集団的自衛権の行使容認について、
自民党内部でも反対派が拡大しつつあるようだ。
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「戦後の秩序を作ってきた集団的自衛権という言葉は、
アメリカが自国の都合で、自国の利益を守るためには
世界中どこへでも軍隊を出せるとへ理屈をこねて言ったものだ。
その国の依頼があればいいというが、
かいらい政権に言わせれば、いくらでもできる。
そんなことのために自衛隊を海外に出すべきではない」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-19/2014031902_02_1.html
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これは自民党の幹部の意見である。
共産党や社民党の意見ですよと紹介されたとしても違和感がない。
自民党というと、右翼の集まりのように感じられるかもしれないが、
実際は、そこそこ左寄りな人間もいる。民主党を立ち上げた
鳩山元首相や小沢一郎氏も元は自民党の出身だ。
そこから思うのが、最近、一部の市民団体や運動家が
やたらと主張している「右翼や左翼の枠を超えた運動を」という言葉である。
私は反共左翼という言葉をもって、本質が反共=国家(国民)主義であるために、
いざという時には簡単に右派と協力して体制に与する連中の問題性を指摘しているが、
その右派と妥協しないというスタンスにケチをつけられたことがある。
いわく、「程度によりけり」、「目的が同じならば協力も悪くない」だそうだ。
しかし、実際には、国内では圧倒的に右派が優勢であり、
協力といいながら、右派が許す範囲内での反対運動に堕しているのが現状だ。
こういう中での左右の協力にいったい何の意味があるのだろうか?
また、チベットやウィグルの問題が顕著だが、同じ反対であっても、
右翼の語る理屈と左翼が語る理屈は本来は違うはずである。
ダライ・ラマのように自分が統治していた頃は農奴制を維持し、
亡命後もCIAから大金を得ているような輩や、ラビア・カーディルの
ような、日本の極右と一緒に靖国神社に参拝するような民族主義者が
語る自由は、本来の左翼が夢見る自由とは違うはずである。
実際、前者は活仏(仏の生まれ変わり)を自称しているし、
後者はウィグル人の中でもとびきりの実業家で、とてもじゃないが
民衆の利益を優先する政治を行うようには見えない。
チベットやウィグルの問題を卑小化するつもりはない。だが、
ダライ・ラマやラビア・カーディルのような連中に権力は渡したくはないと思う。
左右を超えた共闘を呼び掛ける人間の中で上の2名に対してはっきりと
「中国にも問題はあるだろうが、だからといって
お前たちのような連中に政治を任せたくない」
とはっきり言える人間がどれだけいるだろうか?
私はそこが非常に気になるのである。
自民党内部でも反対派が拡大しつつあるようだ。
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「戦後の秩序を作ってきた集団的自衛権という言葉は、
アメリカが自国の都合で、自国の利益を守るためには
世界中どこへでも軍隊を出せるとへ理屈をこねて言ったものだ。
その国の依頼があればいいというが、
かいらい政権に言わせれば、いくらでもできる。
そんなことのために自衛隊を海外に出すべきではない」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-19/2014031902_02_1.html
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これは自民党の幹部の意見である。
共産党や社民党の意見ですよと紹介されたとしても違和感がない。
自民党というと、右翼の集まりのように感じられるかもしれないが、
実際は、そこそこ左寄りな人間もいる。民主党を立ち上げた
鳩山元首相や小沢一郎氏も元は自民党の出身だ。
そこから思うのが、最近、一部の市民団体や運動家が
やたらと主張している「右翼や左翼の枠を超えた運動を」という言葉である。
私は反共左翼という言葉をもって、本質が反共=国家(国民)主義であるために、
いざという時には簡単に右派と協力して体制に与する連中の問題性を指摘しているが、
その右派と妥協しないというスタンスにケチをつけられたことがある。
いわく、「程度によりけり」、「目的が同じならば協力も悪くない」だそうだ。
しかし、実際には、国内では圧倒的に右派が優勢であり、
協力といいながら、右派が許す範囲内での反対運動に堕しているのが現状だ。
こういう中での左右の協力にいったい何の意味があるのだろうか?
また、チベットやウィグルの問題が顕著だが、同じ反対であっても、
右翼の語る理屈と左翼が語る理屈は本来は違うはずである。
ダライ・ラマのように自分が統治していた頃は農奴制を維持し、
亡命後もCIAから大金を得ているような輩や、ラビア・カーディルの
ような、日本の極右と一緒に靖国神社に参拝するような民族主義者が
語る自由は、本来の左翼が夢見る自由とは違うはずである。
実際、前者は活仏(仏の生まれ変わり)を自称しているし、
後者はウィグル人の中でもとびきりの実業家で、とてもじゃないが
民衆の利益を優先する政治を行うようには見えない。
チベットやウィグルの問題を卑小化するつもりはない。だが、
ダライ・ラマやラビア・カーディルのような連中に権力は渡したくはないと思う。
左右を超えた共闘を呼び掛ける人間の中で上の2名に対してはっきりと
「中国にも問題はあるだろうが、だからといって
お前たちのような連中に政治を任せたくない」
とはっきり言える人間がどれだけいるだろうか?
私はそこが非常に気になるのである。