ミコちゃんの徒然日記

日々の雑感など

蝉声力強く^^

2018年07月28日 | 気の向くままに
 
大暑の頃
暑中お見舞い申し上げます大暑は二十四気の一つ、夏至後30日、小暑後15日。おおむね7月23日、4日頃ですが厳しい暑さの連日に身体が萎れそうです。体調管理に留意......
 

7月も終盤、早朝から蝉の声が高らかに聞こえ、

力強い生命力を空に響かせています。

亜熱帯化と言われるほど、暑さもピークになり

県内の熱中症の人が病院に運ばれ、今日は数十人、

今日も数十人、とニュースで伝えられていますので、

皆様もどうぞご用心なさってくださいね。

 

↑夫が撮った最近の美観地区の写真ですが、

大暑のさ中にここ倉敷に観光にお出で頂き、

本当に有難く思いますね、未曽有の大災害に

打ちのめされていても、復旧に向けて立ち上がり、

行政と県民市民、他府県からの応援者の方々が

皆で踏ん張っているところです。

「こんな時に観光に行っていいの?」と躊躇されず、

どうぞお出で下さって当県、当市の観光産業を

励まして頂けますと嬉しく思いますね。

↑美観地区のある割烹旅館の生け花です。

 

 私も

あの豪雨ですっかり気持ちが沈んでおりましたが、

6月の旅行で撮った写真がありますので

これから少しづつアップしたいと思います。

 

白洲次郎さんの風情いっぱいの

茅葺のご自宅は竹藪の小道の奥にありました。

武蔵国と相模国にまたがる場所にあったこと

から武相荘(ぶあいそう)と呼ばれています。

 

戦後のあの時代に

こんなに立派なクラシックカーを乗り回していた人。

農作業にも勤しんだ人で、家具を製作するなど手先の器用な人。

農機具は必要ですね、機械ものが大好きだったのでしょうね。

ご夫妻の次郎氏正子氏は敗戦の国を憂い、勉学に励まれて

いたのですね、文筆家正子氏のお部屋は書籍が所狭しと。

次郎氏は英国留学の経験から英語が堪能でしたので、

通訳もよくされていました。そのエピソードは

あまりにも有名で、ご存知の方が多いでしょう。

「マッカーサー元帥に意見をしたただ一人の日本人。」と、

中年のバスガイドさんのお話は

そのようだったと覚えていますが、とても気骨のある

信念の人で、勇敢な人なのですね。

戦後、天皇陛下からのクリスマスプレゼントを

託されて、GHQのマッカーサー元帥を訪ねた折、

マッカーサーはプレゼントを掌で受け取らず、

軽く応対したそうです。「その辺に」置いてという態度。

これはあまりにも天皇陛下に対して失礼ではありませんか?と、

次郎は直ぐに抗議しました。マッカーサーは戦勝国

アメリカの代表者として、この日本人に驚いたそうです。

 

★「われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない」

(Although we were defeated in war, we didn't become slaves.)


★ 政界、実業界で活躍した白洲次郎の名言は、

「ウィキペディア」より。

戦後、日本人の誇りを取り戻した名言ですね。

 

今日もご覧いただき有難うございました。

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暑気払い

2018年07月21日 | 気の向くままに

暑中お見舞い申し上げます


 

↑一週間ほど前に撮った写真です。

蝉の抜け殻は、以前から庭のあちこちで

見付けていましたし、蝉の姿も数回見ていますが、

不思議なことに、我が家や近場で蝉の声を聴くことが

ありませんでした。庭の土に穴が幾つも空いていて、

今年も蝉の幼虫が地上に出てきたことが良く分かります。

今朝、7時半ごろ、元気な蝉の鳴き声を聴いて

嬉しくなりましたね。その後は静かなままですが、

確かに、今年もやっと聴けたのです^^。

この方面では、豪雨災害の影響で蝉たちの

生態にも打撃を与えてしまったのでしょうか、と

不安に思いました。そして7日の夕方からは長雨が

上がり、以後ずっと晴天、猛烈な高温が続いています。

猛暑日が連続5日以上になると、熱波と言うそうですね。

炎天下には出来るだけ出たくありませんが、仕事のため

ボランティアのために作業をされている人達に、

頭が下がる毎日です。どうぞ無理をしないで、体を

守り休憩を入れながら作業をして頂きたいです。涼しい

早朝や夕方に仕事をして、暑い日中は午睡というのも

良いですね、水分と塩分補給、涼しい部屋に逃げ込む、

など対策を取って、厳しい夏を無事に過ごしましょうね。


↓バナナの花、園芸種だと思いますが~友人が持って来て下さいました。

庭のサンゴ花があの雨の中で咲いていました。

庭のゼラニウム、トラディスカンチア、万年青の葉を飾ってみました。

母の日の薔薇は今もずっと咲き継いでいます^^

百合は終わっていますが、朝顔はずっと咲いています。

 

美観地区は夫の写真です。

↓この大橋家は、1796年築の町家で国重要文化財になっています。

この写真は1年前に撮ったものですが、何と今月21日の午前10時ごろ、

左側にある土塀(高さ2.5m)が突如、「ドーン!」という音で倒れたのです。

老朽化して、倒れる時期だったのか、この前の豪雨が影響していたのか。。。

怪我人がなくて良かったですが、隣接の駐車場の車8台に崩れかかりました。

重い瓦を乗せた30mの長さの土壁でした。

23日には倒れた土壁を撤去して、仮の仕切りでカバーしていました。


暑気払いに色々なものが考えられますが、手っ取り早く

我が家では梅ジュースです^^先日、下水道の工事に

職人さんが2日間来られたのですが、朝イチのご挨拶に

冷えた梅ジュースを飲んで頂きました^^。その後は

クーラーボックスの中に、麦茶と水とアイスコーヒーの

ペットボトルと紙コップを入れて、

「ご自由にどうぞお飲みください。」と書いた紙を

ボックスの外側に張り付けて、作業場近くに置きました。

下水道を公共の管に繋いだのですが、1日目は一人だけで、

今日はお風呂だけ繋ぎました、と言って早めに帰られました。

業者さんが仰るには

真備町の被災家屋の人から、お風呂に入りたいので

何とかしてくださいと頼まれて、お忙しいとのことでした。

我が家は5月に工事を依頼したのですが、浄化槽の

汲み取り清掃会社との合致する日が7月19日になって

いましたから、この日を動かすことは出来ませんでした。

この度の水害では、家が浸水して多くの人が大変困って

います。避難所に暮らしていても、お風呂だけは気兼ねなく

ゆっくりと自分の家のお風呂に入りたいでしょう。

真備と我が家とで、忙しい業者さん。何日かかっても

仕方がないと思っていましたが、2日目は5人で来られて

どんどん仕事が捗り、夕方までは掛かりませんで、

「終わりました^^」と晴々とした声で帰られました。

本当に暑い中をありがとうございました。

次なる工事は、コンクリート打ちですが、こちらの工事は

業者さんが別の方で、その方の都合で秋ごろのようです。

右の写真は、作業がし易いように大きな扇風機を

持参されていて、「これがあると全然違います♪」と。

  

 

ご近所から新鮮な桃やメバル類が届きました。

小ぶりな桃ですが、お味は素晴らしかったです。

お魚は煮付けに。鰻代わりになる暑気払いで

釣り糸が付いていた新鮮なお魚は最高に美味しかったです。

今日もご覧いただき有難うございました。




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豪雨災害から10日

2018年07月16日 | これは現実?
 
 
海の日
 感謝しつつ (19) 七変化 半夏雨飛翔せし小鳥を急かす半夏雨 半夏雨ゴーヤの蔓は天目指し   (句友リュウちゃん様作品)  毎年、7月1日か2日に「半夏生」の日......
 

 

 

 

西日本豪雨のあの日から10日が過ぎました。

11の府県の中でも、広島、岡山、愛媛の被害が

特に甚大でした。私の住む岡山県は、

「晴れの国」というキャッチフレーズで長年親しまれ、

災害の少ない県である、あり続ける、

という根拠のない過信を県民は持っていたようです。

この度の7月豪雨で打ちのめされ、安全神話に対する

考え方が根底から変わりました。

岡山県も広島県も同じくらい水害に弱いのだと。

井原鉄道の南側に流れている小田川と、支流の高馬川、末政川、

真谷川らの支流の8か所から決壊して、小田川の北側が広範囲に

冠水したのです。(南側も部分的に数か所浸水)

最初に水が溢れ出したのは、赤い印からでした。

倉敷市の伊東市長も初めての経験で、きりきり舞いの

10日間だったと思います。「倉敷駅前開発」に熱心に

取り組んでおられたらしいですが、やはり市民の安全な暮らしを

第一に考えて、改善しなければと気づかれたようです。

小田川の南側の地区には、早く避難指示が発令されましたが、

北側は水が溢れ出した後に(未明)発令されていたと言って、

住民は不信感を。。。一つ良かった(絶対に良いことではないですが)

のは、アルミ工場に泥水が入り水蒸気爆発が起き、

あまりの爆風、衝撃音と炎上に驚いた多くの人たちが

危険を感じて即避難したということでした。

しかしこの時既に、真夜中の11時半ごろです。

高齢者の方々、体調の良くない方々は不安なまま

一夜を過ごして(就寝中)いたのでしょう。まさか

自宅の2階まで水が来るとは。。お気の毒でたまりません。。

 

小田川の付け替えが必要だと以前から専門家によって

検証されていたそうで、今回、その工事を実行することが

決まりました。大被害の後になりましたが、今後の為に

石井啓一国土交通相が小田川の治水対策工事を今年秋にも

着工すると表明されたのです。それは柳井原貯水池という

広大な池(水深5メートル)へ向けて下るルートを作ります。

この貯水池は現在も高梁川へと繋がっています。大工事に

なりますが、この方法はバックウォーター現象の改善に

なるそうです。

14日の土曜日にパソコンボランティアに行きましたが、

皆さんから「家は大丈夫でしたか?」と訊ねられました。

皆さん、とても優しいですね^^。お互い大したことなくて

有難かったです。先生の息子さん(二男さん)が高校生で、

そのクラスに1名だけ真備町の男子がいて、早速クラスの

仲間たち17名ほどがボランティアに行ったそうです。

最初防塵マスクを着けていたけれど、暑いのと息苦しいのとで

普通のマスクに替えたそうです。ボランティアさんが全国から

連日参加して、炎天下に力仕事やお掃除をして下さって、

他人事と思わない優しい人が本当に多いですね。

美観地区を訪れる観光客は、「真備町はどの辺に

あるのですか?」と皆さん訊ねられるそうですよ。



今日もご覧くださり有難うございました。 

 

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西日本豪雨 2018

2018年07月12日 | これは現実?
 
雲の峰 2017
九州北部豪雨災害発生から6日、犠牲者の皆様、被災された多くの皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、一日も早い復興をお祈りいたします。  突如悪夢の如き自......
 

 

日を追って、この度の記録的豪雨災害の被害が大きく

報道され、目を覆うばかりの現状が明らかになって

来ました。犠牲者や今だ行方不明の方々の人数が増えて

しまい、テレビの前で哀しく胸が塞がれ、ため息をつく

人ばかりではないでしょうか。西日本一帯でかつてない

甚大な災害が7月6日~7日~8日にかけて多発しました。

雨が上がり、水が退き、浸水した我が家の片づけに

戻られた人々は、どうしたらいいのか気が遠くなる

思いでしょう。

32℃越えの厳しい日々が続いていますし、被災者の方の

助け、支えが必要ですね。倉敷市真備町では4,600戸が

浸水したそうです。下水などの土砂との闘い。

使えなくなった家財道具は、粗大ごみとして所定の場所に

家族が近くにいない人や年配者だけの家は、誰か手助けが

必要ですね。毎日の飲み水は?食べ物は?

避難所の衛生面と熱中症対策は?入浴はホテルなどの

いろんな施設が無料開放して、協力してくれています。

皆さん入浴された時、一寸でもほっとされたことでしょう。

真備町でも高台に住んでいる方は、お握りを作っては

小学校へ運んでおられる(8日)、とある人から伺いました。

昨日我が家に来られたパン屋さん(毎週水曜日)の男性、

火曜日(10日)に真備町へボランティアとしてお手伝いに

行ったら、凄い匂いで耐えられないほどキツカッタと。

現地にずっと入られている人達に特に頭が下がります。

自衛隊や消防署など、他府県からも多大な

応援があり、感謝なことです。

 

 

大雨が一週間ほど降り続け、ダム湖が満帆になり、

川の氾濫や決壊が起きる。山や崖に土砂崩れが起き、

下にある住宅や道路、線路、インフラなどを破壊する。

ここでは犠牲者の人数や痛ましい画像はUPしませんが、

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

(茅ケ崎のI兄の家の月下美人が咲きました)

毎年咲いたお写真を送って下さり、ありがとうございます。

 

今日も ご覧くださりありがとうございました。

 

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岡山豪雨 2018

2018年07月08日 | これは現実?
 
小暑の頃
 感謝しつつ (17) 梅雨の独り言 その3 紫陽花 2014 その2 額の花憂ひにも雨にも負けず額の花頬染めて乙女の夢や額の花額の花少女の夢の移りゆく  間もなく......
 

 

災害は本当にいつ何時やって来るかわかりませんね。

7月6日の午前中は、長雨にうんざりして、

洗濯物を干す場所もなく、コインランドリーに

夫が行って、乾燥だけでも30分はかかったと

乾かして持って帰ってくれたので大変助かりました。

私は七夕飾りをお店に飾ったり、炊事を

早めにしたりでごく普通の生活をしていました。

結論的には、我が家近辺は皆無事で有難かったです。

 

店の前の用水路の水嵩が上がり始め、でも下流へと

水は流れていますから、まぁ、よくあることと

思っていたのですが、いろんな情報が厳しい

ニュースとなって入ってきて、数十年に1度という

記録的豪雨で、各地に生命の危機が迫るらしいのです。

家の中ばかりで過ごしてのんきな私は、

そんなに酷いのかな?とまだあまりぴんと来ていま

せんでした。大雨特別警報、避難勧告等が当市や周辺の

市町村に出ていて、真備町に「避難指示・緊急」が出たのは

7日の未明でした。後から言っても仕方ないのですが、

もっと前に(6日の夕方迄に)出ていたらと・・・残念です。

勧告と指示・緊急に関しては、今後のためにしっかり

認識しなければなりませんし、行政もその情報を確実に

知らせる手だてを考えるべきですね。

 

6日、日没には目の前の用水路が溢れ出して、道路幅の

中央までやって来ていました。困ったことにならなければ

いいがと、不安になりましたが、何とか何時ものように

過ぎてくれるのでは...とまだ甘い考えがありました。

そして

この町で49年暮らして、初めてのことを経験する

夜となりました。町の三分の一近くが水没した

真備町からは、かなり離れた我が町です。

直線距離だと10キロ余り、車で走ると15キロ程

離れていますので、近いような遠いような。

今回の集中豪雨で、一級河川高梁川は氾濫しなったので

私たちの町は守られたのですが、真備町には2級河川の

小田川と小規模河川の高馬川が流れています。

この豪雨で6日夜から7日朝にかけて、堤防の3か所から決壊し、

真備町の内1,200ヘクタールを濁流が飲み込んだのでした。

その中には約4,700棟の家屋が建っていました。そして

まだ避難していなかった人々、約1,900人近い人が

屋上やベランダ、屋根の上、3階以上の階などにいて

救助を待ち続ける恐怖の夜になりました。

 

ここで

お話が前後しますが、私はいつものように終い湯で、その前に

トイレに入りました。ところが流してもゴボゴボと変な音がして

下から逆流してきたのです。水嵩が高くなって下げ止まりです。

噂に聞いていたことが、我が家に初めて起こったのです。

排水機能が麻痺したのですね、何とか早く回復して

くれないと皆が困ります。こんな状態ではお風呂の湯も

流さない方が良いのかと思い、今夜は入浴しないと決めました。

 

丁度この頃

息子や夫が用水路の水嵩を見て驚いていたので、私も店の前に。

何ともう我が家の敷地に川水が到達しています。

水は道路から我が家のコンクリートへ続き、30センチ程

敷地内に入り込んでいます、この雨が降り続けると玄関ドアの

位置まで上がって来るかもしれないので、息子が土嚢を裏から

持って来てくれました。これで入り口を塞げば少しはましですね。

息子は、傘をさして車の様子を見に離れた場所の駐車場まで

ジャブジャブと歩いて行き、私はドアの外で水の増え方を見ていました。

その時、何処かでドカン‼と聞いたこともない衝撃の爆発音が

したのですが、直後にバリッ!ゴロゴロゴロッと雷が天地を

引き裂くような大音量。早く息子が戻ってこないかと、心配で

たまりません。後で分かったことですが、6日の夜11時32分に

総社のアルミ工場に泥水が押し寄せ、水蒸気大爆発が起きて

そのあたり一面爆風で粉々、炎上したのです。1キロも離れた

会社のシャッターが何枚も爆風で歪み変形したとのことです。

 

息子が戻るころ、横の路地奥から一人の男性が歩き難そうに

ジャボジャボと歩いて来られ、よく話をするKさんだと

分かりました。外が心配で様子を見に来られたのですね。

「どがんになっとんかな!」お国訛りで。

まさかの時には、こうなります。私は困った顔で、

「トイレが流れなくなったんです!川の水が上がって!」と。

どうやらkさん宅では知らないのか、まだ大丈夫、流れるのか。。

「エエーッ」と驚いて帰って行かれました。

 

その後、万一のためにお店の中の物を上の方に 片付け、

やっと就寝することにしました。息子が殆どの力仕事をして

手際がとても良く、感心しました。老いては子に従えで、

私たち夫婦だけではノロノロでしょうと、頼もしく思いました。

午前4時に起きて、トイレに行くと中の水は減って、

流すと水は下に行ってくれたので、ほっとしました。

お隣さんたちも、同じようにゴボゴボと流れ難かったと

翌朝話が合いました。午前2時くらいに回復したのだそうです。

下水の排水はとても大事ですね、お風呂も排水の蓋をして、

湯舟に水を張っておけば、下水の逆流を防げますね。

 

ご覧くださりありがとうございました。

 

 

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つかの間の大都会

2018年07月02日 | 気の向くままに
 
梅雨曇り 2017
 感謝しつつ (15) 梅雨の独り言 その1 梅雨 2014 梅雨2013梅雨の蝶廃墟の庭の花として        (空き家にすると早く家が傷み、門からの通路が狭く......
 

先日、ツアー旅行で2泊3日の夫婦旅行に

行ってきました。東京に住んでいる孫娘の

近くに行けることはとても嬉しいものがあります。

平日ですし、会えるわけでもないのですが、

同じ空の下に寝泊まりし、近辺をぐるぐる廻って

大東京を見るだけで目的は達せられる、のですけれど、

今回は添乗員さんやバスガイドさん付きですので、

名所旧跡、名店に連れて行って貰えますし

2泊3日、めいっぱいの充実観光ができました。

 

早朝出発なので、娘が最寄り駅まで送ってくれて、

帰りも迎えに来るからと。これがどれだけ有難いことか、

私たちが困らないように、何時も配慮してくれて

感謝一杯の出発でした。

 

↓先ずはJR在来線に6時8分乗車し岡山駅へ。

 岡山駅で他の3人と合流し、5人チームになり

旅行会社の係員さんから切符を頂き、ホームに上がりました。

5人だけでの出発は心もとないのですが、すぐに

新大阪で下車し、ホームで添乗員さん、近畿勢の皆さん、

広島からの方などと合流する事が出来ました。

後で約40名での団体旅行なのだと分かった次第です^^。

一路小田原へ、この日は午前中曇天でした。

 小田原駅下車、観光バスが2台待っていました。1号車は20名ほどです。

神奈川県中郡大磯町にある、旧吉田 茂邸見学。

緑豊かで立派な庭園の広い敷地の奥に歴史を物語る御殿があります。

 

中国原産のヤブカンゾウでしょうか~1日花ですね。

紫陽花は最盛期を過ぎた色でしたが

撮ってみました^^。

 

終戦直後、約7年間にわたって総理大臣を務めた吉田茂は、

混乱した日本社会をたて直すため奔走、

何より大切なのはGHQとの交渉であり、

マッカーサーとの会見は70回に及んだといわれています。

この吉田茂の交渉力は、戦前、外交官として

活躍した時培われ、昭和26年(1951)9月8日の

サンフランシスコ講和条約調印という形で実を結びました。

〈パンフレットより〉


お部屋の窓から。

2階に上がると眼下に相模湾も広がっています。

 

山の上に車が横付けできるのですね。

惜しいことに原因不明の火災で本邸が焼失していますので、再建した邸宅です。

(平成21年3月に火災、平成29年4月から再建の一般公開)

1年後には約10万人が見学に来られていたのですね。

ご参考までに、団体は観覧料¥450です。

1階楓の間 窓からいろは楓の緑陰を涼しく眺められます♪

秋の紅葉も素晴らしいことでしょう。

1階食堂(ローズルーム)薔薇の花がお好きでした。

銀の間(寝室兼書斎)

 広いお屋敷で、部分的にしか撮れていませんが、

木造の舟形の湯舟がありました。

寝室や応接室などから、箱根の山々と富士山が望める。

この日は雲が垂れ込めていて、あの辺に富士山がと。

門付近にはバラ園もあって、プリンセス・ミチコや

プリンセス・ダイアナなども咲いていました。

明るいオレンジ色の優美な薔薇、プリンセス・ミチコですね。

昭和11年(1936)、駐イギリス大使に任命された吉田は、

後の日独伊三国軍事同盟へつながる日独防共協定に抵抗するなど、

戦争を回避するよう働き続けましたが、第二次世界大戦の

開戦は避けられませんでした。開戦後も和平工作を行い、

終戦間近の昭和20年(1945)には、一か月程憲兵隊に

拘置されます。そして8月15日、終戦を迎えました。

〈パンフレットより〉

 

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

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