素晴しい句で、何時までも讃えられる名句ですね。
平成の大愚良寛年の暮れ 緑風
大愚良寛さま 2007/2/28
カテゴリー » ホリスティック関係
日がな一日、子供たちと鞠つきをして遊んだという良寛さまは、たくさんのエピソードを残している曹洞宗の禅僧でした。
そのうちのひとつ
悪党の船頭権三は、良寛さまが決して怒らないという評判を聞き、それならおれが怒らしてやろうとたくらみました。良寛さまが舟に乗ると、わざとよろめいて水しぶきをかぶせましたが、それでも一向に怒らない良寛さまを見ると、今度はおもいきりひどく舟を揺らしました。すると、良寛さまは川に落っこちてしまったのです。泳ぎを知らない良寛さまは溺れて死にそうになってしまいました。まさか殺すつもりもなかった権三は、川に飛び込んで良寛さまを舟の中に救い上げたところ、良寛さまは大きな息をして権三に言いました。『ありがとう。お前がいなければ、わしは死ぬところだったよ。ほんとうにありがとう』と。舟が岸につくと、また権三にお礼を言って、深く感謝してその場を去って行きました。良寛さまに感服した権三は、その後、五合庵を訪ねて、真面目な人間になることを良寛さまに誓ったそうです。
良寛さまはそのバカ正直を一生かけて磨き上げた、類い稀なる大人物でしょう。
そして、『大愚』に徹する生き方を一途に歩き、煩悩が真実を見えなくさせていることを身をもって示し続けた『大愚良寛』だったのでしょう。
いつも、「いま・ここ・自分」で生きていた大愚良寛さまの句を2つ
盗人に 取り残されし 窓の月
あまりに何もない良寛さまの寺に入った泥棒が、寝ている夜具を盗もうとしているのを知り、良寛さまはわざと寝返りをうつふりをして、泥棒がとりやすいようにしてあげたという。その時の句です。
でも、私にはそれだけとは感じられません。人間が作ったものは壊すことも、盗むこともできますが、そこに自然にあるものは、何があってもあり続ける・・・そんな感じを持っています。
裏も見せ 表も見せて 散るもみじ
裏も表もなく、すべてありのまま、それ以上でもそれ以下でもなく、自分を生きた大愚良寛さまらしい辞世の句はないでしょうか。
良いお話でしたので抜粋しました。