梅の香と乙女の眸澄みにけり
十五の春を思い出す時、中学の卒業と高校の入学が
ありますね。しかし当時はクラスの半数近くが、就職して
(親孝行でもあります)いた時代でした。
その後殆どの人が進学するようになり、よほどの理由が無い限り
すぐに就職ということは少なくなりました。しかし、残念にも
志望校でないからとか、勉強が難しいとか、高校を中退してしまう
ケースも以外に多いのですが、これはやはり親不孝であり、また自分不幸
と云えるのではと思います。
その時は本人も悩み苦しんでのことでしょうし、親もどうする
ことも出来なかったのだと思います。
もしその高校に良きアドバイスをして、親身になって考えてくれる教師が
一人でもいてくれたら、その生徒の生涯も変ったかもしれません。
最近、NHK番組で知りましたが、たった一度のチャンスではなく、
何度でもチャンスがあって、本人さえ努力すればこうした人も
高校卒の資格が手に入り、その後の就職などが有利になる道が拓かれると
いうことです。8教科を順次クリアーしていくそうで、無料の塾の感じでした。
教師陣は全てボランティアだそうで、本当に立派だと思いました。
民間人にはこんなに素晴しい人達がいて、頭が下がりますが、本当は国が
すべきことではないでしょうか?
揚句は早々志望校への合格内定がいただけた少女の喜びの様子を
句に詠んで見ました。彼女は4年間憧れの高校を目指し、6年生から
塾に通いながら、部活にも最後の引退試合まで頑張ったので、
それを良く知っているミコちゃんは、本当に凄いと感心しました。
ミコちゃん達の時代は、今よりは呑気な受験で偏差値○○以上などと
厳しくはなかったように思います。でも中三の後半になると、
席次によるクラス編成の補習授業があったり、
テストコンクールというものが2、3回あって、関西大学まで行って、
入試さながらに受けました。約6000人くらいで、席次が出て
50番以内に入った友人が、次回はご招待を頂いていて、1000円の
受験料が無しでした。我が校の8クラス中、一番の彼女は物凄く頭が良く
読書好きで誠実な人です。中三になった時、座席が前後になり、
当時の互いの家庭の苦労話などで、意気投合した親友ですが、
今は大阪と岡山で離れているのでなかなか会えません。
ザンネンですが、いつまでもいつまでも心の友です。(笑)