苛めなき学び舎たれと白芙蓉
新会堂に夢膨らます白芙蓉
誰を待つ塀の中なる白芙蓉
オアシスの如き会堂白芙蓉
苛め問題は昔からありました。親(大人)の社会にも子供の社会にも。
その時は何故?という思いで切なく、どうしようもないほど、苦しく耐え
難いものなのですが、だからといって、自ら命を断ってはなりませんね。
新聞やテレビなどで哀しいニュースを時々見ますが、死ぬ前に親や家族、
学校の先生や友人などに打ち明けて苛めが止むように、又は転校したりの
方法も含めて皆で問題解決に当ることが大切だと思いますね。
先日、夫の誘いである講演会に参加しましたら、その講師の先生が
ご自分の子供のころの体験談を熱心にお話し下さいました。目が御不自由な
ことでの同級生からの苛めが小学一年生の1年間あったそうです。
でも、いつも耐えるだけの少年ではなくちゃんと、「こういうことは嫌なのだ」
と表現をしました。幼いながらしっかりしていますね。クラス全員が「いじめは
するのもされるのも駄目・することは最低!」という、学びに繋がったら良いですね。
人を傷つけるのではなく、その反対に、善い行いをすると先生からも友達からも
褒められたり、信頼されて益々頑張りたくなるのですね。誰かから親切にされて
嫌な気分にはならないものです、嬉しくて自分も親切にして喜んで貰いたいと考える、
これは大人社会も子供社会も同じですね^^。
健康な人はそれ自体、本当に幸せなのです。だから幸せのお裾分けをしようとする。
世の中で弱者と思われている人も、そのお裾分けをただ受け取るばかりではつまらない。
自分の得意部門の何かを精進して、それで人々に貢献することが出来れば生きがいに
なり、多くの友人から慕われることでしょうね。
所謂健常者と障がい者の間には、目に見えないバリアが少なからず古来よりあったと
思いますが、最近はそのバリアが次第に薄らいで来ているようですね。もし周囲にその
ような人がおられたら、「私がそうなるところを、この人が私の代わりになったかもしれない」
と、思うと言い知れぬ敬愛の情が湧いてきますよ。
歩み来て古代の里の酔芙蓉 (句友リュウちゃん様作品)
皆様のお蔭で嬉しい位置に立たせて頂き感謝申し上げます。
我が家の庭の花も夏の終盤を迎えたようで、花が少なくなっています。風船葛とポーチュラカ。
↓ピンクのゼラニュームと白い芙蓉。
白芙蓉は毎月通っている教会のお庭に咲いていて、その花姿はとても優雅で清らかな一日花です。
その母教会が数年前から新会堂建築の準備をしていて、近々着工の運びとなりそうです。
↓先日の講演会は倉敷市庁舎の10階大会議室であり、おもてなしのレクチャーの先生が東京からと、
その後地元の、岡山盲学校元教頭先生の竹内昌彦氏のお話がありました。
一時間半のお話に感銘を受け、竹内先生の著書「見えないから見えたもの」を購入しました。
先生は按摩、マッサージのプロでもありますので凄い力があって、握手をして下さった時、
大変力強くて驚きました。「先生と同い年ですよ」「えっ、あっそうですか」ギューーでした^^。
目が見えていた時、絵を描くのが大好きだったそうで、7歳ごろの絵を表紙に使われています。
表紙の題字はお父様が書いて下さったそうです。竹内先生の右手は何と握力55キロとの
ことが本の中に書いてあり、あぁそれで、一寸とした握手でもあんなにパワーが伝わってくる
のだなと分かりました。何処へ講演に行っても講演後、本を¥1500で1冊買った人に順番に
「ありがとうございます!」と握手をされるようですね。ハンディがあっても同じ人間であるという
こと。命の尊さを深く教えられる。ノンフィクションとして、映画化されるように心から応援したい
と思います。この本を買う事が映画化の後押しになるようです。
よ
今日もご訪問頂きまして、有難うございました^^。
皆様のお蔭で嬉しい位置に立たせて頂き感謝申し上げます。