春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ 山上憶良
最近は春の足音が日ごとに大きくなりましたね♪
ご近所の梅も満開です。それで春の歌を載せてみました~^^
「春されば」は春が去ればという意味ではなく、
「春になれば」という意味ですね。
このような歴史的仮名遣いは、私たちの時代では
馴染みがなく難しいものですが、意味を知れば
味わいが伝わり親しみが湧いてきますね。
梅が咲き、鴬などの小鳥が囀り、こうした春の
先駆けは嬉しいものです。あと一か月もすると、
桜が咲きお花見シーズン到来ですね^^。
一針一針衿の丸みを縫ひてゐる花模様のブラウス春となる日に 草野彬子
現代も短歌や俳句の中では、旧仮名遣いがよく
用いられるのですが、これらは日本古来の文学文芸として、
格調高く、趣の深い作品にしてくれますね。
春を待つ二首の歌に心が浮き浮きしてきます~^-^。
2月は
お雛様をいろいろ飾って、春本番を待っています♪
工夫を凝らした手作り雛はどの作品も可愛いものですね~^^。
友人のkayoko様の折り紙も一緒に並んでいます。
昔、よく文通をしていた叔母から頂いたお雛様。
デイサービスで作ったそうです。
先日のこと、片づけをしていて叔母からのお便りが沢山あったので、
読み返してみると今から15年ほど前に叔母から貰っていました。
すっかり失念していた私は、本当に申し訳なく思いました。
同じように手芸の上手な友人から頂いたのだと・・・
貝殻のお雛様は確かにその友人から頂いていましたが...
自分の勘違いや記憶の曖昧さに驚いて反省しきりです。
お料理がとても上手で、文学が大好きな叔母は、手先も器用でしたから
デイサービスに行っても沢山の友人が出来て、
生き生きとした老後を送り、もう少し若い時はロンドン留学中の
お孫さんの所に、娘さんと共に訪問して見聞を広めるなど、
輝かしい老後生活でした。しかし他方では、75歳頃から
色んな病気に罹り、その上耳が難聴となったので、
お便りには「恥ばかりかいて」と不自由なことを
吐露してありました。。私など、耳は何とか聞こえるのですが、
失念や早とちりで恥ばかりかいています。叔母は4年前に94歳で
天寿を全うされましたが、常に努力家で明るい女性でした。
いつまでも私の心の中に生きていて、そっと私を見守って
くれているように思います。
先日、古希になられた友人宅にお祝いのお花をお届けしたのですが、
お花屋さんで自分にも春の花を一つ購入しました。
自分にはプリムラですねー^^。
今日もご覧頂きありがとうございました。