先日、紹介した白宗元氏の意見書。改めて傾聴の価値があると思い、
再度掲載したいと思う。
加えて、筆者が再三、批判している池上彰氏が寄稿した
集団的自衛権の解説文を合わせて併記する。
なぜ、いま、最も検討しなければならない軍事問題に、
同氏が沈黙を閉ざしているのか。その理由は、双方の主張を読めば
大体の想像がつくだろう(それは日本のメディアの悪癖を晒すことにもなるはず)。
-------------------------------------------------------------
なぜ急ぐ集団的自衛権/白宗元
安倍首相は憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を容認し、
国の運命に関わるこの問題を閣議決定という便法で押し通そうとしている。
日本帝国主義の植民地支配の下で計り知れない被害を蒙ったわれわれは、
日本が再び「戦争をする国」になろうとするこのような事態に無関心ではいられない。
再び「戦争をする国」に
集団的自衛権については、人々の判断を迷わすさまざまな紛らわしい論議が見られるが、
核心をなすのは第一に、日本が攻撃を受けなくても
「米軍が攻撃を受けた場合は米軍を守り、ともに戦うことであり、
第二には、自衛隊は専守防衛の枠を超えて海外に派兵され米軍の戦争に加担することである。
安倍首相は「米軍が攻撃を受けているのに同盟国の日本が黙って見ていられるのか」と
大衆受けのする感情論を強調している。
しかしそもそも世界最大、最強の軍事力をもつ
米軍を攻撃できる国など今の世界には存在しない。
朝鮮、ベトナム、イラク戦争で見られたように
侵略戦争を挑発したのは常に米軍であって、
「米軍が攻撃を受けた」から始まった戦争などはない。
安倍首相論理は架空の前提で侵略戦争加担を合理化する詭弁だ。
自衛隊が海外派兵される場合、作戦指揮権を統一的に掌握するのは当然米軍であって、
自衛隊が自主的立場でこれに反対したり、拒絶することはできない。
海外に派兵され米軍の侵略戦争に加担すれば、多くの他国人を殺すが、
自衛隊員も殺されるのを免れることはできない。
その実例は近くにある。
朴正熙軍事政権は韓国がいかなる攻撃を受けていないにも拘わらず、
米国の指示に従ってベトナム侵略に加担し、多くのベトナム人を殺し、都市や農村を破壊した。
しかしその代償として4千人の韓国軍兵士が異国ベトナムの土となった。
武力では解決できない
集団的自衛権行使が国益に叶うというメリットについては語られるが、
それがどういう重大な結果をもたらすかというデメリットについての真剣な論議が
日本ではあまり見られないのは不思議なことである。
安倍首相は集団的自衛権行使の実例として
しばしば朝鮮民主主義人民共和国を引き合いに出した。
日本の国会で暴露されたように防衛庁(当時)が作成した「三矢作戦」、
「フライング・ドラゴン作戦」や朝鮮有事に際しての「邦人救出」など
自衛隊が朝鮮半島に出動して米軍と共同作戦を展開する計画が立てられた
のは一度や二度ではない。日本の責任ある政治家は
朝鮮のミサイル基地に対する先制攻撃まで主張している。
朝鮮戦争当時、日本の基地から発進した米軍爆撃機は朝鮮全土を廃墟にした。
しかし反撃力のなかった当時の朝鮮はただの一発の報復もできなかった。
だが現在、事態は根本的に変化した。長期にわたり米国の核脅威の圧迫に
苦しんだ朝鮮は今や自主的な抑止力を持っている。
もし米軍が核攻撃を行うならば、米本土はもとより
太平洋上や日本の米軍基地に報復攻撃も加えることを
朝鮮はオバマ大統領に正式に通告している。
第二次大戦中、日本に投下された爆弾は16万2千㌧であるが、日本全土は焼け野原となった。
破壊力が飛躍的に増大した現代の戦争でその代価は、これとは比べようもないだろう。
現在の日本の政治家の多くは戦争の惨禍を知らない世代だと聞くが、
朝鮮出兵、先制攻撃を主張する人たちは、現実の事態を冷静に熟慮したうえで発言している。
現在、安倍政権が強調する集団的自衛権問題は、
長い先まで見通した戦略的見地からなされているようには見えない。
経済的、政治的な衰退が目立ってきた米国が激変する情勢のなかで
20年、30年後も今のような地位を維持できるのかは誰も断言できない。
さらに米国は自らの国益で動くのであって、
日本の利益をあくまで守ってくれる訳ではない。
尖閣諸島問題で米国はリップサービスはするが日本の領有権まで認めてはいない。
最近「米国は本当に日本を守ってくれるだろうか」の声がしきりに聞こえてくるが、
中国の激変に巻き込まれず国益を守りたい米国の本心が透けて見える。
米国の伝統的アジア外交は
「アジアでの戦争は
アジア人同士で戦わせる」
ことである。
米国は韓日関係の改善を焦っているが、
朝鮮有事に米軍の身代わりに韓国軍と自衛隊を前面に立たせ、
軍事費も負担させるためであって、「韓日友好親善」のためでは決してない。
日本は明治以来、武力を持ってアジアの国々に対してきた。
日本軍国主義は70年ほど威勢を振るったが、結局、敗戦という破局で終末を告げた。
今の東アジアで武力による対決では何事も解決できない。平和こそ貴重である。
日本の繁栄と発展をもたらした平和憲法はそれを実証している。
http://chosonsinbo.com/jp/2014/06/0627sg/
---------------------------------------------------------
簡単に言ってしまえば、近年の日本は米国に服従の一途を辿っている。
経済的にはTPPの締結、政治的には日米同盟の強化、集団的自衛権の容認
と、自ら進んでアメリカに首を差し出す政策を取っているわけだ。
これは一見、不可解に思えるかもしれないが、
このような政策を取ることで一部の人間は非常に大きな得をするのである。
表面的には靖国参拝などの愛国的な言動を行っているのだが、
実際には限られた人間の私腹を肥やす政策をとっているわけだ。
つまり、安倍にとっての「日本人」に我々は数えられていない。
そのせいか、極右の中でも安倍政権の行き過ぎた親米政策に抗議する者もいる。
日本に限らず、欧米でも社会の不公平を民族性を強調することで、
解消する(同じ日本人なんだから平等に扱え)という意見が支持されている。
この手の愛国的平等論は、結局のところ、上層部の人間に体よく利用されて
彼らの支持率稼ぎとして機能しているわけで、差別を助長させるものでしかない。
私は、やはり、この手のネオ・ナショナリズムが失敗した以上、
今こそコミュニスムに立ち返るべきだと思うのだが、
冷戦終結後の赤狩り旋風が吹き荒れてから、この手の動きはタブー視されている。
(なお、私の言う「コミュニスムへの回帰」とは、
共産党や新左翼の理解や主張をなぞるのではなく、
ゼロからコミュニスムを勉強しなおし、新たに体系づけるということである)
さて、話を戻すと、
集団的自衛権とは、日米外交の一環として生じたものであり、
米国の利益や戦略を考慮しないと、本質が見えてこない。
白氏の意見書でアメリカ批判が多くなされているのは、このためである。
・侵略戦争を挑発したのは常に米軍
・海外派兵される場合、作戦指揮権を統一的に掌握するのは当然米軍
・朝鮮半島に出動して米軍と共同作戦を展開する計画が立てられた
・米国の伝統的アジア外交は「アジアでの戦争はアジア人同士で戦わせる」
・朝鮮有事に米軍の身代わりに韓国軍と自衛隊を前面に立たせ、軍事費も負担させる
つまるところは、日本のためでなく宗主国のための権利というわけだ。
白氏の意見書は、集団的自衛権の問題点をほぼ網羅しているが、
これとは対称的に、肝心な点を隠して説明するのが池上彰氏の文章である。
--------------------------------------------------------------
日本はアメリカと日米安保条約を結んでいます。
もし、日本が他国から攻撃されたら、
アメリカ軍が日本を守るために行動することになっています。
ところが、もしアメリカが他国から攻撃されても、
日本の自衛隊はアメリカ軍と一緒に戦うことはできないというわけです。
日本が攻撃されると、アメリカ軍は日本を守るために駆けつけます。
日本を攻撃する外国軍とアメリカ軍が戦闘になることもあるでしょう。
こんなとき、日本の自衛隊はアメリカ軍を支援してはいけないということになるのです。
非常にわかりにくい議論ですよね。
もしこんなことになったら、日本が国際的な非難を浴びることは目に見えています。
そこで、こんなおかしなことが起きるのだったら、
憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使も認めるべきだと主張する人がいます。
その一方で、日本は集団的自衛権を行使できないから、
他国の戦争に巻き込まれる恐れがないのだ、という考えもあります。
戦後の日本は憲法の解釈を変えることで
自衛隊を大きく成長させてきましたが、限界に来ていることは間違いありません。
http://seiji.yahoo.co.jp/easy/ikegami/0003/
---------------------------------------------------
比較的多くのスペースを割いて、集団的自衛権が容認されないと
世界の恥になると脅した上で、申し訳程度に反対意見をたった一文、併記しておく。
池上彰の解説でもっとも問題ある点は、この中立を装った支持である。
末文からも、暗に改憲を促していることが伺えるし、
前半から半ばまでの説明は政府の言い分をそのままなぞったものにすぎない。
金光翔氏の和田春樹批判を思い出す。
------------------------------------------------------------
和田は、批判的研究者(多くは朝鮮人)による司馬遼太郎や
戦後日本の「平和主義」への批判について、その批判の正当性を認める。
また、本書で和田が提示している、日清戦争や日露戦争を「朝鮮戦争」と捉える視点も、
姜徳相ら朝鮮人の歴史研究者がそれらを「日本による朝鮮侵略戦争」と捉えているのに似ている。
和田は、そうした批判的研究に正面から反論するのではない。
その正当性を認めた上で、ほとんど説得力のない理屈の提示(司馬遼太郎の場合)や、
根拠すらまともに示さずに読者の俗情を利用する形(戦後日本の「平和主義」の場合)で、
批判的研究の批判対象を救い出す。
「たしかに~~といった批判はその通りです。
しかし、だからといって全否定するのは行き過ぎだと私は思います。
ただし、私たちは、~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」
といった具合だ。
このような姿勢は、大多数の研究者がそうした批判的研究を黙殺する日本の状況では、
特に加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のような駄本が
ベストセラーになっているような現在では、一見、大変「良心的」に見える。
だが、和田の問題点はむしろそこにこそあると思う。
和田が「~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」
という形で取り込もうとする批判は、もともと、和田が救い出そうと
しているものの全否定または根本的な再編成を企図して打ち出されたものである。
ところが、和田は、批判にも留意するという姿勢を打ち出すことによって、
批判と批判対象の理論的な接触(対決)を回避する。
ありがちな人間類型として、こちらが言うことについて何でも
「うんうん、わかるよ」と答えながら、その実何も考えが変わらない人間というのがある
(左派系の知識人に多い)。和田は文章・行動レベルでこれをやっている。
こうした姿勢は、結果としては、
批判の効果を無化すると同時に、
批判対象の問題性を温存することになる。
そのような批判は、従来の立場を根本的に否定もしくは再編成を迫るのではなく、
ときどき思い出せば済む対象に格下げされる。
それでも、取り上げてくれる人間自体が少ないのだから、
批判者は、「あの学会・論壇の大御所である和田先生も取り上げてくれている」
ということで、むしろ和田への協力者になる。
http://watashinim.exblog.jp/12577810/
-------------------------------------------------------
池上氏も同様に、賛成と反対を併記することで、
問題のあるほうの意見を結果的に弁護する体裁を取っている。
要するに、池上氏の反対意見の紹介は、賛成意見を際立たせるものでしかない。
それが非常に問題なのである。
一見、公平のように見えて、実は思いっきりお上に寄り添っている
主張をテレビや書籍で拡散し、真面目な聴衆・読者の判断力を鈍らせる。
これでジャーナリストとどうして言えよう。
いずれは、合法詐欺師と呼んでも過言ではなくなってしまうのではないか?
以上、白氏と池上氏の姿勢を比較し、後者の論調の問題点を指摘した。
池上氏がいま、集団的自衛権について解説をためらっているのは、
恐らく、閣議決定を契機に安倍政権の支持率がガタ落ちしたこと、
そして集団的自衛権の反対者が安倍の所有物と堕したNHKですら
国民の半数以上に上ると報道していることと関係があるように思われる。
つまり、池上氏の説明は、聴衆を喜ばせるどころか腹立たせるものとなっており、
半数以上が反対姿勢を取っている今、安易に前面に打ち出せないのではないか?
いずれ、世論がなし崩しに容認をしぶしぶ承認するようになった際、
彼は待ってましたとばかりに持論(実は政府の見解)を披露することだろう。
その時が、なるべく遅く来ることを切に願うばかりである。
・追記(2015年7月4日)
解説記事、追加しました。よろしければこちらもどうぞ。
池上彰氏の集団的自衛権の説明について
再度掲載したいと思う。
加えて、筆者が再三、批判している池上彰氏が寄稿した
集団的自衛権の解説文を合わせて併記する。
なぜ、いま、最も検討しなければならない軍事問題に、
同氏が沈黙を閉ざしているのか。その理由は、双方の主張を読めば
大体の想像がつくだろう(それは日本のメディアの悪癖を晒すことにもなるはず)。
-------------------------------------------------------------
なぜ急ぐ集団的自衛権/白宗元
安倍首相は憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を容認し、
国の運命に関わるこの問題を閣議決定という便法で押し通そうとしている。
日本帝国主義の植民地支配の下で計り知れない被害を蒙ったわれわれは、
日本が再び「戦争をする国」になろうとするこのような事態に無関心ではいられない。
再び「戦争をする国」に
集団的自衛権については、人々の判断を迷わすさまざまな紛らわしい論議が見られるが、
核心をなすのは第一に、日本が攻撃を受けなくても
「米軍が攻撃を受けた場合は米軍を守り、ともに戦うことであり、
第二には、自衛隊は専守防衛の枠を超えて海外に派兵され米軍の戦争に加担することである。
安倍首相は「米軍が攻撃を受けているのに同盟国の日本が黙って見ていられるのか」と
大衆受けのする感情論を強調している。
しかしそもそも世界最大、最強の軍事力をもつ
米軍を攻撃できる国など今の世界には存在しない。
朝鮮、ベトナム、イラク戦争で見られたように
侵略戦争を挑発したのは常に米軍であって、
「米軍が攻撃を受けた」から始まった戦争などはない。
安倍首相論理は架空の前提で侵略戦争加担を合理化する詭弁だ。
自衛隊が海外派兵される場合、作戦指揮権を統一的に掌握するのは当然米軍であって、
自衛隊が自主的立場でこれに反対したり、拒絶することはできない。
海外に派兵され米軍の侵略戦争に加担すれば、多くの他国人を殺すが、
自衛隊員も殺されるのを免れることはできない。
その実例は近くにある。
朴正熙軍事政権は韓国がいかなる攻撃を受けていないにも拘わらず、
米国の指示に従ってベトナム侵略に加担し、多くのベトナム人を殺し、都市や農村を破壊した。
しかしその代償として4千人の韓国軍兵士が異国ベトナムの土となった。
武力では解決できない
集団的自衛権行使が国益に叶うというメリットについては語られるが、
それがどういう重大な結果をもたらすかというデメリットについての真剣な論議が
日本ではあまり見られないのは不思議なことである。
安倍首相は集団的自衛権行使の実例として
しばしば朝鮮民主主義人民共和国を引き合いに出した。
日本の国会で暴露されたように防衛庁(当時)が作成した「三矢作戦」、
「フライング・ドラゴン作戦」や朝鮮有事に際しての「邦人救出」など
自衛隊が朝鮮半島に出動して米軍と共同作戦を展開する計画が立てられた
のは一度や二度ではない。日本の責任ある政治家は
朝鮮のミサイル基地に対する先制攻撃まで主張している。
朝鮮戦争当時、日本の基地から発進した米軍爆撃機は朝鮮全土を廃墟にした。
しかし反撃力のなかった当時の朝鮮はただの一発の報復もできなかった。
だが現在、事態は根本的に変化した。長期にわたり米国の核脅威の圧迫に
苦しんだ朝鮮は今や自主的な抑止力を持っている。
もし米軍が核攻撃を行うならば、米本土はもとより
太平洋上や日本の米軍基地に報復攻撃も加えることを
朝鮮はオバマ大統領に正式に通告している。
第二次大戦中、日本に投下された爆弾は16万2千㌧であるが、日本全土は焼け野原となった。
破壊力が飛躍的に増大した現代の戦争でその代価は、これとは比べようもないだろう。
現在の日本の政治家の多くは戦争の惨禍を知らない世代だと聞くが、
朝鮮出兵、先制攻撃を主張する人たちは、現実の事態を冷静に熟慮したうえで発言している。
現在、安倍政権が強調する集団的自衛権問題は、
長い先まで見通した戦略的見地からなされているようには見えない。
経済的、政治的な衰退が目立ってきた米国が激変する情勢のなかで
20年、30年後も今のような地位を維持できるのかは誰も断言できない。
さらに米国は自らの国益で動くのであって、
日本の利益をあくまで守ってくれる訳ではない。
尖閣諸島問題で米国はリップサービスはするが日本の領有権まで認めてはいない。
最近「米国は本当に日本を守ってくれるだろうか」の声がしきりに聞こえてくるが、
中国の激変に巻き込まれず国益を守りたい米国の本心が透けて見える。
米国の伝統的アジア外交は
「アジアでの戦争は
アジア人同士で戦わせる」
ことである。
米国は韓日関係の改善を焦っているが、
朝鮮有事に米軍の身代わりに韓国軍と自衛隊を前面に立たせ、
軍事費も負担させるためであって、「韓日友好親善」のためでは決してない。
日本は明治以来、武力を持ってアジアの国々に対してきた。
日本軍国主義は70年ほど威勢を振るったが、結局、敗戦という破局で終末を告げた。
今の東アジアで武力による対決では何事も解決できない。平和こそ貴重である。
日本の繁栄と発展をもたらした平和憲法はそれを実証している。
http://chosonsinbo.com/jp/2014/06/0627sg/
---------------------------------------------------------
簡単に言ってしまえば、近年の日本は米国に服従の一途を辿っている。
経済的にはTPPの締結、政治的には日米同盟の強化、集団的自衛権の容認
と、自ら進んでアメリカに首を差し出す政策を取っているわけだ。
これは一見、不可解に思えるかもしれないが、
このような政策を取ることで一部の人間は非常に大きな得をするのである。
表面的には靖国参拝などの愛国的な言動を行っているのだが、
実際には限られた人間の私腹を肥やす政策をとっているわけだ。
つまり、安倍にとっての「日本人」に我々は数えられていない。
そのせいか、極右の中でも安倍政権の行き過ぎた親米政策に抗議する者もいる。
日本に限らず、欧米でも社会の不公平を民族性を強調することで、
解消する(同じ日本人なんだから平等に扱え)という意見が支持されている。
この手の愛国的平等論は、結局のところ、上層部の人間に体よく利用されて
彼らの支持率稼ぎとして機能しているわけで、差別を助長させるものでしかない。
私は、やはり、この手のネオ・ナショナリズムが失敗した以上、
今こそコミュニスムに立ち返るべきだと思うのだが、
冷戦終結後の赤狩り旋風が吹き荒れてから、この手の動きはタブー視されている。
(なお、私の言う「コミュニスムへの回帰」とは、
共産党や新左翼の理解や主張をなぞるのではなく、
ゼロからコミュニスムを勉強しなおし、新たに体系づけるということである)
さて、話を戻すと、
集団的自衛権とは、日米外交の一環として生じたものであり、
米国の利益や戦略を考慮しないと、本質が見えてこない。
白氏の意見書でアメリカ批判が多くなされているのは、このためである。
・侵略戦争を挑発したのは常に米軍
・海外派兵される場合、作戦指揮権を統一的に掌握するのは当然米軍
・朝鮮半島に出動して米軍と共同作戦を展開する計画が立てられた
・米国の伝統的アジア外交は「アジアでの戦争はアジア人同士で戦わせる」
・朝鮮有事に米軍の身代わりに韓国軍と自衛隊を前面に立たせ、軍事費も負担させる
つまるところは、日本のためでなく宗主国のための権利というわけだ。
白氏の意見書は、集団的自衛権の問題点をほぼ網羅しているが、
これとは対称的に、肝心な点を隠して説明するのが池上彰氏の文章である。
--------------------------------------------------------------
日本はアメリカと日米安保条約を結んでいます。
もし、日本が他国から攻撃されたら、
アメリカ軍が日本を守るために行動することになっています。
ところが、もしアメリカが他国から攻撃されても、
日本の自衛隊はアメリカ軍と一緒に戦うことはできないというわけです。
日本が攻撃されると、アメリカ軍は日本を守るために駆けつけます。
日本を攻撃する外国軍とアメリカ軍が戦闘になることもあるでしょう。
こんなとき、日本の自衛隊はアメリカ軍を支援してはいけないということになるのです。
非常にわかりにくい議論ですよね。
もしこんなことになったら、日本が国際的な非難を浴びることは目に見えています。
そこで、こんなおかしなことが起きるのだったら、
憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使も認めるべきだと主張する人がいます。
その一方で、日本は集団的自衛権を行使できないから、
他国の戦争に巻き込まれる恐れがないのだ、という考えもあります。
戦後の日本は憲法の解釈を変えることで
自衛隊を大きく成長させてきましたが、限界に来ていることは間違いありません。
http://seiji.yahoo.co.jp/easy/ikegami/0003/
---------------------------------------------------
比較的多くのスペースを割いて、集団的自衛権が容認されないと
世界の恥になると脅した上で、申し訳程度に反対意見をたった一文、併記しておく。
池上彰の解説でもっとも問題ある点は、この中立を装った支持である。
末文からも、暗に改憲を促していることが伺えるし、
前半から半ばまでの説明は政府の言い分をそのままなぞったものにすぎない。
金光翔氏の和田春樹批判を思い出す。
------------------------------------------------------------
和田は、批判的研究者(多くは朝鮮人)による司馬遼太郎や
戦後日本の「平和主義」への批判について、その批判の正当性を認める。
また、本書で和田が提示している、日清戦争や日露戦争を「朝鮮戦争」と捉える視点も、
姜徳相ら朝鮮人の歴史研究者がそれらを「日本による朝鮮侵略戦争」と捉えているのに似ている。
和田は、そうした批判的研究に正面から反論するのではない。
その正当性を認めた上で、ほとんど説得力のない理屈の提示(司馬遼太郎の場合)や、
根拠すらまともに示さずに読者の俗情を利用する形(戦後日本の「平和主義」の場合)で、
批判的研究の批判対象を救い出す。
「たしかに~~といった批判はその通りです。
しかし、だからといって全否定するのは行き過ぎだと私は思います。
ただし、私たちは、~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」
といった具合だ。
このような姿勢は、大多数の研究者がそうした批判的研究を黙殺する日本の状況では、
特に加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のような駄本が
ベストセラーになっているような現在では、一見、大変「良心的」に見える。
だが、和田の問題点はむしろそこにこそあると思う。
和田が「~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」
という形で取り込もうとする批判は、もともと、和田が救い出そうと
しているものの全否定または根本的な再編成を企図して打ち出されたものである。
ところが、和田は、批判にも留意するという姿勢を打ち出すことによって、
批判と批判対象の理論的な接触(対決)を回避する。
ありがちな人間類型として、こちらが言うことについて何でも
「うんうん、わかるよ」と答えながら、その実何も考えが変わらない人間というのがある
(左派系の知識人に多い)。和田は文章・行動レベルでこれをやっている。
こうした姿勢は、結果としては、
批判の効果を無化すると同時に、
批判対象の問題性を温存することになる。
そのような批判は、従来の立場を根本的に否定もしくは再編成を迫るのではなく、
ときどき思い出せば済む対象に格下げされる。
それでも、取り上げてくれる人間自体が少ないのだから、
批判者は、「あの学会・論壇の大御所である和田先生も取り上げてくれている」
ということで、むしろ和田への協力者になる。
http://watashinim.exblog.jp/12577810/
-------------------------------------------------------
池上氏も同様に、賛成と反対を併記することで、
問題のあるほうの意見を結果的に弁護する体裁を取っている。
要するに、池上氏の反対意見の紹介は、賛成意見を際立たせるものでしかない。
それが非常に問題なのである。
一見、公平のように見えて、実は思いっきりお上に寄り添っている
主張をテレビや書籍で拡散し、真面目な聴衆・読者の判断力を鈍らせる。
これでジャーナリストとどうして言えよう。
いずれは、合法詐欺師と呼んでも過言ではなくなってしまうのではないか?
以上、白氏と池上氏の姿勢を比較し、後者の論調の問題点を指摘した。
池上氏がいま、集団的自衛権について解説をためらっているのは、
恐らく、閣議決定を契機に安倍政権の支持率がガタ落ちしたこと、
そして集団的自衛権の反対者が安倍の所有物と堕したNHKですら
国民の半数以上に上ると報道していることと関係があるように思われる。
つまり、池上氏の説明は、聴衆を喜ばせるどころか腹立たせるものとなっており、
半数以上が反対姿勢を取っている今、安易に前面に打ち出せないのではないか?
いずれ、世論がなし崩しに容認をしぶしぶ承認するようになった際、
彼は待ってましたとばかりに持論(実は政府の見解)を披露することだろう。
その時が、なるべく遅く来ることを切に願うばかりである。
・追記(2015年7月4日)
解説記事、追加しました。よろしければこちらもどうぞ。
池上彰氏の集団的自衛権の説明について