7月も終盤、早朝から蝉の声が高らかに聞こえ、
力強い生命力を空に響かせています。
亜熱帯化と言われるほど、暑さもピークになり
県内の熱中症の人が病院に運ばれ、今日は数十人、
今日も数十人、とニュースで伝えられていますので、
皆様もどうぞご用心なさってくださいね。
↑夫が撮った最近の美観地区の写真ですが、
大暑のさ中にここ倉敷に観光にお出で頂き、
本当に有難く思いますね、未曽有の大災害に
打ちのめされていても、復旧に向けて立ち上がり、
行政と県民市民、他府県からの応援者の方々が
皆で踏ん張っているところです。
「こんな時に観光に行っていいの?」と躊躇されず、
どうぞお出で下さって当県、当市の観光産業を
励まして頂けますと嬉しく思いますね。
↑美観地区のある割烹旅館の生け花です。
私も
あの豪雨ですっかり気持ちが沈んでおりましたが、
6月の旅行で撮った写真がありますので
これから少しづつアップしたいと思います。
白洲次郎さんの風情いっぱいの
茅葺のご自宅は竹藪の小道の奥にありました。
武蔵国と相模国にまたがる場所にあったこと
から武相荘(ぶあいそう)と呼ばれています。
戦後のあの時代に
こんなに立派なクラシックカーを乗り回していた人。
農作業にも勤しんだ人で、家具を製作するなど手先の器用な人。
農機具は必要ですね、機械ものが大好きだったのでしょうね。
ご夫妻の次郎氏正子氏は敗戦の国を憂い、勉学に励まれて
いたのですね、文筆家正子氏のお部屋は書籍が所狭しと。
次郎氏は英国留学の経験から英語が堪能でしたので、
通訳もよくされていました。そのエピソードは
あまりにも有名で、ご存知の方が多いでしょう。
「マッカーサー元帥に意見をしたただ一人の日本人。」と、
中年のバスガイドさんのお話は
そのようだったと覚えていますが、とても気骨のある
信念の人で、勇敢な人なのですね。
戦後、天皇陛下からのクリスマスプレゼントを
託されて、GHQのマッカーサー元帥を訪ねた折、
マッカーサーはプレゼントを掌で受け取らず、
軽く応対したそうです。「その辺に」置いてという態度。
これはあまりにも天皇陛下に対して失礼ではありませんか?と、
次郎は直ぐに抗議しました。マッカーサーは戦勝国
アメリカの代表者として、この日本人に驚いたそうです。
★「われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない」
(Although we were defeated in war, we didn't become slaves.)
★ 政界、実業界で活躍した白洲次郎の名言は、
「ウィキペディア」より。
戦後、日本人の誇りを取り戻した名言ですね。
今日もご覧いただき有難うございました。