あくまでメモ程度の雑考。
本を選ぶ基準の中に「どこの出版社か」というものがあると思う。
例えば、文芸春秋や新潮社、WAC、KKベストセラーズ、草思社などの
右派系出版社の本は、ある意味、これは毒ですよと言っているようなもので、
ある評論家や学者の凋落や正体を知るにはうってつけの参考資料になったりする。
ただ、最近はこの手のわかりやすい保守派の本よりも、
一見、左派系&学術系のように見えながら、その実、
本質の部分では、保守派よりもある意味性質の悪い出版社が増えている気がする。
多くの専門家から批判を受けているパク・ユハの本をわざわざ翻訳した
平凡社、河出書房新社、朝日新聞出版社などは、その典型的な例だと言えよう。
新潮社やWACのような週刊誌的なセンセーショナルあふれる読み物を
主体に売り出している会社は、ある意味、その偽者らしさを見破るのは造作も無い。
だが、一見すると専門性があるように見えるし、また実際そうだろうが、
本質的には現在の保守層を援護射撃するような本の場合、水準が高い分、
読者は抵抗なく、知らず知らずのうちに保守的思想を植えつけられてしまう。
そういう点では、後者の出版社のほうが社会的害悪は甚だしいと言えなくもない。
(もっとも、埋め合わせをするかのように良書も多く世に送り出してはいるが)
そういう点で最近、少し気になったのがみすず書房である。
ここはサイードの『文化とナショナリズム』を翻訳・出版したことも
ある会社で、いわゆる「お堅い出版社」に属すると思われる。
特徴的なのが、一冊一冊が異様に高いことで、これは紙の質を高めるためと
私は聞いた事があるのだが、そのわりには20年ぐらいで簡単に汚れる。
まぁ、それはともかく、古典として残すのに
ふさわしい著作をチョイスしていると言う点は確かであろう。
そこを踏まえた上で最近のラインナップをみると、
どうも質が劣化してないか?と思わなくも無いことがある。
有名なのがピケティの『21世紀の資本』だと思うが、
これはそこまで読むに値する本なのかなと思うと、正直怪しいところだ。
権力批判や資本主義批判はマルクス主義をはじめとして昔からなされてきたことで、
本書の特徴は、それを新古典派の立場から実証した点にあると思われる。
とはいえ、それはマニアというか学者にとっては画期的なことではあるけれど、
一般人にとっては……ということを考えると、アルチュセールやハーヴェイのほうが
はるかに読む意義があるような気がするのだが……ケチをつけすぎか?
そもそも、ピケティ自体、フランスでは、とびきりの左翼とは思われていないし、
累進課税の強化を求める彼の主張自体もそこまで目新しいものではない。
加えて、あの池田信夫や山形浩生らによってブームが作られたことを思えば、
これは、亀山郁夫のドストエフスキー・ブームと同じ匂いを感じる……
少なくとも左翼的な本だとは私は全く思っていない。
このように感じる人間は結構いるようで、ブームがやや沈静化してきた今、
少しずつ、その問題点について左派の側から意見が発信されている。
週刊金曜日2015年7月3日号
話が脱線したが、はたしてみすず書房が50年、100年と世に出回るべき本を売っているのかなと
思うと、首を傾げたくなってしまう。先月には、あのアンドレイ・ランコフの
『北朝鮮の核心』を出版していたが、個人的にはなぜよりによってランコフ?と思う。
ランコフという人物は、北朝鮮が抱える問題を解決するには国家体制を崩壊させるしかない、
そのためには国際社会の長期的な干渉が必要だと仰っているクレイジーな御仁で、
これは、日本の社会問題を解決するには一度、アメリカ・EUの
干渉政策によって国が滅ばなければならぬと言っているようなものだ。
まぁ、確かに自民党や財閥や官僚や皇族の権威と権力を一度ゼロに戻しでも
しない限り、根本的な改革は無理かなーと思わなくも無いが、それは極論であり、
しかも、ランコフの理屈だと、その革命の主体は日本人ではなく外国人だ。
どう読んでも、他国の暴力的・非暴力的侵略を是認した意見に見える。
いくら大日本帝国の内部に問題があったからといって、
GHQに占領されない限り、解決されなかったと断言できるのかという話だ。
同じロシアの北朝鮮研究者なら、ロシア科学アカデミー極東研究所朝鮮調査センター所属の
アレクサンドル・ジェビン氏や同研究所朝鮮モンゴル課のアレクサンドル・ヴォロンツォフ氏
など、他にも大勢存在し、また、彼らの意見のほうが傾聴に値するのだが、
なぜ数多いる学者の中からランコフを選んだのかさっぱりわからない。
結局、この本は北朝鮮を政治的・経済的・軍事的に攻める格好の口実を
与えているようにしか見えないのだが……ふ~む、みすずの意図がよくわからない。
本を選ぶ基準の中に「どこの出版社か」というものがあると思う。
例えば、文芸春秋や新潮社、WAC、KKベストセラーズ、草思社などの
右派系出版社の本は、ある意味、これは毒ですよと言っているようなもので、
ある評論家や学者の凋落や正体を知るにはうってつけの参考資料になったりする。
ただ、最近はこの手のわかりやすい保守派の本よりも、
一見、左派系&学術系のように見えながら、その実、
本質の部分では、保守派よりもある意味性質の悪い出版社が増えている気がする。
多くの専門家から批判を受けているパク・ユハの本をわざわざ翻訳した
平凡社、河出書房新社、朝日新聞出版社などは、その典型的な例だと言えよう。
新潮社やWACのような週刊誌的なセンセーショナルあふれる読み物を
主体に売り出している会社は、ある意味、その偽者らしさを見破るのは造作も無い。
だが、一見すると専門性があるように見えるし、また実際そうだろうが、
本質的には現在の保守層を援護射撃するような本の場合、水準が高い分、
読者は抵抗なく、知らず知らずのうちに保守的思想を植えつけられてしまう。
そういう点では、後者の出版社のほうが社会的害悪は甚だしいと言えなくもない。
(もっとも、埋め合わせをするかのように良書も多く世に送り出してはいるが)
そういう点で最近、少し気になったのがみすず書房である。
ここはサイードの『文化とナショナリズム』を翻訳・出版したことも
ある会社で、いわゆる「お堅い出版社」に属すると思われる。
特徴的なのが、一冊一冊が異様に高いことで、これは紙の質を高めるためと
私は聞いた事があるのだが、そのわりには20年ぐらいで簡単に汚れる。
まぁ、それはともかく、古典として残すのに
ふさわしい著作をチョイスしていると言う点は確かであろう。
そこを踏まえた上で最近のラインナップをみると、
どうも質が劣化してないか?と思わなくも無いことがある。
有名なのがピケティの『21世紀の資本』だと思うが、
これはそこまで読むに値する本なのかなと思うと、正直怪しいところだ。
権力批判や資本主義批判はマルクス主義をはじめとして昔からなされてきたことで、
本書の特徴は、それを新古典派の立場から実証した点にあると思われる。
とはいえ、それはマニアというか学者にとっては画期的なことではあるけれど、
一般人にとっては……ということを考えると、アルチュセールやハーヴェイのほうが
はるかに読む意義があるような気がするのだが……ケチをつけすぎか?
そもそも、ピケティ自体、フランスでは、とびきりの左翼とは思われていないし、
累進課税の強化を求める彼の主張自体もそこまで目新しいものではない。
加えて、あの池田信夫や山形浩生らによってブームが作られたことを思えば、
これは、亀山郁夫のドストエフスキー・ブームと同じ匂いを感じる……
少なくとも左翼的な本だとは私は全く思っていない。
このように感じる人間は結構いるようで、ブームがやや沈静化してきた今、
少しずつ、その問題点について左派の側から意見が発信されている。
週刊金曜日2015年7月3日号
話が脱線したが、はたしてみすず書房が50年、100年と世に出回るべき本を売っているのかなと
思うと、首を傾げたくなってしまう。先月には、あのアンドレイ・ランコフの
『北朝鮮の核心』を出版していたが、個人的にはなぜよりによってランコフ?と思う。
ランコフという人物は、北朝鮮が抱える問題を解決するには国家体制を崩壊させるしかない、
そのためには国際社会の長期的な干渉が必要だと仰っているクレイジーな御仁で、
これは、日本の社会問題を解決するには一度、アメリカ・EUの
干渉政策によって国が滅ばなければならぬと言っているようなものだ。
まぁ、確かに自民党や財閥や官僚や皇族の権威と権力を一度ゼロに戻しでも
しない限り、根本的な改革は無理かなーと思わなくも無いが、それは極論であり、
しかも、ランコフの理屈だと、その革命の主体は日本人ではなく外国人だ。
どう読んでも、他国の暴力的・非暴力的侵略を是認した意見に見える。
いくら大日本帝国の内部に問題があったからといって、
GHQに占領されない限り、解決されなかったと断言できるのかという話だ。
同じロシアの北朝鮮研究者なら、ロシア科学アカデミー極東研究所朝鮮調査センター所属の
アレクサンドル・ジェビン氏や同研究所朝鮮モンゴル課のアレクサンドル・ヴォロンツォフ氏
など、他にも大勢存在し、また、彼らの意見のほうが傾聴に値するのだが、
なぜ数多いる学者の中からランコフを選んだのかさっぱりわからない。
結局、この本は北朝鮮を政治的・経済的・軍事的に攻める格好の口実を
与えているようにしか見えないのだが……ふ~む、みすずの意図がよくわからない。