先日、ツアー旅行で2泊3日の夫婦旅行に
行ってきました。東京に住んでいる孫娘の
近くに行けることはとても嬉しいものがあります。
平日ですし、会えるわけでもないのですが、
同じ空の下に寝泊まりし、近辺をぐるぐる廻って
大東京を見るだけで目的は達せられる、のですけれど、
今回は添乗員さんやバスガイドさん付きですので、
名所旧跡、名店に連れて行って貰えますし
2泊3日、めいっぱいの充実観光ができました。
早朝出発なので、娘が最寄り駅まで送ってくれて、
帰りも迎えに来るからと。これがどれだけ有難いことか、
私たちが困らないように、何時も配慮してくれて
感謝一杯の出発でした。
↓先ずはJR在来線に6時8分乗車し岡山駅へ。
岡山駅で他の3人と合流し、5人チームになり
旅行会社の係員さんから切符を頂き、ホームに上がりました。
5人だけでの出発は心もとないのですが、すぐに
新大阪で下車し、ホームで添乗員さん、近畿勢の皆さん、
広島からの方などと合流する事が出来ました。
後で約40名での団体旅行なのだと分かった次第です^^。
一路小田原へ、この日は午前中曇天でした。
小田原駅下車、観光バスが2台待っていました。1号車は20名ほどです。
神奈川県中郡大磯町にある、旧吉田 茂邸見学。
緑豊かで立派な庭園の広い敷地の奥に歴史を物語る御殿があります。
中国原産のヤブカンゾウでしょうか~1日花ですね。
紫陽花は最盛期を過ぎた色でしたが
撮ってみました^^。
終戦直後、約7年間にわたって総理大臣を務めた吉田茂は、
混乱した日本社会をたて直すため奔走、
何より大切なのはGHQとの交渉であり、
マッカーサーとの会見は70回に及んだといわれています。
この吉田茂の交渉力は、戦前、外交官として
活躍した時培われ、昭和26年(1951)9月8日の
サンフランシスコ講和条約調印という形で実を結びました。
〈パンフレットより〉
お部屋の窓から。
2階に上がると眼下に相模湾も広がっています。
山の上に車が横付けできるのですね。
惜しいことに原因不明の火災で本邸が焼失していますので、再建した邸宅です。
(平成21年3月に火災、平成29年4月から再建の一般公開)
1年後には約10万人が見学に来られていたのですね。
ご参考までに、団体は観覧料¥450です。
1階楓の間 窓からいろは楓の緑陰を涼しく眺められます♪
秋の紅葉も素晴らしいことでしょう。
1階食堂(ローズルーム)薔薇の花がお好きでした。
銀の間(寝室兼書斎)
広いお屋敷で、部分的にしか撮れていませんが、
木造の舟形の湯舟がありました。
寝室や応接室などから、箱根の山々と富士山が望める。
この日は雲が垂れ込めていて、あの辺に富士山がと。
門付近にはバラ園もあって、プリンセス・ミチコや
プリンセス・ダイアナなども咲いていました。
明るいオレンジ色の優美な薔薇、プリンセス・ミチコですね。
昭和11年(1936)、駐イギリス大使に任命された吉田は、
後の日独伊三国軍事同盟へつながる日独防共協定に抵抗するなど、
戦争を回避するよう働き続けましたが、第二次世界大戦の
開戦は避けられませんでした。開戦後も和平工作を行い、
終戦間近の昭和20年(1945)には、一か月程憲兵隊に
拘置されます。そして8月15日、終戦を迎えました。
〈パンフレットより〉
ご覧いただきありがとうございました。
天候にも恵まれたでしょうね。
また旅行記をブログに
書いてくださいね^ - ^
一番の課題でしょうね。
韓国や中国と対等に話し合い
主張すべきことは主張してほしいです。
今の政治家は小粒ですよねぇ。
政治家に限らず財界も、芸能界も
大物が育たない世の中ですね。
吉田茂 、大物政治家ですね。40人の観光客が2台で、
ゆったりできてよかったですね。
何より旧吉田邸見学がよかったです。素晴らしい邸宅
ですね。次も楽しみにしています。
飲み会があるので
帰宅が遅くなります。
訪問だけで失礼します。
今週もバタバタしていました
落ち着きましたら詳しくお話しますネ
明日は男性料理教室です
うみかぜ公園も噴水が出て夏の様子です
最近はふりかけにハマっていて
いろんなふりかけを買って食べています。
ふりかけも侮れませんわ^ ^
高梁市も一部避難。。
心配です まだTVも見て居ません
親戚 2軒 有ります
自宅は空ですが・・
特に兵庫県と京都府は数十年に一度という豪雨で
これからも災害が広がりそうです。
大阪も交通網がズタズタで
今日は家でおとなしくするしかありません(涙)